諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【事象の地平線としての絶対他者】形而上学と実存不安は表裏一体?

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とっさに思い出したのが、カール・マルクスと同時期に反ヘーゲル哲学の論陣を張ったキルコゲールの「時空間を超えた彼方で自己実現の目標として待つイエス・キリスト」そして宮沢賢治がそれに対する憧れを文学として表現した法華経における「久遠の仏」概念…

つまり実存不安こそが形而上学の大源流であり、かつ形而上学の実践はそもそも必然的に実存不安を生み出すもの?