諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「総力戦体制時代の日本人」について

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太平洋戦争に敗戦した直後の日本への「子鹿物語(The Yearling、1946年、日本公開1949年)」「風と共に去りぬGone with the Wind、1939年、日本初公開1952年)」「シェーン(Shane、1953年)」といったハリウッド大作映画の流入。これ意外と「国家間の競争が全てだった」総力戦体制時代(1910年代後半~1970年代)の前半を軍国主義化への傾注、後半をどん底状態からの復興を成し遂げた高度成長期を象徴する流れとして重要。

元の歌詞と真逆の意味に翻訳されたディズニー・アニメ「白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs、1937年制作、1950年日本公開)」のこの歌も想像以上のインパクトを与えたといわれています。

ある意味当時の日本人にとって最大の衝撃は「戦時下のアメリカが同時期の日本と異なり戦争一色ではなかった事」だった事かもしれません。そしてこの衝撃こそが「民間企業やマスコミが総力戦体制時代から国民総動員の概念だけを継承した」産業至上主義時代(1960年代~1990年代)を準備したとも。そしてその過程で「(元来は欧州における王侯貴族や聖職者の悩みの種だった)究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成されるロマン主義的ジレンマ」の主体も国家から企業やマスコミに推移したのです。

さて、その過程で我々は一体何を見失ってしまったんでしょうか? しかもアメリカ人目線では、その文化は(同種の欠陥を抱えたまま)韓国や中国にも輸出されてしまった様なのです。

この問題については「エントロピー増大」という観点からも説明可能かもしれません。しかも「(ノイズ増大=エントロピー増大と考える)情報エントロピー論的アプローチ」ではなく「(ノイズ減少=エントロピー増大と考える)熱力学論的アプローチ」の方がしっくりきそうです。

絶対王政段階】フランス絶対王政は当初「国王が形式上、伝統的社団勢力間の絶望的対立を超越的に調停する機関として機能するシステム」として出発したが、やがてそれぞれの伝統的社団が自壊。「本当に国王が独裁者として君臨するのみのシステム」に単純化された結果、社会矛盾が引き起こすヘイトが国王にのみ集まる様になってフランス革命が勃発してしまった。

国家主義的段階】ナチスドイツも当初は「ヒトラー率いるNSDAPが建前上、国内諸勢力間の対立を超越的に調停するシステム」として出発したが「外敵を常に外側に想定し続ける基本構造」ゆえに対外戦争が不可避となり最終的には「ヒトラーを絶対的独裁者として頂く戦争遂行機関」に単純化される道を歩んだ。その結果、敗戦後にヒトラーナチスだけがスケープゴートとして切り捨てられる展開に。共産主義諸国も科学的マルクス主義形骸化によって、ほぼ同種のコースを歩む。

【産業至上主義的段階】産業革命がもたらす大量生産・大量消費は消費の主体を王侯貴族や聖職者からブルジョワ階層や庶民へと移行させたが、その過渡期において商品生産を担う企業や宣伝を担うマスコミの間で「誰が何を知り何を購入すべきか」自分達が超越的に指導しているという発想が生じた。しかしやがて消費者は次第にそれぞれ自らの多様化を追求する様になり、こうした意味合いにおける「主体性」は次第に彼らだけの妄想としか認識されなくなっていく。 

太陽王ルイ14世は遺言の中で「国王など所詮は対立の調停者としてのみ超越的君臨者として建前上敬われるだけの存在。本当に独裁者として君臨する様になったら全員から不満の捌け口に選ばれ真っ先に殺されるのみ」といった趣旨の事を述べています。「(王侯貴族や聖職者ではなく)産業従事者こそが国政を握るべき」と主張してフランス7月革命(1830年)を理念的に主導したサン=シモンも同様で、これが怖くてヒトラー率いるNSDAPは次々と「(国民の憎悪の捌け口としての)公敵」を次々と設定し続けねばならないジレンマに直面する羽目に陥ったとも。まずこの現実を直視しない限り未来など拓ける筈もない?

【雑想】「自分で決めない人生」の損益分岐点

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2016年は不思議なまでに「自分で決めない人生」を送る女性主人公にスポットが当たった年となりました。

ちょっとばかり「人間の幸福は絶対意思と完全合一を果たし、自らの果たすべき役割を得る事でしか得られない」としたヘーゲル哲学や江戸幕藩体制を安定に導いた「絶対忠義=滅私奉公」といった前近代的価値観を想起させられますね。現代人は「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに追い掛け回され続ける事に疲れ果ててしまったのかもしれません。

しかし現実にはこういう側面も。

 分岐点は、どうやら「自分で決めてない事についてどれだけ自覚的か?」「判断責任まで相手に押し付けてしまっているか?」あたりの様です?

これは案外重要な相違点…自分が頑張ってる人にとっては案外、自分が客観的に見て幸福か不幸かなど意識外なのかもしれません。そして、さらにその枠外に「リップヴァンウィンクルの花嫁」の皆川七海や「この世界の片隅に」のすずさんの様な「ぼうっとしてるが故に人生最大の危機を(御伽噺の主人公の様に)不思議な形で乗り越える人達」が存在しているという図式。日本民話の世界でいうと「意地悪爺さん」と「正直爺さん」の間を隔てる何か。

【雑想】決して報道されない「台湾の悲劇」

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「都合悪い話」は一切報道しない日本のマスコミ…

日本では「台湾が原発全廃を達成。国際的偉業!!」と報じられるのみ。それでも「より偏った」ネット情報よりはましらしいです。

 これが21世紀的正義の在り方?

【距離のパトス】【ピクチャレスク理論】「21世紀的問題」としての復活に至る?

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貴族主義へのノスタルジー維持を目論んだゴビノー伯爵やニーチェレヴィ=ストロースが想定した「距離のパトス(Pathos der Distanz)」理論。

*距離のパトス(Pathos der Distanz)…例えば「貴族=特権階級」の撤廃はエントロピー理論的に「伝統的にエネルギー変換の恒常を担保してきたシステムの失陥」を意味し、究極的には人類の衰退を加速させるといった思考様式。

その概念の成立に当たって「保守主義の父」エドモンド・バークの美学論が重要な役割を果たした「ピクチャレスク(Picturesque)」理論。

*大災害などの「日常の裂け目」を中心に展開する世界観の大源流には「距離のパトス」理論同様に「貴族の優美さは下層階層の粗野な実生活と対比される事によって一層引き立つ」とする貴族主義が潜在している。

これまでの私の投稿に対するアクセス状況から逆算するに、日本人はこれらを「ベルサイユのばら」的な華麗なる王朝文化と「御当地グルメ自慢合戦」の二軸で理解している様です。
*「ベルサイユのばら」の世界オーストリアユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig、1942年)が「フランス革命絶対王政を打倒する事によって人類は新たな進化段階へと突入した」と考えたがるフランスの進歩主義的歴史館に真っ向から反対する形で執筆した評伝「マリー・アントワネットMarie Antoinette、1932年 )」を原案とする。

*「御当地グルメ自慢合戦」…王侯貴族や聖職者とブルジョワ階層ら庶民階層の葛藤を「垂直方向に広がる距離のパトス」とするなら「水平方向に広がる距離のパトス」。日本では江戸幕藩体制下における未曾有の観光旅行ブームにその起源を有する。

一方「特権階層撤廃は人類の文化の衰退を加速させる」なる貴族主義と鋭い対比を為すのが「産業革命による大量生産・大量消費の時代の到来によって王侯貴族や聖職者に代わって消費の主体となった)大衆がそう望むのだから、娯楽供給者側は「大衆が望むもの」のみを、しかも限りなく安価(究極的には無償が望ましい)で供給し続けなければならない」とする「消費者原理主義」となります。
*「大衆が望むもの」…それが何かは随時節操もなく変貌し続け、その事によって生じた倫理的矛盾は全て娯楽供給者側に対する根本的軽蔑に皺寄される。もはや宗教や封建主義体制なんて目じゃない暴君振り?

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【総力戦体制時代】【産業至上主義時代】【多様化の時代】朝日新聞は如何にして生き延びてきたか?

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朝日新聞経営陣は敗戦直後には「新聞社の最大の責務は社員を食わせ、あらゆる脅威から守り抜く事にある。我々は少なくともその責務は完遂した(だから軍部に迎合したプロパガンダ活動について責任を問われる謂れなど一切ない)」と開き直った社説を発表。この見解が社外どころか社内にすら通らず「1945年11月のクーデター」が勃発した遠因の一つとなり、戦後朝日新聞の基盤が築かれる事になったとされています。

だが「新体制」もまた「旧悪」を遥かに超えた高みへの到達は目指せなかった様なのです。そもそも現代は既に「国家間の競争が全てだった」総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)をも「当時から企業とマスコミが国民総動員の概念だけ継承した」産業至上主義時代(1960年代〜1990年代)をも乗り越えてきた「多様化の時代(1970年代?〜)」。どうやら「朝日新聞とは何だったのか」については、そうした時代性も含めて振り返らなければならない様なのです。

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