今はもうない、とある日韓翻訳掲示板で韓国人と一緒に歴史資料の検討をしてた時期があるんですが、その時韓国人側から「これだけは許せない」と執拗に言われ続けたのが新聞記事における「良鮮人」と「不逞鮮人」の恣意的使い分けでした。まぁ大杉栄と親交のあった朝鮮人無政府主義者などはこれを「太ぇ鮮人」と言い換えて「日本人差別主義者から本気で恐れられてる証拠」と開き直ったりしてた訳ですが、要するに「(する側が認識出来ない)差別」の典型例。…
こうした「反日教育の典型的エビデンス」も韓国人側ニュアンスでは随分違ってて、むしろ「ずっと反共イデオロギー最優先教育に忠実だった老害教師が、容共路線の時代に迎合してターゲットを切り替えただけ(アルフォンス・ドーデ「最後の授業(La Dernière Classe、1873年)」みたいに「切り替えの瞬間」に立ち会った経験者もまだ多数が生存)」と捉えられてました。私がこれまでの投稿で述べてきた「日本人も韓国人も政痴はどうにもならない」は、こうした経験から得てきた結論です。
そう、こうした連中は末期大日本帝国における特高警察が(元来の取り締まり対象だった)反体制的な社会主義者や国粋主義者や無政府主義者を狩り尽くすと、今度は活動範囲を新興宗教団体弾圧や言論統制や国民風俗粛正にシフトしていった様に「狡兎死して良狗烹らる」状況を恐るあまり「無制限に叩いて良い絶対悪」が途切れる事をこそ「人道主義や人類平等の権利への侵害」と捉えてしまうのです。戦前最大のマルクス主義理論家戸坂潤が指摘した「究極の自由主義は、誰かの専制の徹底によってのみ達成される」自由主義のジレンマの典型例…
続きを読む