諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「社会自由主義(Social Liberalism)の時代(1930年代〜1970年代)」について。

ところで(しばしば当人すら忘れがちですが)このサイトは大雑把に要約すると以下の様な「(下からのそれに先駆けての)上からの欲望解放」がルネサンス以降の商業芸術発展の発端となったとする欧州中心史観に立脚しているのです。
*その発展過程で「全く出自を異にする」日本文化が独特の国際的役割を果たすのが興味深い。

f:id:ochimusha01:20180119075342j:plain

 その起点についてスイスの文化史学者ヤーコプ・ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化(Die Kultur der Renaissance in Italien、1860年)」は「ルネサンス期における教皇の領主化」、ヴェルナー・ゾンバルトは「恋愛と贅沢と資本主義(Liebe, Luxus und Kapitalismus、1912年)」において「教皇のバビロン捕囚(1309年〜1377年)が産んだアビニョン教皇庁の退廃」としています。
*前者はさらにイタリア王としてシチリア島パレルモ宮廷を設置したホーエンシュタウフェン朝神聖ローマ帝国皇帝フェデリーコ1世(Federico II, 1198年〜1250年)についても言及し、アルビジョア十字軍(Croisade des Albigeois, オック語:Crosada dels Albigeses, 1209年〜1229年)によって南仏宮廷から追われたオック語吟遊詩人達のイタリア流入が「ロマンス(母国語)文学」の大源流となった可能性を指摘する。

503夜『恋愛と贅沢と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト|松岡正剛の千夜千冊

*20世紀後半に入って再発見される「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマの先駆的研究。再発見の重要な契機の一つとなったのが「教皇庁によるイタリア半島統一を挫折させた」古都ボローニャ出身のパゾリーニ監督(Pier Paolo Pasolini, 1922年〜1975年)の手になる 遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、1975年)」だった辺りが興味深い。

*元来はここから「国王が采配する(常備軍を投入しての)戦争と贅沢が消費経済を活発化させ、その原資を得る手段でもある徴税機関が(王侯貴族や聖職者といったランツィエ(rentier、「不労所得階層」あるいは「地税生活者」)を没落させ既存身分制を破壊する)インフレ加熱を予防する絶対王政的経済学が発祥し、そこからナポリ政治経済学を経て「国家の公的サービスを縦軸、徴税や賦役の重さを横軸に取ってその経営状態を診断する」イタリア経済学が樹立される。グラムシを始祖と仰ぐイタリア共産党の始めたユーロ・コミュニズムあるいは(日本では社民党によって全面拒絶され、自民党日本共産党の地方議員の一部によって履行されて相応の成果を出した)構造改革イデオロギーの大源流はこれとも。

 イタリアの社会構造と『構造改革』

構造改革 - Wikipedia

江田ビジョン(1962年)」によれば以下の「ええとこどり」を志向する折衷主義。

  • アメリカの平均した生活水準の高さ
  • ソ連の徹底した生活保障
  • イギリスの議会制民主主義
  • 日本国憲法の平和主義

日本左翼の間では「改良主義」を徹底的に毛嫌いする科学マルクス主義理論に基づいて「絶対悪」に近い烙印を押されてきた(それ故に左翼を国民感情から遠ざけてきた)立場となる。

*とはいえ日本は別にこうした歴史展開から置いてけぼりにされてきた訳ではない。この国に多様性と多態性を重視する本物の自由主義が初めて根付いたのは一般に第一次世界大戦(1914年〜1918年)特需を背景とする大正デモクラシー時代だったとされる。

与謝野晶子 母性偏重を排す(1916年)

私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。

一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。

このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。

与謝野晶子 激動の中を行く(1919年)

巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。

しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。

雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。

私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。

*当時の日本においては右翼(軍国主義者)と左翼(社会主義者)が共闘してこれを徹底して叩いたが、その背景にはやはり「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマの顕現があったのである。

戦前希代のマルクス主義者として知られる戸坂潤(1900年〜1945年)の発言

自由主義はあまりにも容易に絶対主義へと転化してしまう」

自由主義はその多様性と不安定性ゆえに眼前の歴史的事実に対応すべく政治的に選ばれる可能性のある論理候補には残れない」

「民主主義が無力なのは大衆が訓練を受け一枚板に組織されていないから。彼らが力を得るにはさらにその組織が特定の時代精神の体現者として編纂される必要があり、この段階に至って初めて民主主義は本来の力を発揮する」
*現代人なら「それはもはや民主主義でなく全体主義なのでは?」と考え込まざるを得ない発言。まぁこの辺りが戦前日本人が到達し得た発想の限界の一つであった事実は否めない。

マルクスボーイと人格的自由

琴>耳学問ですが、キルケゴールが単独者の実存の立場を強調したとうかがったことがあります。罪を背負ったまま、神の御前にただ一人立つ単独者の実存ですね。
西田幾多郎>そうなんです。悪に染まり、罪を犯すのも覚悟の上なんです。自由意志を貫くためには、神の掟にも逆らい、親に逢えば親を殺し、師に逢えば師を殺さなければならないかもしれません。無門慧開の『無門関』という禅書にそういう思想が書かれているんです。本当に殺せというのではなくて、全ての既成の考えや、決まりや体制に囚われないで、生きないかぎり仏法は悟れないということです。本当に人格的な自由というものがあり、自由意志によって生きるということなら、正義を貫くために監獄や軍隊を恐れていては何もできません。
*これはまさに「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の中で「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(その枠組みから脱して初めて個人は本物の自由意志や個性を獲得する)」と宣言したカール・マルクスの人間解放論そのもの。日本人は「(神が用意した一般的救済プロトコルにあえて背を向け、自らの内側から届く声にのみ耳を傾ける形で自らの認識を再統合し善悪の彼岸の超越を目指す悲壮な生涯を全うしようとする)ロマン主義」を従来の伝統文化に従ってこう解釈したのであり、鈴木大拙「日本的霊性(1946年)」も同様の立場に立つ。

琴>あら幾多郎さんまで主義者のような事をおっしゃって、そういえば先生のお弟子さんにはマルクスボーイがおられるとか聞きましたわ。
西田幾多郎>マルクスボーイもいれば、近衛文麿のような将来の首相候補もいます。マルクス主義者たちはむしろ、経済的な生産力や生産関係に人間の観念形態は限定されてしまっていると説く決定論の立場に立っています。自由意志とか人格の自立の立場を見失っています。だから彼等が起こす革命で出来る権力は、人間の人格的自由を容認するとは思えませんね。
*戦前の日本人有識者の間においてすらソ連、すなわちレーニン率いるボリシェビキが掲げた「科学的マルクス主義」が「蛸(マルクスの人間解放論)抜きの蛸焼き」である事は(少なくともその一部にとっては)明白な事実だったのである。

*こうした考え方がアメリカ宗教右派内での「第二次世界大戦遂行の為の挙国一致体制が産んだ)プロテスタント陣営とカソリック陣営の野合」を重要な背景の一つとする「1950年代における米国文化繁栄にあえて背を向けた反抗的な若者達」の登場を促し、彼らをして聖典の一つとして鈴木大拙「日本的霊性(1946年)」を選ばせた訳である。

*現実の20世紀前半のアメリカはプロテスタント陣営が禁酒法を制定するとカソリック陣営がこれを廃止に追いやり、カソリック陣営がヘイズ・コードを制定するとプロテスタント陣営が徹底抗戦を試みるという有様だったのである。

鈴木大拙「日本的霊性(1946年)」

感覚も感情も、それから思慮分別も、もともと霊性のはたらきに根ざしているのであるが、霊性そのものに突き当たらない限り、根なし草のようで、今日は此の岸、明日は彼の岸という浮動的境涯の外に出るわけにはいかない。
*正直、こうした考え方とヘーゲル哲学における「人間の幸福は、民族精神(Volksgeist)ないしは時代精神Zeitgeist)とも呼ばれる絶対精神(absoluter Geist)と完全なる合一を果たし、自らの役割を与えられる事によってのみ達せされる」なる認識、および華厳経学における「海印三昧の境地」とどう峻別するのが正しいか私は知らない。

これは個己の生活である。個己の源底にある超個の人にまだお目通りが済んでいない。こういうと甚だ神秘的に響き、また物の外に心の世界を作り出すようにも考えられようが、ここに明らかな認識がないと困る。
*明らかにカント哲学における「(全てが人間の認識範囲内に留まる)物(独Ding、英Thing)の世界」と、その外側に広がる「物自体(独Ding an sich、英Thing-in-itself)の世界」を峻別する態度に由来する表現。まぁこうした国際的コンセンサスに立脚しない限り「禅とは何か」外国人に説明する事も出来ないのである。

普通には個己の世界だけしか、人々は見ていない。全体主義とか何とか言っても、それはなお個己を離れていない。その繋縛を完全に受けている。超個の人は、既に超個であるから個己の世界にはいない。それゆえ、人と言ってもそれは個己の上に動く人ではない。さればと言って万象を撥(はら)ってそこに残る人でもない。
*欧州においては絶対主義をありとあらゆる認識範囲に広げようとした18世紀啓蒙主義に対抗する形で(神が用意した一般的救済プロトコルにあえて背を向け、自らの内側から届く声にのみ耳を傾ける形で自らの認識を再統合し善悪の彼岸の超越を目指す悲壮な生涯を全うしようとする)ロマン主義が台頭。その延長線上に「人間の認識範囲を超越した(元来は理論的直感にいてのみ到達し得る)体験は主観的誤謬と区別がつかない形でしか顕現し得ない」なる諦観に立脚する魔術的リアリズム文学が登場する。「神はこの世界自体を創造しただけで、それ以降は一切介入してない」と考えた欧州大陸理神論(Deism)や「神は我々が問題解決に必要な諸概念は全て我々の認識範囲内に配置図みである」なる信念に支えられた米国プラグマティズムPragmatism)同様、その背後には「(たとえその認識可能範囲外に何が広がっているにせよ)認識の主体としての個人が自らの主体性を放棄するのは絶対に良くない」と考える強烈な人間中心主義がしっかり鎮座しているのである。
理神論 - Wikipedia
プラグマティズム - Wikipedia

哲学に真理がもしあるならば、それがもう本当は、我々の眼前にあったとしても、我々はそれを真理とは知らないのですから、隠されたものとしてしか存在しないわけです。 

*かくしてこの次元においても「事象の地平線としての絶対他者」問題が特有の形での重要課題として浮上してくるという次第。

*いずれにせよ「アメリカの反知性主義(Anti-intellectualism in American Life、1963年)」で有名なリチャード・ホフスタッターの進歩主義史観( 「事象の地平線としての絶対他者」を完全視野外に追いやる事に成功し1950年代米国の繁栄を正当化した)はピースマークを掲げたヒッピー達や公民権運動で蜂起した黒人自警団達による「(それまでの歴史観においては完全視野外だった)異次元からの攻撃」を誘発する展開を迎える事を(予感は抱えつつ)新たに創造した歴史観に組み込む事が出来なかった。

*鍵を握るのはJ・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye、1951年)」やジョン・アップダイク 「A&P(1963年)」といった「東海岸の閉鎖性」を前提に成立した文学の登場とも。

465夜『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー|松岡正剛の千夜千冊

1960年代のアメリカで若者たちのバイブルになりかかっていた文芸作品が3つある。精神病院を舞台にしたケン・キージーの『カッコーの巣の上で』、戦争状態という管理と論理の悪夢を描いたジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』、そして、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。

いずれも管理社会や制度社会の欺瞞を暴くというよりも痛烈なスタイルで揶揄した作品であることが共通していて、折からのヒッピー・ムーブメントやカウンターカルチャー・ムーブメントに対応して圧倒的な人気を攫った。

まあ、簡単にいえば「やりきれない思い」をかれらが使いやすい言葉で綴ったところが、やたらに受けた。なかで『ライ麦畑でつかまえて』だけが8年くらい早く書かれていながら、60年代に遅れて爆発したベストセラーであった。

日本での爆発はさらに10年ほど遅れて、村上龍村上春樹に飛び火する。ただし大江健三郎には、この作品が発表された1951年から数年後に、このアンチヒーローの言動が着弾していたようだ。説明するまでもないだろうが、『ライ麦』(日本ではこう俗称する)の主人公はアメリカ青春文学を代表するアンチヒーローなのだ。

サリンジャーがこの作品で用意したキーワードは"phony"である。「インチキ」とか「インチキくさい」といった意味だ。しきりに出てくる。ただし、これはオモテのキーワード。

主人公はいわずとしれた16歳の高校生ホールデン・コールフィールドで、この名前からしてデイヴィッド・コパフィールドに挑んでいることがわかる。

冒頭からして、こうなのだ。翻訳がイマイチなのが気になるが、「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に何をやってたとか、そういったデイヴィッド・コパフィールド式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな」というふうなのだ。

サリンジャーはこの冒頭において、旧社会の典型的なモデルの破壊をみずからすることを宣告し、その古い青春モデルに毒を盛ったわけなのだ。コパフィールドこそいい迷惑である。

物語や筋書は、ない、といってよい。ホールデン・コールフィールドがクリスマス直前にペンシルヴァニアの高校を退学させられた日から数日間のことを、映画のシナリオを書く兄貴や可愛い妹のことを含めて、あれこれの見解と批評をもとに一人称で語っているだけなのだ。

が、その、一人称で語っているだけ、というところがとんでもなく勝手な調子で、スタンダップトークショーのようで瑞々しかったのである。なんといっても日常描写の物事や出来事や人のやることが、主人公の鬱憤やるかたない価値観の断片そのままに会話調で叩きつけられていく感覚が、当時としては画期的だった。

あれこれの見解と批評のほうは、大人社会の"phony"な欺瞞と、その大人社会をまねるしかなくなっている高校生たちの欺瞞に向けられていて、それが徹底してというか、くどすぎるほどに吐露される。では本人のコールフィールドはどんな日々をおくっているのかというと、その欺瞞社会をすっかり覗き見たほどにスレているのだが、妹と送った少年の日々がやたらに懐かしいわけなのである。しかも人生のスケジュールは次の学期からはまたどこかの高校に通う予定になっているというだけで、ほとんど具体的には描かれない。そのうえ最後の最後になって、実はコールフィールドが精神病院に入っている状態だったことも明かされる。

サリンジャーがこのようなアンチヒーローをつくりあげたことについては、以前から「これは20世紀のハックルベリー・フィンだ」というアメリカ文学史の"お墨付き常識"があるのだが、これは当たってはいない。ハックは観察こそすれ、批評はしないし、だいいちビョーキじゃない。

大のサリンジャー派の村上春樹は、コールフィールドはメルヴィルの『白鯨』、フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』の主人公たちに続くアンチヒーローで、そこには「志は高くて、行動は滑稽になる」という共通の特徴があると言っていたものだが、この大袈裟な指摘もまったく当たっていない。

むしろ村上が『ノルウェイの森』のレイコに、「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ、‥・あの『ライ麦』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」と主人公に向けて言わせているのが、これがコールフィールドが日本に飛び火していた何よりの証拠だったのである。

 ジョン・アップダイク 『A&P』

初出は1962年『ニューヨーカー』。アメリカでは数多くのアンソロジーにも収められ、アップダイクのほかの作品を読んだこともないような高校生たちにも親しまれているようだ。

新潮文庫の『自選短編集』には、アップダイク自身の手による前書き、「日本の読者に」という作品紹介が掲載されているのだが、そこには「これを書いた当時、この短編は少しJ.D.サリンジャー風すぎる、とわたしの妻が言っていた」とある(余談だけれど、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』の序文はアップダイクが書いていて、奥さんがコーネル大学ナボコフの講義を受けたことが記してある。ナボコフの薫陶を受けたこの奥さん、さぞかし厳しい読み手だったにちがいない。たぶん同じ奥さんだと思うんだけど)。
*米国文学においてナボコフ「ロリータ(Lolita、1955年)」が「ロードムービー的文学を煌びやかな表象に満ちた新次元に高めた」事実を忘れてはいけない。多様で多元的なアメリカ文化は、既存の境界線を次々と乗り越えていく「旅」を通じてしかその全体像が浮かび上がってこないのである。

たしかに一人称の男の子の口語的な語り口で話は進んでいくし、彼のおとなの欺瞞性に対する怒りは、『ライ麦畑』にも通底する。ただ、やはりアップダイクならではの特徴が、この作品にもいかんなく発揮されている。

まず、なんといっても視覚的なイメージに満ちあふれていること。

アップダイクはハーバードを卒業したあと、オックスフォードへ留学し、そこで美学を学んでいる。

おそらく色や形や質感に対する感覚は、もともと鋭かったのだろうし、それをことばに置き換えていく基礎的な訓練は、そういった過程で積んでいったにちがいない。

女の子の水着の描写から、日焼けしていないところ、はたまた一風変わった女の子の歩き方、カーラーを巻いたお客の反応から、中年女性の静脈瘤、わたしたちはまるでアップダイクによく見える目を与えてもらったかのように、世界のありとあらゆる「細部」を見ることになる。

そうした細部は、単に精緻に描かれるだけではない。

「神は細部に宿る」ということばそのままに、女の子の歩き方をとおして、その子の境遇や性格までもが浮かび上がってくる。アップダイクの切り取る瞬間には、そこに登場人物たちのすべてが凝縮されているのだ。

重ねられていくことばは、視覚的な喚起力に満ちている。

ナボコフが講義のなかで『アンナ・カレーニン』に出てくるキャシーのドレスや『ボヴァリー夫人』の帽子のデッサンをやったように、女の子たちの水着(ところで背の高い、冴えない女の子はどんな水着を着ていたんだろう? 新潮文庫の表紙のイラストは、三人ともセパレーツになっていて、どうしたってこれはおかしい)を、イメージしてみてほしい。

ほんとうに筋を追いかけて読むだけではもったいない、ある種、とてもぜいたくな「ことばの悦楽」といったものがアップダイクの小説のなかにはある。

*こうした起源を有するヒッピー文化はグノーシス主義(独Gnostizismus、英Gnosticism)的反宇宙的二元論に深く感染していた。
グノーシス主義 - Wikipedia

ダグラス・ラミス「ヒッピー論」(「思想の科学」1971年6月号)

サンフランシスコには、1967年の秋に「ヒッピー」の概念の葬式が行われたという馬鹿話が伝わっている。確かに丁度その頃「ヒッピー」という概念自体がマスコミに絡めとられ、ファッション分野や音楽分野や書籍分野などに解体されて商品市場に組み込まれ始めたのは事実だ。「後に残されたのはプラスチック製のイミテーションだけでした」と、この馬鹿話は容赦なく断定して終わる。それが事実である証拠も、事実でない証拠も現時点では存在してない。

我々は何に支配されているのか?

もし我々が自らの解放を願うなら、まず我々自身が何に支配されているか見定めなければならない。その内容は誕生の瞬間から刻々と飽くことなく進化を遂げてきて、今日ではとんでもないレベルまで精緻化が進んでいる。
*そういえばヒッピー運動全盛期は、フランク・ハーバートデューン/砂の惑星(Dune)シリーズ(1965年〜1985年)」の執筆が始まった時期と重なる。その世界観においては機械文明を発達させたイックス(IX)の「思考機械」が禁じられ、代わりにそれぞれの諸勢力が生身の人間の演算能力を引き上げた「メンタート」や、人間に予知能力を付加する「メランジ(スパイス=香辛料)」の力を借りて独自の精緻な精神世界を構築し、他勢力をその完全コントロール下に置こうと鎬を削り合っている。そしてヒッピーとは(少なくとも自意識的には)自らをこうした「愛なき闘争」の外側に置きたいなる願望の顕現だった様なのである。

マルクスフロイトは共に、意識及び行動が我々の必ずしも感得していない物理的・心理的諸条件から生じているかについて言及した。現代のテクノロジスト達はそれをさらに発展させ、これら諸条件の巧妙なる操作方法を編み出した訳だ。

カール・マルクスは言うまでもなく「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」において「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗うべし)」とし指摘した人物。そしてシグムント・フロイトは人間を実際に動かしているのは当人がそう信じたがってる様な「意識的決断の積み重ね」ではなく「無意識からの呼び声」であるとした。

あるTVコマーシャルが放送されると、数百万の視聴者達は「何と下らないCMだ」と呟きながら何故そうするか分からないまま出掛けていって、その商品を買ってしまう。これが「動機の研究(Motivational Research)」の成果であり、それによって我々の意識を出し抜いて無意識に直接訴えかけ、我々の行動様式を勝手に望むまま規定し続ける事が可能となった。

1957年9月12日、ニューヨークの某スタジオで市場調査員であるジェームズ・ヴィカリーが記者会見を開いた。その内容は驚くべきものだった。映像内に視聴者が知覚できないほどの一瞬だけ、「コーラを飲め」や「ポップコーンを食べろ」というフレーズを何度も流すことで、コーラとポップコーンの売上をそれぞれ57.7%および18.1%伸ばすことに成功したというのである。これは”サブリミナル広告”と命名された。

ヴィカリーの思惑では、煩わしいテレビCMに取って代わる可能性のあるこの発見は、アメリカ中からの喝采と賞賛を受けるはずだった。しかし、実際には洗脳に対する恐怖と反感を呼び起こすことになった。

そして1962年、とうとうヴィカリーは発表できるほど十分な調査は行われておらず、一切を悔いていると白状したのだ。

それでもサブリミナル広告の威力に対する懸念は収まることがなかった。1957年のパニック以来、イギリスではその使用が禁止されている。

また科学的管理法を用いれば我々人間をデータとして記録して調査分析し、そこから得られた情報をコンピューターにかける事で、最適なる技法が算出出来る。これが誰もが論じている情報化時代の正体であり、その実体は情報の巧妙な操作及び支配(Control)に基づく人間管理の具現化に他ならないのだ。

*確かにコンピューターなるもの、演算能力を全く備えていないタピュレーティング・マシン(パンチカード・システム)段階から既に軍事計画や都市計画の策定に不可欠な統計結果を得る為の集計手段として活用されてきた。

もし我々がそうした経営学的、都市計画的束縛から脱却して解放されたければ、これらの法則を侵犯する突然変異の変種になるしかない。かくしてヒッピーが好んで自らをそう呼ぶ「変わり種(Freaks)」が地上に生を受ける事になる訳だ。

それでは「経営学的拘束」とは何か。

資本主義経済の急激な成長は、惜しみなく労働力を供給してくれる一方、その生産物を次々と消費してくれる貴方に依存している。もし貴方が女性ならばさらに、貴方の為に惜しみなく働いてくれ、欲しくなった物を次々と買ってくれる男性しか恋人や結婚相手に選ばない事で、冷徹な督戦係としての役割まで演じさせられる事になる。かくして広告主は望む成果を手に入れ、貴方の家の中にガラクタの山が積み上がるという結末が待っている。

それでは「都市計画的拘束」とは何か。

公共の場にいる我々は都市工学的誘導に基づいて今どこにいるべきか一々細かく指図され続けている様なものだ。そしてそれに逆らって人々が立ち止まったり「想定外の行動(そもそもこの言葉自体に相手側を罪悪感で身動き出来なくさせようとする悪意が埋め込まれている)」を取り始める事ほど、政治家や官僚や警察を困らせる事はない。最も重要なポイントは流動性を保ち続ける事、すなわち誰もを絶えず忙しく移動し続けなければならない状況に置く事で淀みなき流れを生じさせ、それに逆らおうとする意図を未然に摘み取り続ける点にある、反体制デモでさえ、予め警察に届け出たコース通りに更新してる限りは統制下に置く事が出来るという訳だ。

こうした抑圧的状況下では市民は無数の部分に分断され、各部分が互いに争い続ける事を強要される。そうした動きに逆らおうとする内的衝動を恐れて自ら抑制する様に教育され、それぞれが完璧な自己搾取マシーンとして機能する事を求められるのだ。

それでは「完璧な自己搾取マシーン」とは何か。

「自分は不完全で不的確で魅力も存在に過ぎない」「だからこそ、体制側の交通規制に従って自らの欠陥を補完してくれる商品を購入し続けり事で完全かつ適格な魅力ある存在となる事を目指し続けなければならない」と信じ込まされ、その目標を実現する為に働かされ続ける状態の事を言う。

丸一日裸で過ごしてごらんなさい。自分が如何に普段「自分達だけで放置されたら耐えがたい醜悪な動物に退化してしまう」という恐怖に突き動かされて暮らしているか否が応でも思い知らされる筈だ。そして、そうした裸の状態こそが、本来の自分も自然で生得的で本質的な核心部分なのだという現実が普通に受け容れられる様になる。こうして個々の人間が「再統合(Reassembled)」され科学的管理技法で「予期不可能(Anomary)」な状態を取り戻す事をこそ、体制側は心の底から恐れているといっても過言ではない。

*しかしながらヒッピー文化は「オルタモントの悲劇(1969年)」「シャロン・テート虐殺事件(1969年)」「ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年)」といった悲劇的展開の積み重ねを通じて「究極の自由主義は専制の徹底によってしか達成されない」現実認識への回帰を余儀なくされる展開を迎える。

*日本においては吉本隆明共同幻想論(1968年)」ブームやマックス・ウェーバー「鉄の檻」理論の誤読が「エヴァンゲリオンの赤い海」に辿り着いてしまう過程に該当。要するに日本でも「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」現実が直視される様になったのはオウム真理教によるサリン散布事件(1994年〜1995年)を経験した1990年代後半以降となる。

*こうした矛盾を清濁併せ飲む怪物として最後まで生き延びた怪物がスティーブ・ジョブズだったとも。

*まぁこうした前提は以下の最新投稿でも改めて繰り返されている。要するに最終的にあらゆる政治的対立は「現状懐疑派(急進派)と現状維持派(漸進派)の対峙」に煮詰まっていくという事らしい。

ある意味「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の中で「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(その枠組みから脱して初めて個人は本物の自由意志や個性を獲得する)」と提言したカール・マルクスの(無政府主義的)人間解放論、「自由論(On Liberty、1859年)」の中で「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」と提言した「ジョン・スチュアート・ミルの(議会民主主義的)自由論」、および「種の起源On the Origin of Species、1859年)」における定向進化論の提言によって(スコラ学やデカルト哲学に代表される)機械的(Mechanique)因果論から機械状(Machinique)力学への飛躍を果たしたチャールズ・ダーウィンの(歴史主義的)進化論が出揃った1859年以降、人類は「(それまで伝統的社会の機能に埋め込まれていた)事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・雑錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」に明示的に取り組まざるを得なくなってしまったのでした。

特に世界恐慌(1929年)の経験が国際的に「エロ・グロ・ナンセンス」への耽溺を産んだ1930年代以降、人類はこうした論点がそれぞれ抱える矛盾を解消する筈の「社会自由主義(Social Liberalism)」なる虚構の策定に邁進してきたとも。そしてこのフェイズは現在なお絶賛継続中とも。

さて、私達はいったいどちらに向けて漂流しているのでしょうか?