最近マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督作品「レッドタートル ある島の物語(英題:The Red Turtle、仏題:La Tortue rouge、2016年)」について、ちょっとした数の投稿をまとめて行いました。このサイトの良いところは、それを誰がどういう検索ワードで引っ掛けてるか見せてくれる辺り。
CATSUKA - Artworks by Michael Dudok De Wit for his animated...
- そもそも日本人の多くはフランスの評論家がこの作品をダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe、1719年〜1720年)」のフランス版と表現した事自体を知らない。評論家も誰一人としてあえてそれについて語ろうとしなかったし。もしかして私の投稿で知った人も少なくない?
La Tortue rouge — Wikipédia
- そして日本語環境で「ロビンソン・クルーソー」を検索すると「松岡正剛の千夜千冊:ダニエル・デフォー『モル・フランダーズ』」なんてのが筆頭に引っ掛かってくる。もし作中に登場する男がロビンソン・クルーソーなら、女はモル・フランダースで、そのフランス版といったらマルキ・ド・サド「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え(l'Histoire de Juliette ou les Prospérités du vice、1797年〜1801年)」のメインヒロインって事になっちゃう?
1173夜『モル・フランダーズ』ダニエル・デフォー|松岡正剛の千夜千冊
この辺りが検索されてる範囲の限度なら、仕切り直した方が良さそうです。
- マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督は画面内での展開を全て完全にコントロールしようとするタイプの監督で、そのアプローチは「人間は何かに執着し抜く事によって三昧の境地に導かれる事もある」状況を描いているうちは完全に成功していました。
- しかし、この作品において「人間は何かを諦める事によって逆に三昧の境地に導かれる事もある」といったテーマに挑戦した途端、ある種の根本的瑕疵を露呈する事になったのです。しかもそれがどんな瑕疵か、見る人によって「誰が何を諦めたか」解釈が異なる為についてのコンセンサス形成が難しい。そのもどかしさがこの作品の評価を難しくしているともいえましょう。
*ここでいう根本的瑕疵って、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の作風のそれというより欧米文明のそれという気がする。そして、その隙を突いてきたからこそ、現在の日本製コンテンツの国際的人気があるのだとも。
- 一方、国際SNS上の女子層は微積分計算によって極限値を算出する様な発想の飛躍を用いて一つの結論に到達しました。「かぐや姫の物語(2013年)」の高畑勲監督が一枚噛んでいる以上、この作品もおそらく究極的には「人間は生きてる事自体が罪で、一刻も早く死んだ方がマシ」と観客に伝えたいのであって、そういう作品はもう見たくないのだ、と判断したのです。誰も「違う、そういう作品じゃない」と擁護出来ない辺りに、この作品の根本的瑕疵がありそうです。
*何が恐ろしいってそうした国際SNS上の女子層、その一方では庵野秀明監督作品「シン・ゴジラ」の内容を知って「私達は鎌田君!!」とか言い出してる。どうやらマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督、「魚に逃げ切られた僧侶」状態に陥った模様。殴って殺したら妻に化けて添い遂げてくれるなんて、ファンタジー世界だって有り得ない?
そして全体的に状況を俯瞰すると、今年のエンターテイメント作品は「赤き死の象徴」大会になった趣があって、国際的SNS上での閲覧数でこういう順位がついたとも。
- 「シン・ゴジラ」の鎌田君…「怖がられても嫌われても一生懸命成長を目指す辺りが健気」と若い女性層の同情票を集める。
- 「君の名は」の彗星ティアマト…まさしく美(誰もがその美しさに息を飲む)と戦慄(迂闊に近づいた者は全て死ぬ)が同居するPicturesque概念の究極。ラブクラフト御大が目指して到達できなかった領域に到達した?
- 「レッドタートル」の赤海亀…「こんなにも男にとって一方的に都合が良い女(死神)なんてファンタジーの世界にもいねぇよ」と世界の半分(女性層)に猫またぎされる。
そういえばどの作品も死を扱いながら「流血を伴う直接表現」は完全に避けてましたね。その辺りに21世紀的コンセンサスなるものがあるかもなのです。
このサイトのアクセス解析によれば、全体的に参照数は低調だったのですが、そんな中で相対的に「レッドタートルなる作品、海外女子には不評」なる話題が比較的検索に引っ掛けられた様です。やはり気にしてる人は気にしてるみたいなんですね、あの展開…
『レッドタートル』改め「怪奇!孤島に出現、亀女の恐怖!」は、前半は超ホラー演出が羅列されて鑑賞中の切迫感が半端なかった。し、死ぬぅ!い、息が!空気!酸素!と、台詞が皆無だからこそ”聞こえてくる”声があった。赤亀も「そなた…ワシと勝負じゃ」って勢いでアタックしてくるし…恐怖映画…
— ᔕǦ (@IllmaticXanadu) 2016年10月2日
砂の女解釈で見ちゃったから、無茶苦茶ホラーだが、慮るあまり化けて出る亀もやっぱりホラーだと思う、、、って寝れねぇ!!寝ないと……レッドタートル怖い…… >RT
— 或 犬良 (@inuyoshi_aru) 2016年10月7日
今日はお休みだったので、レッドタートルを観ました。一般受けはしなさそうだけどよかった。Coccoの強く儚い者たちが合いそうな世界観だった。幻想的で想像の余地があって、ちょっとだけ怖い、みたいな。あとカニと子どもが可愛くて癒された。
— とりたみら (@TORITA_MIRA) 2016年10月5日
レッドタートル見た〜スッッッゴイ綺麗だったな〜!あと亀が意外と大きくて怖い
— shakure (@kimitoanoumi) 2016年9月29日
「レッドタートル ある島の物語」全体的に穏やかで端正な作品。お話自体は結構怖いなと思った。こんな作品が普通にシネコンにかかるなんて。ジブリの力を思い知る。「ソング・オブ・ザ・シー」もこのぐらいの上映規模だったらなあ。そして「まんが日本昔話なら15分」と書いた方の慧眼に唸る。
— Vonnel Green (@vonnel_g) 2016年9月26日
『レッドタートル』は安部公房の『砂の女』的視点で見ると凄まじく怖い映画。『砂の亀』おお怖w。
— なーちゃわ (@na_tyawa) 2016年9月17日
『レッドタートル』日本語字幕版。『ガルパン劇場版』だと「砲撃音:どーん」みたいに「それがどんな音か」字幕に出るけど『レッドタートル』にはそれがない。「蟹の足音」とか付ける必要のない字幕はある。コレ、字幕担当者がなんのために字幕付けるのか理解してなかったんと違う?
— hoshinoruri (@hoshinoruri16) 2016年10月13日
レッドタートルは漂流者の性欲のメタファー
— 中原芽衣 (@nakaharamei) 2016年10月11日
子を産み育てて一人立ちさせるという、生物として当然かもしれないけど、このご時世難しいことを突きつけられた気がする……こりゃ、女子高生と入れ替わったり尻尾からビーム出してる場合じゃないぞ
— NBにゃん (@twnabewt) 2016年10月10日
#レッドタートル
#君の名は:彼の声、彼女に届かない(時空を隔てて入れ替わってるから→スマホでやり取り) #聲の形:彼の声、彼女に届かない(彼女の障害のため→手話で) #レッドタートル:彼の声、彼女に(観客にも)届かない(喋らない演出のため→目線や仕草で) 察してあげる努力が大事、な3作品でした。
— えくすぺりゅんZ3 (@experyunZ3) 2016年10月10日
「レッドタートルある島の物語」
— ミュー (@0720032maro) 2016年10月10日
最近みないけど野良ちゃん(オス)とかが人間化してくれたら良いなとか思う。
#レッドタートル 見ながら心の中で突っ込み
— シン·半可通 (@tochimenbow) 2016年10月9日
なんで火を起こさないんだろう?(道具はないからかと思ったがずっと後で火を焚いてるからますますわからない。)
ほら蟹に食われる。(この物語の蟹は食物連鎖の体現者のように描かれていて可愛らしく見えて実は何でも食ってやろうと虎視眈々
『レッドタートル』観たよ!!
— twi-muu (@twi_muu) 2016年10月15日
いい映画やった…
ところで、この物語では女の人のところに男の人が来たのだと思いますか?それとも男の人のところに女の人が来たのだと思いますか?それともその両方でしょうか。
『レッドタートル』ってこんなハナシ。
— hoshinoruri (@hoshinoruri16) 2016年10月13日
・嵐で無人島に打ち上げられた男に一目惚れしたアカウミガメが、自ら男に殺されることによりヒトの女に生まれ変わり、男と男の命が尽きるまで無人島で楽しく暮らし、海へ還っていく。
嘘じゃないよ?
どうしても日本だと安部公房「砂の女(1962年)」見立てが多くなる様ですね。それはそれとして Coccoの名前を見て岩井俊二監督作品「リップヴァンビンクルの花嫁(2016年)」を思い出しました。そういえばあれもやはり「死神物」。しかも「冥界神」と「地上の名代」が分離した本格的構造を採用した傑作。
*実は新海誠作品「君の名は」やトム・ムーア監督作品「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(Song of the Sea、2014年)」にも、この「冥界神と地上の名代の分業」なる要素はちゃんと盛り込まれてる。ただし物凄くデリケートな扱いを要する話題なので、どちらも非常に複雑なアプローチをしている。その点は「リップヴァンビンクルの花嫁」も同じ。
実は物語文法的には「レッドタートル」の赤海亀を巨大クラゲに差し替えて、波打ち際に打ち上げられて乾涸びたクラゲから全裸のCoccoが這い出してきても全然アリなんですね。
*実は「ましろ」と「ななみ」のダブル・ヒロイン体制だった「リップヴァンビンクルの花嫁」って鴨志田一「さくら荘のペットな彼女(2010年〜 2014年、アニメ化2012年〜2013年)」の本歌取りだったのかもしれないと思った。その上で「ただこの物語のましろはCoccoだったのです」なる設定変更が全てを破壊し尽くしていく様を楽しんだ。「死神に標的に選ばれた犠牲者」役を振られた黒木華や「地上の名代」役を振られた綾野剛の演技も完璧だったけど、誰も「レッドタートル」と関連付けては語らない…「波打ち際に打ち上げられたアレの遺体から全裸のCoccoが這い出してきた」時点で全てが予測不可能の領域に突入しちゃうからかな?
そういえば、物語文法上「レッドタートル」 における「冥界神の地上の名代」って、あの「浜辺の蟹さん達」って事になるんですね。その事自体についてはウィリアム・ゴールディング(William Golding)「ピンチャー・マーティン(Pincher Martin: the Two Deaths of Christopher Martin、1956年)」と見立てた私も全面的に賛同せざるを得ないのですが…みんな「この作品において唯一無条件に可愛いと呼べる存在」とかベタ褒めしてるのがかえって怖い?