諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ナショナリズムの歴史外伝① 思わぬ人物がフランス料理を絶賛?【フランス大統領選】

これまでフランス料理について褒めてる様な貶してる様な微妙にアンビバレントな立場を貫いてきました。 

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その一方で、思わぬ人物がこれを絶賛してて吃驚。

フランシス・フクヤマによると「大きな政府」に根本的な疑問を投げかけこれを徹底的に解体してきたはずのアメリカなのに、なぜ自分たちがイラク大きな政府をつくれると思いこんでいるのだろうかという。

ヘーゲル右派、ブルジョアの自由の擁護者と考えていたが、「歴史の終焉」という考えを修正しているともいわれた十年前に、BBCのラジオ番組のインタビューでフクヤマが何を言うのかと興味をもった。が、インタビューでは政治を語るときの重い雰囲気はなく、寧ろ機知とユーモアのなかで、フレンチ・レストランに関する意外な話で盛り上がった。現在グローバル時代は、フランス革命の普遍主義は、お金さえ払えば人種に関係なくどんな人も客として平等に!迎えてくれるフレンチ・レストランにおいてこそもっとも体現され継承されているというのだ。

常の事として、あまりに説得力をもつわかりやすい話は警戒しなければならないが、普遍主義としてのフレンチ・レストランはフクヤマの考えの核となる部分をあらわしているのかもしれない。

えっ? 「フランスの普遍主義に対する姿勢」って、そんな感じでいいの?

近代国家の形成とナショナリズムのあり方

フランスは、近代国民国家の典型例としてしばしば挙げられる。フランスのナショナリズムの特徴を一言で述べるなら「普遍原理に根ざしたナショナリズム」ということになろう。以下、フランスのナショナリズムの特徴についてみていく。

一般的に、ナショナリズムは、国家や自民族の固有性を自分たちにしか理解できないようなものとして掲げ、排他性を打ち出す偏狭なものとして理解されている面があると思われる。しかし、フランスのナショナリズムにおいてはこれが当てはまらない。フランスのナショナリズムは、自分たちの文化は他の世界の人びとにも理解可能で、そして実際受け入れられている普遍性のあるものとして打ち出される。このような「普遍原理に根ざしたナショナリズム」のあり方は、フランスという国家のどのような固有の形成のされ方に依るものなのだろうか。

近代国民国家の理念はフランス革命によって誕生したと言われる。それでは革命政府は、どのように国民国家の形成に取り組んでいったのだろうか。

フランスの国民国家形成は、中央で起きた革命によってもたらされた価値観・政治形態を、地方へと波及させていくかたちで行われた。フランスにおいて国家(ナシオン)とは、普遍原理への到達を目指して地方勢力を打倒しながら、政治共同体を形成していくものである。普遍主義を掲げる革命政府にとって最大の課題は、残存する地方の王党派や教会勢力を打破することであった。中央政府は「自由・平等・博愛」を掲げ、封建的な地方勢力を徹底的に払拭していった。この革命政府が何を目指したかは、議会に集う代議士は、地方の県を代表するのではなく、国民全体を代表するというフランスの議会のあり方によく現れている。フランスの住民全体を一個の「国民」とみなし、代議士はその国民の一般意思を代表するというかたちをとることで、王党派の多い地方出身の議員が「県の代表」の名のもとに中央政府に反抗することを不可能にしたのである。

ここでは普遍的理念のもとに、地方の封建的中間集団を破壊することによって、身分制から解放された近代的「個人」が生み出され、普遍的理念を追求する国家のもとに結集するという図式がとられる。封建的中間集団から自由になった人びとは、地域性を超えた国家大の共同意識に目覚めた「国民」となる。そしてこのような「国民」の一般意思を最も体現するのが革命政権であるという位置づけがなされる。このように政府が国民の意思と一致した状態が「民主主義」であり、人びとの公共心は国家という場にもとめられる。人びとの公共心の対象は、中間組織に求められるのではなく、個人と国家が一体化した国民国家にたいして求められる。ここでは「個人および国家」と、中間集団とは対立項をなす。

この図式においては、地方の伝統文化・土着文化を打ち出す人びとは国家分裂主義を打ち出すものとみなされる。また、フランスにおいてナショナリズムに批判的な立場をとる人びとは、愛国心の前提となっている近代的主体の形成を疑うか、もしくは前近代的共同体を賛美するという姿勢をとることになる。

それではフランスのナショナリズムが排他的・暴力的に働く場合は、どのような論理がとられるのだろうか。

上に確認したように、フランスのナショナリズムの特徴は普遍原理に根ざしていることであった。そこでは封建制を打破することで「国民」がつられていくという認識にたっているため「つくられるもの」は決して偏狭なものではなく、むしろ未来性があるものとして考えられる。また普遍性に依拠しているため、「伝統」より、科学技術、理性、議会制民主主義など、より進んだ普遍的なものが重要視される。

このようなナショナリズムは、植民地をつくる上では「文明」の輸出という論理として働き、国内のマイノリティーに対しては同化主義として働く。例えば移民政策の局面においては、フランスに同化することができた場合にのみ国民としての資格が与えられ、同化できない場合は「文明に対し遅れた人たち」とされ人種差別の対象となる。人種差別は、人種の本質的差異を強調するのではなく「文明的に遅れたやつら」という形態をとることになる。このようなナショナリズムのあり方は、少数民族を多数含んだ国家にありがちな形態だということができる。

そして現在は…

 気づくと「左と右の一騎打ち状態で、どちらが勝ってもEU解体」みたいな物凄い展開になっちゃってる?

イギリスの欧州連合(EU)離脱、アメリカのドナルド・トランプ大統領当選など、いずこを見ても、既存の政党のいずれにも期待しない人々が今、どんどん増えている。それはなぜなのか。その根本にあるのが、これまでの政党政治を支えてきた基盤である、中産階級の崩壊という現象だ。少なくとも二大政党政治が機能する前提は、安定した党の支持基盤を持つことである。

安定した支持基盤は、安定した中産階級の存在によるところが大きい。労働者、農民、小規模経営者、プレカリアート非正規雇用者や失業者)など、さまざまな利害の対立は、小規模政党の乱立を生み出す。こうした層が、すべからく中産階級(言い換えれば市民)という、ひとつの幻想によって統一されることによって、二大政党制は出現したといってよい。

しかし、グローバリゼーションによって、先進国では中産階級の崩壊が起こった。今回のフランス大統領選の争点は、移民、テロ、失業、経済成長、治安の問題であるが、どの問題を見ても、グローバリゼーションによって生み出された問題であるといえる。海外に移転した企業は、国内で自国労働者の雇用を減らし、低賃金の移民労働者の雇用へとシフト、それが失業率増大と治安悪化を生み出し、テロの温床となってしまった。さらに、リーマンショック以後の経済悪化が絡み、失業率は高止まりし、年金や生活保護の金額は低下、市民は中産階級としての幻想すら、もはや維持できなくなってしまったのである。

もちろん、EUによる経済発展とグローバリゼーションによる経済発展が達成されれば、こうした状況から脱却できるかもしれない。しかし、オランド政権下で進められた経済の自由化政策は、経済成長を実現できるどころか、大きな批判と失望をもたらしただけであった。そこで多くのフランス人は、EU参加と経済自由化による成長を主張する社会党共和党から離れていったのである。2つの政党は中央左派と中央右派、つまり中央派となり、その周縁にいた極右と極左が、いつのまにか右派と左派になってしまったのだ。

 最近国際的に話題となってる「(欧州発の)現状維持派(漸進派=中道左派中道右派の連合状態)と現状懐疑派(急進派=極右と極左の連合状態)の対峙構図への再編」って、こういう具合に進行してきたんですね。