イタリアの戦艦の名前の由来、チェザーレ・ボルジアでなくオリジナルのユリウス・シーザー由来なのか…
千坂恭二氏の講演を聞いて印象に残ったことに「学者や批評家ではなくイデオローグたるには、法螺と党派性が必要だ(雑な要約)」というのがあったけど、これの対偶が「武装せざる予言者は必ず滅んできた」になるんだな。マキアヴェッリの方は長年いまひとつピンとこなかったんだけど、腑に落ちた。
— 厚木の人 (@atsuginohito) 2019年12月8日
だからこそチェザーレ・ボルジアは無謀と分かってても国民軍編成に余念がなかったし(残念ながら最後まで失敗し続ける)、NSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国家社会主義ドイツ労働者党)による政権奪取も常備軍の数倍という規模を擁し兵装もそれなりには授受実していた突撃隊(SA=Sturmabteilung)の存在抜きには語り得ないという…
本来実定法というものは正義という抽象的な観念を具体化したもののはずである。しかし、実際に実定法学を勉強してみても社会生活の便宜のために諸概念を操作して具体的事案を処理しているだけにしか思えないのだ。一体何故だろうか?私が偏見に囚われてしまっているだけだろうか?
— 鹿島倫太郎 (@five714) 2019年11月28日
むしろ法実証主義(英:legal positivism, 独:Rechtspositivismus)が 「(十分な火力と機動量を有する常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって養う)主権国家(Civitas Sui Iuris)体制と二人三脚の関係にあった事から再出発すべきなのかもしれません。この体制下では納税者と公共サービスの感受者が原則として一致する筈で、その利便が最優先という事になりますから(大英帝国における奴隷制廃止を巡る一連の法の制定と廃止の過程に見られる様に)所謂「正義」との関連性は思うより低いかもしれないのです。