諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】千坂恭二もネトウヨ?

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イタリアの戦艦の名前の由来、チェザーレ・ボルジアでなくオリジナルのユリウス・シーザー由来なのか…

だからこそチェザーレ・ボルジアは無謀と分かってても国民軍編成に余念がなかったし(残念ながら最後まで失敗し続ける)、NSDAPNationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国家社会主義ドイツ労働者党)による政権奪取も常備軍の数倍という規模を擁し兵装もそれなりには授受実していた突撃隊SA=Sturmabteilung)の存在抜きには語り得ないという… 

むしろ実証主義英:legal positivism, 独:Rechtspositivismus)が 「(十分な火力と機動量を有する常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって養う主権国家Civitas Sui Iuris)体制と二人三脚の関係にあった事から再出発すべきなのかもしれません。この体制下では納税者と公共サービスの感受者が原則として一致する筈で、その利便が最優先という事になりますから(大英帝国における奴隷制廃止を巡る一連の法の制定と廃止の過程に見られる様に)所謂「正義」との関連性は思うより低いかもしれないのです。

むしろ「戦争それ自体はあくまで冷酷無残で理不尽なだけだが、そのおぞましさこそが人類に進化を促してきた」なるユンガー思想を比較的忠実に再現していたのは宮下英樹センゴク・シリーズ(2004年~)」における上杉謙信とも。

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無分別なええとこどり」こそが最大の特徴でもはや左翼とか右翼なる定義で捕捉する事すら不可能なナチス・ドイツすらもてあまして全く取り込めなかった異様さ… 

で、こうした思想に惹かれる千坂恭二は実際にはこういう人な訳で。

facebookより

私自身、当時、17歳から19歳にかけての高校生から浪人生の頃に活動したが、必要なのは、体験的回顧ではなく歴史的意味を明らかにすることであり、それに基づく思想だと思う(残念なことに、1968年闘争の思想の生成の現象学はあるが、その思想はまだない)。

歴史的意味を明らかに出来なければ、1968年闘争の否定や矮小化に対する反批判は不可能であり、そればかりか1968年闘争は、昔、騒いだ大学生や高校生がいたね、という程度の話に終わるだろう。

私自身も1970年代には「自称」元学生運動家の教師陣の影響を色濃く受けている訳ですが、その過程で習得した「本物」感覚…

  • 実戦参加者ならではの現実主義的判断…今日なお幕末期に英国人外交官アーネスト・サトウが語ったとされる英国外交の骨子「噛む気がないなら吠えるな。噛み千切れる目算が立たないなら噛むな」を座右の言葉にし続けている。

  • 正しい行動は正しい思想によってのみ担保される思考様式…戦後無頼派を代表する一人だった坂口安吾は「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるフランス的行動主義を広めたが、もちろんそれだけで行動の正しさは担保されない。というよりむしろ無数の誤謬も含むのが常で「結果として正しかった行動」だけが淘汰されて残り、後世の思想によって正当化される。だからこそ思想の運用に厳格さを求める。

そういえばこのサイトでしばしば取り上げている「小数と対数の発見(2018年)」の著者の経歴もなかなかのもの。

日本の科学史家、自然哲学者、教育者、元学生運動家。駿台予備学校物理科講師。元・東大闘争全学共闘会議代表。妻は装幀家の山本美智代。

この人が提唱してる16世紀革命の概念を俯瞰しても「(革命の前提となるパラダイムシフトが起こったのは歴史のどの段階で、それに関わったのはどういう人々であったか」厳格に見定めようとする気概の様なものを感じます。政治区分というとマンハイムの様に(観測して向上が確認可能な数値の操作に関与範囲を限定する進歩派古典的自由主義と(あくまで全体を代表し総括バランスを言い立て続ける保守派社会自由主義に2分する考え方もあって、千坂恭二山本義隆はあくまで前者の立場に留まり続けようとしているのが実に清々しいのですね。科学実証主義の範疇に留まり続け様としない左翼なんてクリープしか入ってないコーヒーみたいなもの…もはやそれはコーヒー(左翼)じゃありませんよね?
*「クリープを使った料理レシピ」。そんなのまであるのか!! 「本当にそう感じるかについては個人差があります」。まさかの時に「お気持ち次第」?