*英国人作家ウィーダの手になる児童文学「フランダースの犬(A Dog of Flanders、1872年)」においてネロ少年とパトラッシュを自殺に追い込むのもこれ。(おそらく17世紀後半辺りから本格化した交通インフラ整備を背景とする)伝統的な牛乳配給網が、国際規模の産業の地方進出によって駆逐されていった景色の一環。日本においても戦後の電気冷蔵庫の家庭への普及が「氷屋」を駆逐した。
そもそも「国家神道」とは何ぞや? しばしば「天皇を頂点に衰退し、末端に家父長制を従えた超権威主義的システムの暴走」なんて表現されますが、残念ながら大日本帝国は別にドイツ帝国(1871年〜1918年)みたいに、皇帝ヴィルヘルム2世(Wilhelm II., 在位1888年〜1918年)の様な「バカ殿」が颯爽と現れ、やりたい放題やらかして、それで自壊していった訳ではないんです。むしろ「(元来の権威的システムでは末端に位置する筈の)軍人や官僚の独断専行によって暴走した」と表現した方が、当時の実情を正確に捉えているといえるくらいです。
エドマンド・バーク「フランス革命の省察(Reflections on the Revolution in France、1790年11月1日)」とトマス・ペイン「人間の権利(Rights of Man、1791年)」が有名だが、別にそれだけが全てだった訳でもない。当時における政治的議論の活発化が出版文化の規模拡大をもたらした上、「敗者の受け皿」として文学や児童書や(酒場や酒宴の席で合唱される)歌謡曲といったジャンルをも急成長させたのだった。 *急進派との対抗上、王党派やトーリー党員の論調も急速に洗練されていった。
「政治的に危険視された」スコットランド啓蒙主義の壊滅期であると同時に「許された反体制派」としての産業ホイッグの台頭期でもあった。ベンサムの功利主義は前者から後者に鞍替えする事で生き延びた。そして「(フランスの啓蒙学者)コンドルセと(英国のコスモポリタン急進主義者)ゴドウィンの社会改良論の影響から生まれた神学的功利主義者」マルサスが「人口論(An Essay on the Principle of Population、初版1798年、第二販1803年、第五版までに文章量が五倍に増大)」を発表し、経済学分野の専門化が進行した時代でもあった。
こうした時代が残した2つの落とし子、それがコスモポリタン急進主義者だったゴドウィンとウルストンクラーフトの娘メアリー・シェリーが執筆した「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein: or The Modern Prometheus、1818年)」と「(議会において遂にマンチェスター工場主が、国内毛織物業者とカリブ海農園主を破った)リフォーム・アクト」だったのである。 *そして、そのさらなる延長戦上に(啓蒙主義者コンドルセを起源と仰ぐ)「計算癖の全人格化の推進者」あるいは「数理にのみ忠誠心を誓う臣民」あるいは「社会的個人主義者」としてのジェームズ・スチュワート・ミルの「自由論(On Liberty、1958年)」と女性解放論が登場する。 奴隷貿易禁止 奴隷制度廃止 イギリスにおける奴隷制廃止運動