諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】複数の国際SNSを跨る「投稿回覧オリエンテッドの世界」

思いつく雑学を可能な限り書き貯める場所 祇園精舎は京都どころか日本にも無い

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 欧米における「国際SNS上の関心空間」なる概念はまさにこの問題をクリアする為に生まれたとも。投稿内容の回覧が複数の国際SNSを跨って遂行される過程で「廃れたSNS」は次々と忘れ去られていく残酷さ。そんなものが誕生した背景には「スマートフォンのFirst Screen化」や「インターネットのトラフイックが急激に増大した事に伴う回覧内容の画像化、音声化、動画化の進行」があったのです。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
*現代語訳「祇園精舎の鐘の音は、「諸行無常」の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。」

遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
*現代語訳「遠く外国(の例)を探すと、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらの者はみな、もとの主君や前の皇帝の政治にも従わず、享楽の限りを尽くし、(他人の)諌言も気にかけることなく、天下が乱れていることを理解せず、民衆が心を悩ましていることを認識しなかったので、(その栄華も)長く続くことはなく、滅んでいった者たちである。」

近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、間近くは六波羅の入道前太政大臣朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ、心も詞も及ばれね。

*現代語訳「近ごろの我が国(の例を)調べてみると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、これらの者はおごり高ぶる心も勢いが盛んなことも、みなそれぞれに甚だしいものであったが、ごく最近で言えば、六波羅の入道で前の太政大臣朝臣清盛公と申した人の有様は、伝え伺うにつけても、想像することも言い表すこともできないほどである。」

ちなみに「祇園精舎」は奈良や京都の地名ではありませんよ? 最近はまずはそこから入らないといけない様です。

 ふとここで申采浩の名言「歴史を忘れた民族に未来はない」を思い出してしまうのは私だけ?

さて、私達は一体どんな未来に向けて漂流しているんでしょうか?