諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ノラガミ】その世界観においては「神=作品」「神器=制作側」?

海外でも大人気となったあだちとかノラガミ(2011年〜)」における神様の定義…

/(=・ x ・=)\ — 凸(。・ω・。)凸

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まずは大前提。神と人間の個人的関わりは直接接触がある期間に限られ、距離が開くと速やかに全てが忘却の彼方へと消え去っていく。

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  • 信者の信仰の形態が神の状態に直結する。例えば多額の寄進を受ければ金持ちに、多数の神社が建てられたら土地持ちになる。

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  • 自分の事を覚えてくれている氏子(信者)が一人もいない状態で死んだ無名神は、この世から存在した履歴ごと抹消されて消え去る。逆に安定して氏子(信者)が存続する有名神なら、死んでも死んでも再生し続けるが(全体像を俯瞰すると矛盾だらけの存在となる事を余儀なくされる為に)その都度の記憶欠落が不可避。
    http://redsketches.tumblr.com/post/170099886368/its-so-fun-drawing-a-snarky-baby-yato-i-always

    redsketches.tumblr.com

  • 神とは必ず何かしらの形での人間の願望の顕現なので、それ自体は全て善とされ一切の罪から解放されており、その行動が問題となった際にも決して自らは罪に問われない。代わりに神を善導する立場にある「神器」が罰されるのである。
    *「それ自体は必ず何かしらの形での人間の願望の顕現なので、全て善とされ一切の罪から解放されている」…これドゥルーズ=ガタリの「一切の哲学はそれぞれ相応の背景を有するので一切批判の対象とされるべきではない」なる指摘と密接に関係してくる気がする。批判されるとしたら常に「哲学そのもの」ではなく「哲学者」?

    *「神器」…その神に選ばれた元人間の家臣団。武器や防具でもあり、神は彼らを介して人間界に介在する。元来は放置しておくと人間界に害を及ぼすのみの亡霊に過ぎないが、名を与えられその記憶を封印する契約が結ばれてる間だけ暴走が抑えられ、有効活用される。

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  • 神器は原則として時期ごとに排他的に一人の神にのみ仕える。そうでない神器は必然的に「野良=正統性を失った蔑まれる存在」と目され忌避される。実際、「野良」は神から(正規の神器には到底任せられない)汚れ仕事を密かに任される事が多い。

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作中にはそのエスニックさが受けて日本に土着した金髪碧眼で洋装の「渡来神」、本家を騙って信者獲得を狙う「詐欺神」、クライブ・バーカー「キャンディマン(Candyman、1992年)」の様な「都市伝説が続く限り犠牲者の物語を蓄積しながら語り継がれていく祟り神」、「神化して広大なネットの海を漂いながら炎上商法で信者を増やす仮想アイドル」などもバリエーションとして登場。

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*物語中で繰り返されるのが「地上におけるアイドル・ビジネスとの相似性」。

 最近、ここでいう「」とは「作品」の事ではないかという疑問が脳内で急浮上… 

*ここで言及されている内容は、明らかに「(高低差や電位差とぃた)差異こそがあらゆる運動エネルギーの源(これが尽きると、以降何の変化も期待不可能な熱的死状態に到達)」なる熱力学的エントロピー論まで含んでいる。

ならば「神器」とは…「神器」とは…よく考えてみたら、かなりヘーゲル哲学における「人間の幸福は、民族精神(Volksgeist)ないしは時代精神Zeitgeist)とも呼ばれる絶対精神(absoluter Geist)と完全なる合一を果たし、自らの役割を与えられる事によってのみ達せされる」に近い概念だったりするのかもしれません。

ヘーゲル哲学はさらに人間が「事象の地平線としての絶対他者」との合一を果たすには、ある種の「個人としての死」を経る必要があるとする。これは禅の修行における「個我を超越し真我に到達する為の神秘的プロセス」とも重なってくる…

そしてもしかしたら…「ミザリー的熱狂的ファン」以前に「製作側」のメタファーだった? そしてもちろん、ここでいう「制作側」は二次創作も含んでいるという次第…あれ、気付くともう日本の高天原神話と全然関係ない世界に突入してる…いずれにせよ一刻も早くの連載再開を希望します。