諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

20世紀は遠くなりにけり④ 「旅かえる」と「放蕩息子」のイメージ変遷

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事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」が回っているという事は、その時代についてどう触れ様と同じ消失点に向かって落ちていく状況を意味するのです。その時代をリアルタイムに生きた人間にはかえって見えにくく、むしろ後世の人間が「2点間を結ぶ最短距離が何処で直線とならないか」丁寧に計測を繰り返してやっと全体像が明らかになる感じ。

  • 国家や企業が勝手に個人的自由を代表する権利を主張してきた歴史…

  • 怖いもの知らずの馬鹿だが美しい若者」が「自ら美化した過去の美しい思い出の結晶からすら置き去りにされていく哀れで醜怪な老人」へと変遷する過程。
    学生運動世代は「いつから自分がブルジョワ的偽善の告発を口にしなくなったのか(いつから偽善的ブルジョワそのものに成り果ててしまったのか)」について総括を求められている?

  • 権威主義的エロティズム」からの脱却と親子関係そのものの変遷…

 前置きが長くなりましたが、異文化コミュニケーションを成立させるには、あらかじめこれくらいは自らの文化や歴史に造詣を深めないといけないのですね。

【北京時事】無料でダウンロードできる日本の携帯端末ゲーム「旅かえる」が、日本語版のみにもかかわらず中国で大ヒットしている。イラスト中心で、カエルの世話をするだけの簡単な内容が言葉の壁を越えた。

インターネットで昨年配信され、中国では今年に入り「旅行青蛙」の名で急速に人気が出た。1月中旬から中国のアップル向け無料アプリのゲーム部門で1位の人気を維持している。

名古屋市に本社を置くゲーム開発会社「ヒットポイント」によると、このゲームの利用者は「ほとんどが中国」で、18日までに3500万回以上ダウンロードされた。うちアップル端末向けは中国が95%で、日本は1%。主なターゲット層は10~30代の女性という。

ゲームは1匹の青ガエルに名前を付け、家の中で面倒を見るだけの「放置系」。庭先に生えるクローバーを刈ると通貨になり、食料やテントなどを買い与えられる。カエルはふいに旅に出て、秋田県の入道崎灯台長野市善光寺京都府天橋立など旅先の写真を送ってくる。帰宅は不定期で、4日間戻らないこともある。

ゲーム画面に日本各地の観光地や名産品が多数登場するため、春節連休を迎えた中国人の旅行先選びに影響を与えた可能性もある。旅行予約サイト大手の携程(シートリップ)によると、ゲームに多く登場する名古屋は、1月の検索回数が前月比で倍増。同社は「旅行青蛙別府温泉」と名付けた商品も売り出した。

中国のネット上では「カエルが旅立ち、連絡をくれず恋しい」「気ままに旅に出るカエルになりたい」といった書き込みや、日本語やイラストの解説が氾濫。中国各紙は「国内のゲームは勝敗を争う内容が多く、女性向けが少ない」「結婚を避ける若者は、子育ての代わりに仮想のカエルを飼ってストレスや孤独感を癒やしている」などと分析する記事を掲載した。

一方、クローバーの大量追加は有料だが、中国では「無限大に増やせる」とうたう闇ビジネスが現れ、中国語の海賊版も広がる。「ヒットポイント」開発担当者の上村真裕子さんは、対応を検討中だと明かした上で、「海外版の現地化は必要な課題」と述べ、中国語版の配信に前向きな考えを示した。

以前の投稿で取り上げた「ねこあつめ」を国際的にヒットさせた会社の最新作。

2014年10月 「国際SNS上の関心空間の匿名女子アカウント」が突然、一斉に「ねこあつめ」に夢中になる。

「国際SNS上における関心空間」の女子層は当時しばらくの間、本当にびっくりするほどその話題しか投稿しなかった。以降もそれは高比率で混ざり続ける。そして同じ展開が「スプラトーンSplatoon、2015年5月〜)」「Pokémon GO(ポケモンGO、2016年7月〜)」でも繰り返される。

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 2014年11月 日本アニメーター見本市第三話「Me!Me!Me!」公開

以降、日本アニメーター見本市で発表される作品は欧米のアニメファンに「普通のTV放映アニメ」と同じ扱いで視聴される様に。

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*そもそも「国際SNS上の関心空間」層は「セカイ系作品」という括りでなく「2000年代前半日本で新たに生まれた作品群」という括りで作品を追ってた感がある。

*もしかしたらこの頃までに純粋な試行錯誤の時代は終わり、ある種の落ち着きを獲得したのかもしれない。

そして翌年のハリウッド映画界はソロー「森の生活(Walden:or, the Life in the Wood、1854年)」もかくやといわんばかりの「孤立無援のサバイバル物」を量産。日本でもこれに呼応する形で「北海道開拓物」というジャンルが登場。「国際SNS上の関心空間の匿名女子アカウント」は、もっぱらこうした作品の「男優の演技」のみを品評会の俎上に載せた。もちろん一番盛り上がったのが「レヴェナント: 蘇えりし者(The Revenant、2015年)に主演したディカプリオのアカデミー男優賞受賞であった事はいうまでもない。
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 そして最新の動き…

ゲームのコンセプトはシンプルで、しょっちゅう旅に出る本作のメインキャラクター“かえる”の身支度を整えて、旅立ちを見送った後、かえるが“帰る”のを待つだけだ。日本全国にある、かえるの旅先のお土産や写真を見ることもできる。かえるの旅には一切干渉できないし、帰宅までの時間――短くて数時間以内、長くて数日――もコントロールできないが、ゲーム内通貨のクローバーを使ってかえるの旅支度をサポートできる。また、自宅にいるときのかえるは小屋の中で本を読んだり、食事したり、文章を書いたりするので、その愛嬌のある振る舞いに魅了されたプレイヤーも多い。

「旅かえる」の非公式の中国語タイトルは直訳の「旅行青蛙」だが、当然ながら動物の蛙を指す中国語の「青蛙」には日本語の「帰る」という意味が含まれていない。多くの中華圏のユーザーは、本作を「自分の可愛い子供を育てるゲーム」だと理解しており、我が子であるかえるに親としての愛情を注いでその成長を見守ることに夢中になっている。

中国のミニブログSNS「新浪微博(シンラン・ウェイボー)」などで、「巣立った子を持つ親の切ない気持ちが分かる」「子の不器用っぷりにイライラしたり、それが微笑ましく思えたりする」「子が友達と一緒に撮った写真を見ると、嬉し涙が出そうになる」といった感想が多く見られ、親としての気持ち、そして親子の関係に主眼を置いて「旅かえる」を楽しむプレイヤーが多い。「ねこあつめ」同様、忙しい都会人が自分のペースで遊べる“放置ゲー”なので、気がついたときに子供がこんなにも成長した、色々な場所で遊んでいたなどと“発見”するという楽しみもある。

しかし、そんな中華圏の“親”たちに大きな衝撃を与える出来事が起こった。本作のデザイナーであるHit-Pointの上村真裕子は中国メディア「豆你豌」のインタビューで、「旅かえる」とは単純に「旅」と「帰る」を繋げたタイトルで、夫が帰るのを待つ妻の気持ちをシミュレートしているのだと話したのである。

上村は日本での本作に対する一般的理解を、「自分が妻の気持ちになって、かえるは旦那さん……よく出かけるけど、たまにふらっと帰ってきてお土産を用意してくれている」と説明する。さらにアプリのネーミングについてはこのように話している。「蛙は昔から“無事帰る”という意味があって、日本では商売繁盛の縁起物であったり、旅行のお守りであったりというのが定番なんですけど、単純に“旅から帰る”ので“旅かえる”という名前にしました」

これらの発言は、中華圏のユーザーにとってまさに「寝耳に水」というもので、子を育てている親(自分)が実は「旦那さんを待つ妻」だったなんて聞いたら、口をポカンと開ける思いをするのも想像できる。「旅+帰る」というのも、「蛙」(青蛙)から「帰る」を連想できない中華圏の人々にとっては衝撃的な事実だろう。

ネット上で見られた、あるいはメディアに引用されたコメントの一部を紹介しよう――「蛙はクズ男」「無責任な夫だったなんて」「ハガキの中の蝶々は不倫の証拠か?」「何日も帰って来ないってまさか……」「おい臭い男、もうお前の面倒は見てやんないぞ。勝手に飢え死にしろ!」「夫だったらとっくに離婚」等々。

こんな風に、理不尽とも言える罵言が浴びせられた。もっとも、かえるが自分の子供だと何の疑問もなく思い込んでしまったユーザーにとっては、「かえるは息子ではなく夫だった」ことこそが理不尽だが……

お分かりでしょうか? ここでも確実に「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」が回っているのです。

まさしく「20世紀は遠くなりにけり」…