諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

言語ゲーム(Sprachspiel)としての神話①  狩猟民族の「天空神」から農耕民族の「天候神」へ。

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ある意味、コンピューター言語の概念の大源流は「後期ヴィトゲンシュタインいうところの言語ゲームSprachspiel)」だったりします。

もし「言葉」の体系を「共通したルール(たとえば文法や辞書的定義)」を共有することで意味を伝達するシステム、と定義するなら、我々の言語が確かに「通じている(100%意味を伝達している)」ことを証明することは、たぶんできない。

すっかり参ったヴィトゲンシュタインは、草原でサッカーに興じる子どもを眺めていた。「オレは、言語というものを、きっちりと決められたルールに従って運用されるシステムだと思っていた。たとえば、目の前でサッカーをやってる子ども達のように。けれども、その根幹が、本当はこんなにあやふやなものだったなんて!」このとき、ヴィトゲンシュタインは、「言語の意味や定義さえ完璧なら、あらゆる哲学上の問題なんて一瞬で解けるんだよ!(ドヤァ」とやってた過去の自分(前期ヴィトゲンシュタイン)の思想が、完全に崩れ去ったことに落胆していただろう。

ぼーっと子どもらを眺めるヴィトゲンシュタイン

そのうち、妙なことに気づいた。なんか、一人の子がボールをもって走り出した。「おい、サッカーじゃなかったのか? ラグビーか何かか?」。ところが、今度はボールをぶつけ合いはじめた。「おい、君ら何をやってるんだ?」そのうち、一人の子が高くボールを投げたのをきっかけに、なんだか高く投げ上げる競争のようなことをはじめた。「おい、一体何を……」「一体どんなルールでやってるんだ…どんなルー……」その瞬間、天啓が走った。ルールがあるように見えていたのは、幻想だった。ルールなんてなく、彼らはただ遊んで(ゲームをして)いただけだった。つまり、ルールなどなくても、ゲームをする上で支障がなければ、ゲームは続くのだ。人は言語を使って「ルールに基づき意味を伝える」という作業をしていると思っていたけれども、本当は、ただ「言語を使って遊んでいた(ゲームをしていた)」だけだった。ルールは「やりながら、その都度でっち上げて」いるんだ。それで物事は、進むのだ。

これがつまり、後期ヴィトゲンシュタインと呼ばれる思想の根幹となった「言語ゲーム」という思想だ。

前期ヴィトゲンシュタインが考えていた「ルール→意味」という静的なシステム論に対して、後期ヴィトゲンシュタインは「そこにルールなどない」。ただゲームをするときのように、言葉の「使用」が先にあって、意味やルールはあとから付いてくるものなのだ、(つまり、前期ヴィトゲンシュタインが主張した「先に定義を完璧にすれば」云々というのは、その前提となる言語観から間違っていたということになる。)言葉の意味とは、「言葉がどのように用いられているか」ということに過ぎない(「言語の意味とはその慣用である」)、という動的なシステム論を唱えたわけだ。この動的な言語観や、それに基づく汎用性の高い動的なシステム論を「言語ゲーム論」という。

もちろん、実際の各コンピューター言語の世界においては、ここまで完全に無条件な形での意味論的変遷など許されてはいません。同時にカバラー(ユダヤ神秘主義)的 / スーフィズムイスラム神秘主義)的 / 密教&禅(仏教神秘主義)的「言語神秘学 / 観想の神学」の延長線上に現れた以下の「コンピューター・アーキテクチャーの三味一体論」の制約下にあるからです。

  • 「操作者(The Operator)」…CRT(Cathode Ray Tube、俗称「ブラウン管」)や液晶モニターを通じてフィードバック / フィードフォワードを受けながら、キーボードやマウスやタッチパネルの様な入力デバイスを操る。
    *コンピューター側にとっては、こちらが「事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者」となる。

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  • 「OS(Operating Syste)」…操作者による働き掛けをCPU (Central Processing Unit=中央処理装置)に伝える役割を総括するカーネルコア(Kernel Core=全てのイベント待ちループの頂点に君臨する空ループ)を中心に構成される。
    *コンピューター言語によって執筆される「書物(Text)」の一種でもある。

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  • 「コンピューター(Computer)」…CPUに接続された各種デバイスをOSからの指示に従って制御する。
    *言語神秘学 / 観想の神学的には「術者=操作者」の「操作対象としての神=OS」に対する働き掛けに応じる「世界そのもの」に該当する。

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その一方でVR(Virtual Reality = 仮想現実)技術の導入は「言語神秘学 / 観想の神学」がその言語依存性故に一旦は外側に追い出さざるを得なかった「(儒教律宗の様な行動神秘学」や「(「不立文字」概念を中核とする禅宗」の様な行動療法的世界観に再照明を当てる展開を生み出しつつあります。「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるフランス / 米国式行動主義、および「コンピューターによる脳の再プログラミング」なる概念を打ち出したティモシー・リアリーのサイバー哲学が改めて見直される展開となったのですね。

*「旧儒教」…皮肉にも孔子自身が立脚した(愚直なまでの)礼厳守主義や禅の立脚する行動神秘主義を全否定して「格物致知」の概念に到達した朱子学などの「新儒教」は一周して時代遅れとなってしまった。

GUI(Graphical User Interface)概念を初めて単一機器に統合した伝説のコンピューターであるAltoは、しかしゼロックス役員の心に何の感動も呼び起こさなかったのである。「コンピューター操作なんて(それまでタイピングを担当してきた)女性秘書に任せればいいだろ?」。かくして「国家や企業や男性の優位を認める(再版)家父長的世界観」の破綻は進行していったのである。

ゼロックス社長のデヴィッド・カーンズは、のちにアルトのプレゼンテーションを「テクノロジーの祭典」と呼び、「テクノロジーの未来を見たと誰もが口々に言っており、非常に印象深かった」と振り返っている。だが、プレゼンテーションを終えたPARCのチームは、幹部のそんな熱意などまったく感じなかった。

それどころか、その場で実際に体験できる時間を設けた際、アルトの前に座ってキーボードを操作し、マウスを試していたのは、ゼロックスの幹部ではなく彼らの妻たちだった。キーを打つのは女性事務員の仕事と考えているらしい夫たちは心を動かされた様子もなく、腕組みをして会場の端から遠巻きに眺めているだけだった。

研究員のひとりは、ある幹部役員がこう言ったのを耳にしている。「男であんなに早くキーを打てる人間は見たことがないな」。つまり、明らかに目のつけどころを間違えていたのだ。

*「国家や企業や男性の優位を認める(再版)家父長的世界観の破綻」…考えてみれば家電普及による家事負担の軽減、重機普及によるガテン系業界への進出など、テクノロジーの普及は女性の社会進出 / 地位向上に重要な役割を果たしてきた。「第三世代フェミニズムの重要なアイコンの一つ」ともなっている任天堂のTVゲーム「メトロイド(Metroid、1986年)」の主人公サムス・アラン(Samus Aran)が宿敵の筈のメトロイドの完全殲滅を望まないのも故なき事ではないという次第。

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かくして、ハイデガーいうところの「包括的真理Aletheiaへの到達を目指すベクトル」と「集-立Ge-Stellシステムを追求するベクトル」の鬩ぎ合いは新展開を迎えるのです。ある意味それは「(可能な限り単一言語で全てを語り尽くしたいソフトウェア屋の世界」と「(なまじデバイス毎に追求する集-立(Ge-Stell)システムが異なる現実に慣れ親しんでいるせいでソフトウェア屋(経済至上主義者)が何を言ってるのかさっぱり分からないハードウェア屋の世界」の対峙に呼応するとも。

文系脳と理系脳は、何が違うのか? | インプロ部

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*後者はほぼ「理系=技術至上主義」に対応するが、「文系概念」に対応する前者はさらに集-立(Ge-Stell)システムの一環として(敗者救済システムも含む)経済効率追求を求める「(技術至上主義と相性が良い)産業至上主義」と「例外状態」や「敵共理論」といったカール・シュミットの党争哲学上の諸概念に立脚する「(技術至上主義との相性が必ずしも良くない)政治至上主義」に大別される。そしてここでいう「政治至上主義」はさらに「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」自由主義のジレンマを自己絶対化によって超克する事で完全に実証主義科学の枠外へと逃げ切った「絶対主義的ロマンティズム」をも内包している。

*「絶対主義的ロマンティズム」…「男には自分の世界がある。例えるなら空を駆ける一筋の流れ星(ルパン三世のテーマ)」なる表現こそ美しいが、一歩間違えば「中華人民共和国北朝鮮には自由主義圏には存在しない真の自由がある。正義が一切の掣肘を受ける事なくただちに遂行される自由だ!!」なる(法実定主義(英legal positivism, 独Rechtspositivismus)に立脚した絶対王政の延長線上に登場したスターリニズムを典型とする)マレ主義へと辿り着いてしまう。そう、まさに英国人作家ジョゼフ・コンラッド「闇の奥(Heart Of Darkness、1902年)」を原作とするフランシス・コッポラ監督映画「地獄の黙示録(Apocalypse Now、1979年)」に描かれた「カーツ大佐の天国」の世界。

こうした歴史的展開の大源流をどこまでも遡っていくと、始原に現れるのは神話世界における狩猟民族の「天空神」から農耕民族の「天候神」への推移とも。

狩猟民族の「天空神」から農耕民族の「天候神」へ。

神話学者のエリアーデは、天空神から天候神への変遷は、狩猟民族から農耕民族への切り替わりを意味するとした。天体を見て、その周期的な動きに驚嘆している太古の人類は天を神として崇めるが、農業を始めると、風雨が重要にとなり、単純な天空神から(恵みの雨をもたらしてくれると同時に、旱魃や暴風雨や河川の氾濫や洪水なども引き起こす懐柔が不可避の存在たる)天候神を崇拝するようになるという次第。そしてその変化は風神(あるいは大気神)の誕生に伴う天地分離の神話で説明される事が多いという。

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  • メソポタミア神話でも「風の主人」を意味する天候神エンリルが最高神として崇拝される以前の時代には、天空神アンが最高神として神々の上に君臨していた事が様々な考古学史料から明らかになっている。そのうち一つによれば太古には天空の神アンと大地の女神キは分離していなかった。しかし彼らが交わって風神エンリルを産むと、このエンリルによって天地は分離されたのだという。
    *詳しくは語られないが、アンは天を運び去り、エンリルは大地の女神キと交わって地上の支配者となったらしい。

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  • エジプト神話もまた、大地の神ゲブと天空の女神ヌゥトがくっついて離れないため、大気の神シュウが間に入って、天地を分離したと説明する。これに関連してしばしば、手と手、足と足をくっつけて離れまいとするゲブとヌゥトの間に入って、天空神ゲブを押し上げているコミカルなシュウの姿が描かれる。
    古代エジプト王朝時代の灌漑農業で重要なのは天候予測よりむしろ天体観測によるシリウスの出現時期の予測だったので元来天候神が占める役割を「星の秘法の継承者(最初は太陽神ラーが独占していたが、後に女神イシスに盗まれる)」が担う展開を迎える。

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  • ギリシアローマ神話に最初の方向性を与えたヘシオドスの「神統記(紀元前7世紀成立)」もまた天空神ウラノスが大地ガイアと交わって覆いかぶさったところを息子クロノスが鎌でウラノスの男根を切り取ったとされ、これによって天地の分離が説明されている(そして海に落ちたこの局部から愛欲の女神アプロディテが産まれ、キュティラ島とキプロス島を経由してギリシャ文化圏に伝わったとする)。これは紀元前9世紀以降、ギリシャ人に先行して地中海貿易を牛耳ったフェニキア人の神話同様、紀元前13世紀までアナトリア半島の覇者だったヒッタイト帝国全盛期を今日に伝える「ウッリクンミの歌(The Songs of Ullikummi)」に収録されたクマルビ神話において、天空神アラル(Alalu)を地上に追放して最高神となったアヌ(Anus)の陰茎をその酌人クルマビが飲み込み「神々の父」となって嵐神ストム(Storm)を産んだ伝承の影響を色濃く受けている。

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  • カナン地方で紀元前13世紀頃に粘土板に刻まれて今日に伝わったウガリット神話でも、最高神イルは雷神バアル(工芸神コシャル・ハシスが生み出した矛マイムールを右手に構え、左手で雷霆ヤグルシを操る存在。全ての神々の母アーシラトまたはアスタルトの息子ともダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる勝利の女神アナトの兄にして夫。またアスタルトを妻とする解釈もある)に撃ち倒される。しかし闘いはバアルが最高神の座に就いただけでは収まらず、水神ヤム・ナハル(荒々しい自然界の水難の象徴で、その克服は利水や治水の成功を意味する)や死神モート(豊穣神としてのバアルと表裏一体の関係にある不毛や旱魃や伝染病や虫害の象徴)との闘いがその先もずっと続く。

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  • ところで中国開闢説話を記した「山海経大荒西経」にも「帝が重黎に命じて天地を隔てさせた」、「書経」の「呂刑(姜姓と苗民との闘争を経典化したもの)」にも「蚩尤が乱をおこし苗民が虐を為すので重黎に命じて天地を隔絶させた」とある(所謂「絶地天通」説話。「国語」楚語にも,民と神とを分かつためとある)。重黎は楚の先公としてその世系にみえ、失われた楚の開闢神話にも農耕の開始に伴う同様の宗教的変化、あるいは狩猟採集民と農民の居住範囲の完全分離の敢行があったのかもしれない。また盤古は天地の間に挟まって毎日一丈(3.3m)ずつ裂け目を広げて一万八千年目に力尽きてその死体から世界が生まれたとされるし、天候を操る風伯と雨師を味方に付けた神農氏の末裔蚩尤は黄帝への叛乱に失敗した後で復活しない様に処刑後死体を中国各地にばらまかれたし、後世の中国統治者は共工治水を脅かす洪水の神)や魃(旱魃を起こす炎熱の女神)の様な大規模灌漑農業の的との絶えざる対峙を迫られる事となるのだった。

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  • フェニキア神話では時間神クロノスがそのまま最高神の座に留まる一方、その交易圏では「バール男主人)/ バアラト女主人信仰」あるいは「イシュタル・イナンナメソポタミア都市国家ウルク)=カーリーインド南部)=アシェラカナン地方)=ハトホル・イシスエジプト)=アシュタロテフェニキア)=アプロディテギリシャ信仰」が広まった。
    ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」。下克上を恐れて後継者を粛清しようとした時間神クロノスの姿。同じ醜態を「父神」ウラヌスも「息子神」ゼウスも繰り返す。

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とはいえ(紀元前8世紀以降、次第に東地中海におけるフェニキア商人の交易網を蚕食する様になったギリシャ人については(紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけてアテナイで栄えたギリシャ悲劇の内容を見ても明らかな様に)半農半猟の生活を続けつつ純粋な狩猟採集生活への回帰に憧れ続け、大規模灌漑農業と無縁だった様にも見て取れるのである。

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  • 紀元前8世紀成立のホメロス叙事詩における認識…天空神ゼウス(Zeus)とその配偶神ディオネ(Dione、Zeusの女性形)

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  • 紀元前7世紀成立のヘシオドス「神統記」の認識…味方に付けた巨人達より雷霆(ケラウノス)を与えられ稲妻を拵え、父なる時間神クロノスを倒し、娘のアテナに無敵の防具アイギスを貸し出す「全ての神々と人々の父」ゼウス。

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  • 古代ギリシャ神話完成型における定義…青銅時代を終わらせる為に洪水を引き起こし、増え過ぎた人類の人口を削減する為にトロイア戦争を起こした張本人で雲・雨・雪・雷などの気象を自在に操る天候神ゼウス。
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割とそのままスライドしている様にも見受けられる。
*当時の各ギリシア王家がこぞってゼウスの子とされる半人半神の英雄(ヘロス)を始祖として祭っていた事が幸いしたらしい。

その一方で天空神ゼウスが天候神に変貌した矛盾を背負い込まされる形で紀元前4世紀までに美と愛欲の女神アプロディテは「(ゼウスとディオーネーの肉体的交わりから産まれトロイア戦争に際してはアポロンやアルテミスやアレス同様にアナトリア半島トロイア側についたアプロディテ・パンデモス万人向けの女神)」と「(切り落とされたウラヌスの男根からの単性生殖で発生したアプロディテ・ウラニ天上の女神)」に分裂してしまいます。ただし地中海交易圏はその解釈にさえもフェニキア商人が地中海沿岸一帯に広めた「バール男主人) / バアラト女主人信仰」を持ち込んで様々な神話のバリエーションを派生させてきたのでした。
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*ある意味、ここでいう「アプロディテ・パンデモス(万人向けの女神)」こそ(猥雑な多様性と多態性に支えられた)技術至上主義の象徴、「アプロディテ・ウラニア(天上の女神)」こそ全てを単一論理で統べ様とする産業至上主義や政治至上主義の象徴。ただし形而上学全盛期の当時にあっては「産業至上主義」はむしろ伝統的には「技術至上主義」を統べる存在としてイメージされてきたのだった。そもそも古代ギリシャ神話においては「遊び歩いて浮名を流す愛の女神」アプロディテの伴侶は「鍛冶場に篭る技術神」ヘーパイストスだったと記されている。ホメロスイーリアス」の世界では敵同士だったにも関わらず…

ヘーパイストスとアプロディテの「ロマンス」 - Wikipedia

ヘーパイストスは、アプロディーテーと結婚した。結婚の経緯には諸説あるが、有名なものは以下である。

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  • オリュンポスの神々に加えられたヘーパイストスであったが、ヘーラーの醜い息子への冷遇は続き、次第に母への不信感を募らせていった。そんなある日、ヘーパイストスからヘーラーに豪華な椅子が届けられた。宝石をちりばめ、黄金でつくられ、大変美しい椅子で、その出来に感激した上機嫌のヘーラーが椅子に座ったとたん体を拘束され身動きが取れなくなってしまう。そこでヘーラーがヘーパイストスに拘束を解くよう命じると『自分を貴方様の実の子であると認め、神々の前で紹介してください』と言った。醜さゆえ自分が捨てた子で認めたくもなかったヘーラーであったが、このままでいるのも恥ずかしい。仕方なく要求に応じヘーラーも認めたが、母に疑心暗鬼になっていたヘーパイストスは、ヘーラーが助かりたい一心であり、本心で言った言葉ではないと考え、信用せず拘束を解かなかった。そして『なら私をアプロディーテーと結婚させてくれますか?出来ないでしょう。軽々しく言わないでください』と言ったのである。ところがヘーラーは助かりたい一心でこれを了承。驚いたヘーパイストスであったが、急いでヘーラーを解放。そして、ヘーパイストスアプロディーテーと結婚することになったのである。

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  • ヘーパイストスに椅子に拘束され屈辱を味わったヘーラーが解放された後、ヘーパイストスに「我が子である以上、結婚相手を紹介してあげましょう。アプロディーテーなんてどうです」とヘーラーが薦めたとの説がある。その美貌で神々からの求愛を一心に浴びていたアプロディーテーを自分だけで独り占めに出来るとヘーパイストスは了承。しかし実はこれには裏があり、美しいアプロディーテーが醜いヘーパイストスとの生活に耐えかねて、浮気することを見越していた。

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  • また、アプロディーテーに手を出そうとしたゼウスに対し、ヘーラーが「神々からの求愛を一心に浴びているアプロディーテーに手を出せば、他の神々から不満の声が挙がる」と釘を刺すと同時に警告、それは困るとゼウスも彼女のことを表面上は諦めた。しかし、まだ諦めていない他の神々同士で争いになることを恐れたゼウスは、オリンポス十二神の中で最も硬派である我が子ヘーパイストスアプロディーテーを結婚させることで事態を丸く収めようとしたとの説もある。この場合、ヘーパイストスの怒りを買いアーレスと共に恥をかかされるのは当然ゼウスとなる。

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そしてホメーロスの『オデュッセイア』によると、結婚したヘーパイストスアプロディーテーであったが、アプロディーテーヘーパイストスの醜さを嫌ったため、神々の中でもその不仲さは評判になっていった。

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ここに軍神アレースが現れる。アレースはゼウスとヘーラーの子であるものの争いの神であり、残虐な性格である事から、神々や人々からの評判はすこぶる悪かった。しかし、オリュンポスの男神の中でも1、2を争う美男子だったのである。そして、この生活に耐えかねていたアプロディーテーはアレースと浮気を始めるのである。当のヘーパイストスは、そんなことはまったく気付かず、実直な彼は仲が悪いのはアプロディーテーの機嫌が悪いだけと、妻を疑うことをしなかった。しかしヘーリオスからこの事実を聞いたヘーパイストスは愛妻に裏切られたことに落胆し、それと同時にアプロディーテーへの激しい憎悪が芽生えた。

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  • アレースはアプロディーテーと浮気をするとき、従者であるアレクトリュオーンに見張りをさせた。ところがある日アレクトリュオーンは居眠りをしてしまい、ヘーリオスが天に昇っても2人は気付かなかった。このため2人はヘーリオスに見つかり、ヘーパイストスの罠にかかった。アレクトリュオーンは神々の前で大恥を掻かされたことに激怒したアレースの怒りを買い、鶏へ変えられてしまった。それ以来、鶏は太陽が昇ると「ヘーリオスが来たぞ(コケコッコー)」と鳴くようになったと言われている。

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  • そしてある日ヘーパイストスは「仕事場に行く。しばらく家には戻れない」と言い家を出て行く。これ幸いと浮気を始めるアレースとアプロディーテーだが、二人で寝床に入ったとたんに特製の見えない網で捕えられてしまい、そして二人は裸で抱き合ったまま動けなくなってしまった。この網は、妻への復讐の為にヘーパイストスが作った特製の網で、彼以外解く事が出来ない物だったのである。何とか解こうとする二人であったが、動けば動くほど体に食い込み、ますます動けなくなってしまった。

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  • 妻とアレースの密通現場を押さえたヘーパイストスであったが、妻が自分には見せなかった媚態の艶やかなる美しさをアレースに晒したことに激怒、更なる辱めを与えてやろうと考えていた。すると、そこへ伝令の神であるヘルメースが偶然にも通りかかる。ヘルメースがアプロディーテーに片思いしていることを知っていたヘーパイストスは、密通現場を彼に見せれば絶対に興味を持つと考え、ヘルメースを招き入れ密通現場を見せた。彼の目論見通り、ヘルメースは興味を示し釘付けになる。すると、ヘーパイストスは「他の十二神を呼んで来て頂きたい。特に結婚の仲人をして頂いた母上を呼んで来て欲しい」とヘルメースに頼んだ。面白いものが見られると伝令の神であるヘルメースは瞬く間にオリンポス中を駆け巡って触れ回り、十二神をヘーパイストスの神殿の前に連れて来た。
    *逆にポセイドン(神々の裁判官)、ヘーリオス(友人兼目撃者)、ヘルメース(神々の伝令)、ヘーラー(母兼仲人)、アテーナー(友人兼アレースと不仲)等、必要最小限の神々しか呼ばなかったとする説もある。
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  • そして、集まった神々を前にヘーパイストスは「これから面白い見世物をご覧に入れましょう」とアプロディーテーとアレースの密通現場を晒したのである。密通現場を見せられた神々は、皆困った顔をしてしまう。と言うのもアプロディーテーとアレースの二人の様が余りにも可笑しくて大声で笑いたかったのだが、神である自分たちが品もなく馬鹿笑い出来なかったことと、結婚を取り仕切ったヘーラーの手前、笑うことが出来なかった為である。ところが、アポローンが「ヘルメース殿、貴殿は以前からアプロディーテーと臥所を供にしたいと申していたそうではないか。丁度良い機会だ、アレースと代わって貰ったらどうだ?」と問うたのに対し、ヘルメースが「入りたいのは山々なれど、私の一物はアレース殿の物と比べ、頑丈でも逞しくもございませぬ」と返したことで我慢してきた神々は思わず吹き出してしまった。アレースは恥ずかしさのあまり、解放された途端逃げるように自領へ去ったが、アプロディーテーはただその場で微笑んでいた。

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  • 神々の笑い声が響く中、この結婚を取り仕切ったヘーラーだけは笑えずにいた。そんなヘーラーに対しヘーパイストスは『母上、貴方様より拝領いたしました花嫁は、他の神々と臥所を共にするふしだらな女にございます。されば、ここにのしを着けてお返し申し上げますので、どうぞお引取りください』と言った。再び神々の前で恥を掻かされたヘーラーはアプロディーテーを連れ、神々の失笑が木霊す中、退散していった。
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その後、ポセイドーンの仲介の元、ヘーパイストスアプロディーテーと離婚し、アレースから賠償を受け取った。そして、アレースはトラーキア、アプロディーテーはクレータ島での謹慎を命じられた。後にアプロディーテーはポセイドーンにこの仲介の礼を与えている。
ヘーパイストスの怒りは凄まじく、当初「浮気相手からのお詫びは、一切受け取らない」とアレースの賠償を拒否していたが、離婚の仲介をしていたポセイドーンに「お互いけじめを付けるため、受け取る様に」と言われ、しぶしぶ受け取った。

解題?

そもそもギリシャ悲劇の世界においても、アフロディテは概ね「淫猥な悪役」としてしか登場しない。それはおそらく紀元前6世紀地中海東部に海上帝国を構築した都市国家アテナイのライバルだった都市国家コリントスの守護神がアフロディテだったから。

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  • さらに遡ると紀元前7世紀まで地中海東部は(アナトリア半島と縁深く、コリントスを本拠地とする)ドーリア系商人の海だった。アテナイはこの商圏に喰い込むべく、アナトリア半島を周遊してきた賢者ソロンの提言に従って(酒神バッカスや技術神ヘーパイストスを崇める)外国人の工房や船団の長達に無制限に市民権を発布。当然のごとく(アレースを崇める)内陸で葡萄やオリーブを栽培する果樹園を営む伝統的地主達との軋轢が強まったが、アテナイ僭主ペイシストラトスの時代に両者の緊張は(ファシズムめいた強引な手法によって)何とか許容範囲に収まり、またこの時期に銀山が発見されて当時最先端のトレンドだった貨幣経済のイニチアシブを握る事が出来た事がいわゆる「アテナイ海上帝国」建設につながったのである。
    *さらなる背景として「古代帝国」アケメネス朝ペルシャ台頭に伴うアナトリア半島沿岸のギリシャ植民諸都市の衰退が挙げられる。アテナイ海上帝国は、保守的なドーリア系諸都市より、それに伴って膨れ上がった「経済難民」の吸収に熱心だったからこそ彼らの商圏の奪取にまで成功したとも。

  • そもそも(元来は都市国家全ての守護神だったらしい)アテナをアテナイ専門の守護神と設定可能だったのも、アナトリア半島出身でドーリア商圏全体の人気英雄だったヘラクレスのイメージを「アテナイ英王テセウスに(少なくとも部分的には)置換するのに成功したのも、こうした形での高度経済発展が背景にあったからだった。確かに豊穣神デメテルを祀る「エレウシス島の秘儀紀元前17~15世紀頃まで遡り、紀元前10世紀頃には既にデーメーテール祭祀としての体裁が整っていた可能性が指摘されている)」や「陶工の里」ケラメイコス(Ceramicの語源)やこそそれ以前から存在した。しかしながら、おそらく当時から現地で祀られている神といったら(大地から勝手に生えた)半人半蛇のエリクトニオスくらい。この事と「ホメロス叙事詩が歴史上最初に書籍化されたのが黄金時代のアテナイで、そこには「エリクトニオスはあらゆるアテナイ神殿の隅にこっそり祀られている」と記されている」なる当時の記述を重ね合わせると「成り上がり者アテナイ」を巡る一つの情景が浮かび上がってくるのである。
    ギリシャ悲劇など当時を代表する著作に目を向けても、意外と「オイディプス王の悲劇」とか「テーバイ攻めの七将」といった(ずっとウダツこそ上がらなかったが、歴史自体は馬鹿みたいに古い)隣国ボイオキアの伝承を主題に選んだ作品が多い事に驚かされる。本当に経済成長以前は「何もない」地域だったとしか思えない。

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  • こうした「歪んだ発展」は(アケメネス朝ペルシャが黒幕だったとも目されているペロポネソス戦争古希Πελοποννησιακός Πόλεμος、英 Peloponnesian War、紀元前431年〜紀元前404年)によってアテナイが灰燼に帰した事で一旦終焉を迎える。かくしてアテナイ海上帝国は、アテナイ市民が全滅したというより(包囲戦を通じてのナショナリズムの高まりを背景に)外国人の船乗りや職人や冒険商人が排斥される様になった事で再建不可能となったのだった。アケメネス朝ペルシャ側が、とうとうシドンを筆頭とするフェニキア系諸都市やアナトリア半島沿岸のギリシャ系植民都市の懐柔に成功したのも大きいとも。
    ペロポネソス戦争 - Wikipedia

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皮肉にもイタリア半島に移民したドーリア系市民たるハリカルナッソスのヘロドトスが残した「歴史(古希ἱστορίαι、羅historiai、紀元前5世紀)」や、ソクラテスプラトンアリストテレスが創始した古代ギリシャ哲学は、揃ってここでいう「アテナイナショナリズム」に批判的な立場から執筆されており、だからこそ「地中海沿岸に根付いた(フェニキア商人時代の「バール(男主人) / バーラト(女主人)」信仰の延長線上に現れたアフロディテ信仰」や「(ドーリア人の起源をアナトリア半島内陸部からペロポネソス半島内陸部に改竄したアルカディア信仰」の貴重な同時代証言が数多く残る事になったのだった。
*その一方で(後にプトレオマイオスア朝エジプトのアレキサンドリア博物館に移された)当時の(ナショナリズムに毒された)アテナイ文献においては「美の女神(というより、当時はコリントスにおける航海の守護神だった)」アフロディテや「軍事国家スパルタの守護神」ヘラや(ドーリア人に崇拝されていたアナトリア半島出身の)英雄ヘラクレスばかりか庶民に崇められた酒神バッカスや技術神ヘーパイストスに対する扱いが恐ろしく悪く、あたかもそれを埋めあわせるかの様に(ホメロスイーリアス」においてもアカイア側の守護神として活躍する)「アテナイの守護神」アテナや「海神」ポセイドンが絶賛されているのである(何故か「イーリアス」にはトロイア側守護神として参加する「狩猟神」アルテミスも絶賛されている。それも「淫猥な」アルテミスに対抗する「貞淑」の象徴として)。

*オリエント文化の影響をそれほど受けていなかった南仏などの古代欧州においてこそアテナイナショナリズムの産物たる英王テセウスの普及活動が成功した地域だった事、そしてブラム・ストーカーのゴシック・ホラー小説「吸血鬼ドラキュラ(Dracula 、1897年)」における「(その溢れんばかりの活発性によって数多くの求婚者を翻弄する「淫乱さ」故にドラキュラ伯爵の毒牙に掛かって亡くなる)ルーシー・ウェステンラ嬢」と「(同じくドラキュラ伯爵に狙われながら、婚約者ジョナサン・ハーカーへの貞節を貫いて逆転勝利を飾る)ウィルヘルミナ・“ミナ”・ハーカー嬢」の(アプロディテ・パンデモスとアプロディテ・ウラニアの関係の如き)対比が作品発表当時ですら批評家や(倫理面における)煩方から「時代遅れにも程がある」と酷評された事(しかもこうした批判にも関わらすこの作品は国際的に大ヒット」を飾る)には、想像を絶する長さに渡る時間的連続性を感じずにいられない。
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そして北欧神話の世界へ…ここで突如として「(しばしばドイツ語固有の概念とされる、陰鬱な暗所から明るい場所への進出を志向するSehnsucht憧れを理想に掲げ続けた人々」が表舞台に顔を出すのです。そもそもガリア時代に古代ローマ帝国に併合され「伝統を捨てたラテン語話者」に変貌したフランス人との対抗上、ドイツ人は伝統的に古代ギリシャ文明との近さをアピールしてきたのでした。

  • スノッリ・ストゥルルソンがいくつかの文献で述べている伝説によれば「アース神族 /アサ神族(古ノルド語Ás、 Áss、 複数形Æsir エーシル、 女性形:Ásynja、 女性複数形:Ásynjur、 古英語:Ós、 ゲルマン祖語再建形:*Ansuz)」はアジア(アナトリア半島)経由でドニエプル川下流に移住し、そこに先住していたヴァン神族を従えたと考えられている。何しろ「アース神族」なる言葉自体が古代インド=ペルシャ神話におけるアスラ(阿修羅)神族やゾロアスター教最高神アフラ・マズダー (Ahura Mazdā)と同語源と考えられている。

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    *一方、古代インド神話にアスラ(阿修羅)神族を打倒する英雄一族として登場するデーヴァ(サンスクリットदेव、deva、天部)神族は古代ギリシャ神話におけるゼウス(古希: ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus)と同語源と考えられている。

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  • ここで我々が思い出すべきは紀元前3000年頃にドナウ川流域から移住してきたと考えられており、紀元前2000年頃にギリシャ本土中部テッサリアとボイオティア地方からレスボス島に移住し、さらにアナトリア半島西部に植民して12のポリスを建設したイオニア人ドーリア人と並ぶ古代ギリシャ構成メンバーに数えられるアイオリス人(古希Αἰολεῖς、Aioleis)であろう。ホメロスイーリアス」「オデュッセイア」を中心とするそれに匹敵する独自の「テーバイ叙事詩環」を備え、これに取材する形でアテナイの劇作家が「テーバイ攻めの七将(古希Ἑπτὰ ἐπὶ Θήβας, Hepta epi Thēbas, 羅Septem contra Thebas)」やそれに続くエピゴノイ(古希επιγονοι、epigonoi=後継者)の物語、そしてオイディプス王(古希Oἰδίπoυς τύραννoς, 羅Oedipus Tyrannus)やその娘アンティゴネ(古希Ἀντιγόνη、羅Antigone)の悲劇などに取材して作品を残したが、肝心の叙事詩環そのものはほとんど現存せず。
    *「テーバイ叙事詩環」…原則として血の報復(Vendetta)原理に従って血縁者同士が延々と殺し合う陰鬱な物語展開で、この辺りについてライン川流域のブルゴーニュ地方に進出したブルゴーニュ族の滅亡を扱った「ニーベルングの歌」を筆頭とするゲルマン系叙事詩との共通項を見い出す向きもある。特に重要なのが「テーバイ攻めの七将」とエピゴノイ(後継者)の物語において「(戦争への戦士派遣の決定権を有する)アルゴスの女主人」エリピューレー(古希: Ἐριφύλη, Eriphȳlē, 羅Eriphyla)がテーバイ奪還を目指すカドモスの末裔に「(「美の神」アフロディテと「不和の神」アレスの不義の娘でテーバイ創健者カドモスに下嫁した)ハルモニア(古希Ἁρμονία, Harmoniā, 羅Harmonia、「調和」の意)の首飾り」と「ハルモニアの花嫁衣装」の二回に渡って買収され、堪忍袋の尾が切れ一族の者に粛清されるエピソード。

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    *「ハルモニア(Harmonia)のの首飾りと花嫁衣装」…紀元前7世紀のヘシオドス著作に見受けられるパンドーラー(古希: Πανδώρα, Pandōrā)、すなわち「プロメテウスによる火の伝授」に危機感を覚えた神々の要請によって鍛治神ヘーパイストスが「人類への災い」として創造した「(外国の珍物などを欲しがり内需拡大に貢献しない)女性なるもの」、およびかかる概念の創造にインスピレーションを与えた可能性が指摘されている「(古代インド神話においてアスラ神族との戦いが劣勢となったタイミングでデーヴァ神族が創造した究極の破壊兵器)「近づき難い女」ドゥルガーサンスクリット語दुर्गा, durgā)誕生のエピソード」と併せ、おそらくリヒャルト・ワーグナーニーベルングの指環(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend "Der Ring des Nibelungen"、1848年〜1874年)」や英国人ファンタジー作家J.R.R.トールキン指輪物語The Lord of the Rings、執筆1937年〜1949年、初版1954年〜1955年)」に登場する「呪われた指輪(富の象徴)」の元ネタとなった。

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    *「近づき難い女ドゥルガー(durga)」…追い詰められるとさらに(おそらくインド南岸のタミル族が崇拝し、フェニキア商人が地中海沿岸へも広めた「黒い地母神」概念に由来する)究極の破壊神カーリー(サンスクリット語काली, Kālī)に変貌する。こうなるともはや敵を全滅させても破壊衝動の暴走が止まらず、配偶者たる「嵐の神」シヴァーが本人が我に還るまでサンドバック役を務め続けるしかない。古代インド神話における究極の破壊神で「ナイル川氾濫の象徴」と目される破壊神セクメト(Sekhmet)のイメージ形成に影響を与えたとも。

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    古代エジプト神話における破壊神セクメト(Sekhmet)…ある時、太陽神ラーが自分を崇めない人間に復讐し殺戮させる為に地上に派遣した。その後、オシリスらの説得で意見を翻し、血に似せて造らせた赤いビール(ただの酒とも)で彼女を酔わせて殺戮を止めたが、この時からエジプトの砂漠が赤く染まったと言われる。「日本書紀」や「古事記」におけるヤマタノオロチのエピソードとの相似性を指摘する向きもある。また伝染病などを司り、人間を殺してしまう病の風を吐く女神ともされ、この女神を鎮められるセクメトの神官達は、伝染病を鎮める特殊な医師や呪術師と目された。

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    *ここで興味深いのが、インド神話の世界においてドゥルガーやカーリーが「神妃パールヴァティー(पार्वती Pārvatī)の化身」なる立場を獲得した様にセクメトも「芸能を司る猫神」バステト(Bastet)をその化身として獲得する事に成功している辺り。そういえばアナトリア半島におけるヘラクレス信仰の大源流の一つを「前1200年のカタストロフ」によって都市国家群が衰退に向かったメソポタミアで新興した破壊神ネルガル信仰に求める声もある。これは(地母神イナンナ / イシュタルが冥界から帰還する為に毎年生贄に捧げられる)牧神ドゥムジが「冥界の女王エレキシュガルの夫」として独自の力を得た姿であったと推測されている。

  •  そもそも北欧と黒海の間は古代から「琥珀の道」で結ばれており、ヴァイキング時代に入ってなお「ヴァリアリーグの道」が存在していた。そういえば原則として極北の地を「トゥーレ」と呼んで人は住めない場所と考えていた古代ギリシャ人も、その一方で現地には(ペロポネソス半島内陸部のアルカディア地方同様にある種の理想郷としてイメージされた)緑の楽園が存在し、ヒュペルボレオイ(Hyperboreoi)あるいはヒュペルボレイオス(Hyperboreios)すなわち「北風ボレアス、Boreasの彼方ヒュペル、hyperに住むアポローンを篤く崇拝する伝説的民族が住んでいると考えられていたりする。だから実際に民族の往来があっても何ら不思議はない。

    琥珀の道(ポーランド語Szlak BursztynowyまたはJantarowy Szlak、露Янтарный путь、チェコ語Jantarová stezka、独Bernsteinstraße、ハンガリー語Borostyánút、伊Via dell'Ambra、ラトビア語Dzintara Ceļš、リトアニア語Gintaro kelias、スロベニア語Jantarjeva pot) - Wikipedia

    古代における琥珀の交易路を指す名称。琥珀街道とも。水上交通と古代の交通路として、数世紀の間ヨーロッパ=アジア間の往復路、北ヨーロッパから地中海までの往復路となっていた。

    装飾品に欠かせない構成材として、琥珀は北海とバルト海沿岸からヴィスワ川ドニエプル川の水運によって陸路を行き、イタリア、ギリシャ黒海、エジプトへと何千年も前から輸送され、それはその後も長い間続いたのである。

    ヒュペルボレイオス(Hyperboreios) - Wikipedia

  • その一方でミルチャ・エリアーデやJ・P・マロイといった宗教学的権威は北欧神話を「太古から住んでいた土着の人々の信仰していた自然の神々が、侵略してきたインド=ヨーロッパ系民族の神々に取って代わられた歴史的事実の痕跡」とは考えず、アース神族ヴァン神族の区分などについてもインド=ヨーロッパ系民族による神々の区分が北欧の神々にも投影されただけで、その結果ギリシア神話におけるオリュンポス十二神とティーターンの区分、『マハーバーラタ』の一部に相当する様な階層表現が反映されたのみと考える。そういう彼らもゲルマン神話が初期のインド・ヨーロッパ神話の影響を強く受けている事実までは否定していない。一時期地中海沿岸一帯を覆い尽くしたフェニキア系神話、すなわち標準化された「男主人(バール) / 女主人バーラト信仰」へのインド南岸の「黒い地母神」信仰混入と同様、それは(遠隔地間の直接接触を伴わない)中継貿易網の産物だったのかもしれない。

前置きが長くなった理由は、北欧神話における世界創造譚を目にすればはすぐに明らかとなります。それくらい(下手をしたら古代ギリシャ神話以上に)オリエント色が強いのです。どうしてそうなった?

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北欧神話における世界創造譚

北の果てにある極寒の国ニヴルヘイム(古ノルド語: Niflheimr、「霧の国」または「暗い国」)と南の果てにある極暑の国ムスペルヘイム(古ノルド語: Muspellzheimr)の狭間にはギンヌンガガプ(Ginnungagap、世界の創造前から存在する巨大で空虚な裂け目)が存在し、絶えず北からはニヴルヘイムの激しい寒気が、南からはムスペルヘイムの耐え難い熱気が吹き込み続けている。

世界が始まる時点ではこの寒気と熱気が衝突。熱気が霜に当たって霜から垂れた滴が毒気(Eitr)となり、その毒気がユミルという巨人に変じた。このユミルこそが全ての霜の巨人達の父であり、また後に(古代バビロニアマルドゥク神話におけるティアマト、あるいは古代ウガリット神話における竜神ヤム・ナハルとその娘達の様に)殺されてその肉体を材料に世界が形成される事となる。

同じ滴からは牝牛のアウズンブラも生まれ、ユミルはアウズンブラから流れ出る乳を飲んで生き延びた。アウズンブラは氷をなめ、そのなめた部分からブーリが生まれた。北欧神話の主神であるオーディンはブーリの孫にあたる。のちにオーディンらによってユミルが殺されたときに、ギンヌンガガプはユミルの血で満たされた。

  • 発想の出発点となったのは本当にマルドゥク神話やウガリット神話なのか。それともアナトリア半島経由でヨーロッパに伝わった神官の去勢を伴う「キュベレー=アッティス信仰」や牛の解体が釘の重要部分を占める「ミトラ信仰」あたりなのだろうか?
    *困ったのはオーディンら主要神が揃ってギンヌンガガプ生まれだとすれば「アース神族=外来神」という仮説が崩壊してしまう辺り…ただし実は「どうして日本神話はかくも要素的にギリシャ神話と相似しているのか?」なる疑念と同様「(各言語圏を超越した)ユーラシア大陸全域を結ぶ古代中継貿易網」を想定すれば、別に解けない謎でもなかったりする。

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  • ここにさらに古ノルド語ではjǫtunn(ヨツン、ヨトゥン、ヨートゥン)、時にはjotun(/ˈjoʊtən/と発音される)と英語化される「霧の巨人」の存在がからんでくる。アース神族ヴァン神族と反する立場にあるとされながら、いくつかの伝説や神話では人間と同様の背丈であると描写され頻繁に交流したり結婚さえしたりする。特にロキの活躍は良い意味でも悪い意味でも目覚ましい。

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    *ぶっちゃけ諫山創の漫画「進撃の巨人(Attack on Titan、2009年〜)」で採用された「巨人に変身可能な人類が普通に人類に混ざって暮らしている」といった設定が欧米人に何の抵抗もなく受容されたのはこうした「何でもあり」の状況が広く知れ渡っているせいらしい。日本国内の考察サイトでもそうした話が主要話題の重要な一つとなっている。

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 さて、ここで「言語ゲームSprachspielとしての神話体系の推移」について全体像の俯瞰を試みてみましょう。最も注目に値するのは、それが各時代における「包括的真理Aletheiaへの到達を目指すベクトル」と「集-立Ge-Stellシステムを追求するベクトル」の鬩ぎ合いの影響をある種の制約として甘受する辺り。

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  • メソポタミア地方に発祥した「文化の恵み(メー)を餌に辺境民を誘き寄せ、使い捨ての労働力として消費したり、新たなる支配者として迎え入れる奴隷制灌漑農業祭政一致体制下、天体観測技術も有する神殿の神官達が農業暦の発布を通じて全てを管轄下に置く)」システム自体は「海の民部族連合段階から脱却したくない諸族)」が結集してその全面破壊を試みた「前1200年のカタストロフ」を契機に衰退を始める。
    *ただし想像以上にゆっくりでヘレニズム時代(紀元前3世紀〜紀元前後)に入ってなお観測され続けている。しかも実際に神殿宗教そのものが完全に滅んだのは東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世がナイル川上流域のエレファンテネ地方(古代エジプト王朝とヌビアの伝統的国境地帯)に存在したイシス神殿を閉鎖に追い込んだ550年となる。

  • ただし春に種を大地に巻いて植物を栽培し、秋に収穫する農業サイクルにぴったり呼応する「バール男主人)/ バーラト女主人信仰」自体には特定システムを超越した普遍性が存在し、フェニキア商人はこれを武器に紀元前10世紀から紀元前8世紀にかけて地中海沿岸地域全体を「商業活動を成立させるのに十分均質な商圏」へと変貌させる事に成功したのだった。
    旧約聖書に手口の全貌が記録されているが、方法論としては割と簡単。まずは在地首長との政略結婚を契機に現地へと土俗信仰を改変する神官スタッフを送り込む。そして冠婚葬祭制度を一手に握る過程で「聖職者向けの高価な紫衣」や「シドンの銀食器」といった祭具や威信財に対するニーズを発生させるのである。実は古墳時代日本においても同種の動きが観測されているが(4世紀〜5世紀頃)、いかんせん「特定祭具の製造技術の独占」は困難で各地方で生産される複製品に敗北を喫してしまう。この点フェニキア商人の「(猛毒の貝から染料を抽出する)聖職者向けの高価な紫衣」や「(高度な冶金技術を前提とする)シドンの銀食器」は商品として優秀だったと言わざるを得ない。

    *「十分均質な」…ここでは主にカール・シュミットの政治哲学上の概念である「敵友理論」において「敵」に分類可能な違和感を発生させない標準化をいう。古墳時代日本においては同じ役割を古墳築造(およびそれに伴う標準祭器の採用)が果たした。特に前方後円墳ヤマト王権に何らかの形で接触し(概ね土師氏と推定される)専門技術者を招聘しなければ築造不可能だったと考えられている。そしてこれが国際地方行政史的には「在地首長が独自に居館を築造し、複数の集落を統治下に置く様になった(すなわち「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的権威体制」が始まった)」時期に比定されたりもするのである。

    *実は「敵友理論」は先史時代(すなわち何もかもが文字で表現される様になり、対峙も同化もより先鋭化した形でしか行われなくなる以前の時代)にこそ、ある種のエポケー(判断中止)状態を利用して上手く機能したのかもしれない。

  • フェニキア商人による地中海沿岸の交易独占」は古代ギリシャ人や古代ローマ人の躍進によって次第に破られ、かつ最後には打倒されてしまう。しかしその運営上重要な役割を担わされた「神話」は次第に現実の経済システムから乖離。言語ゲーム(Sprachspiel)本来の「遊び心」を回復して多様性や多態性を獲得していったのであった。
    *むしろ制約として立ち塞がったのは、各地域のブルジョワ=インテリ=政治的エリート階層の奉じる「包括的真理(Aletheia)への到達を目指す高尚なベクトル」で、それ故に酒神バッカスや技術神ヘーパイストスを崇拝する庶民の「猥雑な文化活動」は文学史上は黙殺されるか否定的に描かれる形でしか後世にその影響が伝えられなかったのである。かくして陶器の絵柄に表された世界観との乖離が進行。

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  • 紀元前6世紀における「試金石」概念の普及は「試練を潜り抜ける事で英雄がその隠されていた本性Aletheiaを露わにする」物語文法を確立させた。「ヘラクレス十二の功業」にこれを模倣した「テセウス功業集」。それはただ単に語られただけでなく(アテナイの陶器がドーリアの陶器を圧倒していく時代にあって)その絵柄に華やかさを添える題材として「オリンポス12神勢揃い絵柄」などと同様に重宝されたのだった。そしてこうした陶器を製造する工房が自らの製品に落款(あるいはそれに類するサイン)を入れる様になる。
    ヘーラクレース - Wikipedia
    テーセウス - Wikipedia

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  • この過程で神殿破壊と民族強制移動による帝国の神殿宗教破壊政策への対抗手段として歴史の表舞台に現れた「啓典の民」は、次第に「(ペロポネソス戦争当時のナショナリズム台頭によって衰退したアテナイ守旧派」の後継者へと変貌していった。

    *皮肉にもキリスト教への屈服を契機に当時独特の宗教的雰囲気を後世に伝える事になった北欧神話の世界も原則としてはこの範疇に収まってしまう。

    *とはいえ「政治中心主義の勝利が思考停止をもたらす可能性」自体は「(華厳経成立によって一つの完成形に到達した)インドのウシャニパッド哲学」や「(国土が広大かつ多様で多態過ぎて政治的統合しか望めない)中華王朝イデオロギー」や「(ガザーリーが完成を宣言した)スンニ派古典思想」なども内包していたから、別に欧州だけが不利な状況に置かれた訳でもない。そしてこうした時代には「(インドや中アジアでバラモン階層の倫理的拘束に対抗した)クシャトリア階層」や「(中世日本において朝廷や鎌倉幕府のもたらす秩序に挑戦した)悪党や有徳人」や「(英国において法的根拠を無視して農地改革を推進した)囲い込み推進者(考えてみればその振る舞いは全国各地で公家領や寺社領を横領し一円領主化を達成し「職の体系」を破壊した戦国大名、広大過ぎる教会領の押収に邁進した英国チューダー朝フランス革命政府のそれに似ている)」の「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」式の行動主義が一際異彩を放ったのだった。

  • かくして欧州においても中世を特徴付ける「(祖先伝承や国王や教会の権威を背景に領主が領土と領民を全人格的に代表する権威主義的農本体制」が新たな「集-立Ge-Stellシステム」として台頭してくるが、それは同時に多くの地域や人間集団の間で上述の「文系思考」における「政治至上主義」と「産業至上主義」を一層激しく分裂させたのだった。そして「(次第に侵略地に外国人領主として居坐わる様になったヴァイキング/ノルマン貴族」や「(「しかるべき筋からの個人的請負」という形でしか動かなかったジェノヴァの冒険商人や宮廷銀行家」、「(新大陸において虐殺と略奪しか働かず最後は罷免されたコンキスタドールConquistador)」などが最終的には「政治至上主義」に拘泥して次々と衰退していく最中、「(「再版農奴制」全盛期に「領主が領土と領民を全人格的に代表する権威主義的農本体制」を採用して商業国家としての個性を失うまでのヴェネツィア」の「産業至上主義」が大英帝国という国家そのもの、さらにはフランスやドイツの冒険商人達へと継承されていく。

    *とはいえまぁこの時代の欧州をあまり美しくは語れない。大航海時代が欧州経済の中心地を地中海沿岸から大西洋沿岸に推移させた結果、主流となった「集-立(Ge-Stell)システム」は「(人口急増で食糧不足に陥った大西洋沿岸の食糧不足に付け込んだ)再販農奴制」や「(世界商品化した砂糖の需要増大に応える形で発展した)三角貿易」だったからである。そしてこうした路線が行き詰まって初めて産業革命の本格的躍進が始まったともいえる。

    ウォーラーステインによれば、資本主義は歴史的なシステムで、かつて歴史的にシステムといえるものは、唯一15世紀に発して今日につながる資本主義しかなく、それは「(複数の文化体を横断する形で地域・領域・空間に資本制的分業をゆきわたらせる世界システム」となった資本主義だけである。
    *考えてみれば江戸幕藩体制下において、その政治的区分を無視して西陣織商人などの株仲間集団が全国的分業体制を敷いていったプロセス、あるいは北海道の昆布が琉球にまで供給され消費される様になっていくプロセス、これこそがまさにウォーラーステインいうところの「世界システム」だったという事になる。

    こうした世界システムは歴史的な流れでみると、本来ならば、ローマ帝国ハプスブルク帝国オスマントルコ帝国のような政治的に統合された「世界帝国」になるか、もしくは政治的統合を欠く「世界経済」になっていくはずのものである。そして近代以前の世界システムはその成長プロセスでたまたま世界経済めくことはあったとしても、まもなく政治的に統合されて、たいていは世界帝国に移行してしまうのが普通だった。
    *このサイトはあくまで「火器を大量装備した常備軍を徴税で養う中央集権的官僚制」の登場こそが中世を終焉させたという立場。つまりそれが登場した時点では大英帝国フランス王国だけでなくオスマン帝国ムガル帝国や(火器装備率の高さと軍隊維持の為の徴税機関の整備度合いばかりは欧米並みだった)近世日本にもこれを脱却する可能性だけは存在したと考える。逆を言えばアケメネス朝ペルシャ(紀元前550年〜紀元前330年)や統一秦朝(紀元前221年〜紀元前206年)を嚆矢とし、モンゴル帝国(1206年〜1634年)に至る古代世界帝国は、むしろ支配階層が各地域の自律性(民族的独自性)を尊重し「紛争回避による交易振興」から得た利益で自らを養った。こうした国政もそれなりには「(複数の文化体を横断する形で地域・領域・空間に資本制的分業をゆきわたらせる)世界システム」の条件を満たすが、それの依る軍制はあくまで「火器を大量装備した常備軍」に一切太刀打ち出来なかったのである。

    これに対して15世紀末から確立していったヨーロッパの世界経済こそは今日にいたるまで、ついに世界帝国化することなく、史的システムとしての世界経済をほしいままにしてきたのだった。
    *現在国際平和を統括している「国際協調社会」は、あくまで三十年戦争(Dreißigjähriger Krieg、1618年〜1648年)を終わらせた(アウクスブルクの和議(Augsburger Reichs- und Religionsfrieden、1555年)の延長線上という体裁で結ばれた)ヴェストファーレン条約(羅Pax Westphalica、独Westfälischer Friede、英Peace of Westphalia、1648年)を出発点としているが、それ以前もそれ以降も欧州は複数の陣営に別れて戦い続け、その事が「火器を大量装備した常備軍を徴税で養う中央集権的官僚制」の普及に貢献してきた。その一方でオスマン帝国ムガル帝国や江戸幕藩体制下では様々な要因からこうした「政治至上主義=産業至上主義」的歴史展開に歯止めが掛かってしまう。その一方で20世紀に入るとこの観点から「近世国家」への脱却に失敗したロシアや中国において共産主義革命が勃発し「第二の道」なる選択肢を登場させたり、さらにはどちらも与しない旧植民地諸国がエジプトのナセルを盟主に「第三の道」を提唱する。しかしながらどちらも20世紀末まで存続する事すら適わなかった。

    ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein、1930年〜) - Wikipedia

    ニューヨークのユダヤ人家庭に生まれる。ハイスクール時代は第二次世界大戦の最中であったが、常に家庭で世界情勢についての意見が交わされるような政治意識の高い一家であった。

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    1947年、コロンビア大学に入学、1954年のコロンビア大学社会学部での修士論文では、マッカーシズム共産主義か反共産主義かの選択を迫るイデオロギー的外観を持ちながらも、実際の行動としては、中道から右よりの政治勢力における内部的な権力闘争のためのプログラムとして機能し、共産主義そのものにたいしては実のところ、関心がほとんど払われていないことが論じられており、イデオロギー的な二項対立状況の総体にたいする拒否とともに「実行可能性」をキーワードにして具体的な政治選択について分析をおこなう姿勢を示す。
    *この姿勢は、冷戦時代において何事も二項対立に還元しようと発想する冷戦思考を批判するものであり、のちに「反システム運動」の概念を生み出したように、ウォーラーステインの思想をつらぬくもののひとつとなった。
    1955年、フォード財団アフリカ・フェローシップを得てアフリカに留学、ガーナとコートジボワールにおける民族解放運動をテーマに博士論文を書き、アメリカのアフリカ研究において指導的立場に立つこととなった。1959年、コロンビア大学で学位を取得、1958年より母校で教職につき、1960年代はじめには、フランツ・ファノンの紹介者としても活動した。公刊された初の単著は「アフリカ—独立の政治学(1961年)」であり、1966年には編書「社会変動—コロニアル状況」を刊行したが、ここではまだ反植民地主義的な論文と近代化論的な論文が混在していた。1967年刊行の前掲『アフリカ—独立の政治学』では、はじめて「世界システム」の語が登場している。

    アフリカ統一運動の行動のフィールドはアフリカではなく世界である。というのは、その目的は単にアフリカの変革にあるのではなく、世界の変革によってアフリカを変革することにあるからである。その敵が内部にあることはたしかであるが、その内部の敵は外国勢力の代理人であると見なしうる—この考え方が「新植民地主義」の概念の本質である。したがってわれわれは、アフリカ統一運動の発生を世界システムの観点から分析しなければならない。なぜなら、この運動に対して、その行動の自由を与奪しうるのは、世界システムの状況変化にほかならないからである

    — Wallerstein, Immanuel(1967), Africa:The Politics of Unity, London, Pall Mall Press, p.237
    *ただし、山下範久によれば、この段階では「世界システム」の語は依然「冷戦構造」程度の意味合いしか持っていないという。

    1968年4月下旬の「コロンビア学園紛争」を契機に世界システムそのものを分析対象とするようになり、1971年、同大学を離れ、カナダのマギル大学社会学教授となり、1973年には43歳で米国アフリカ学会の会長職についた。
    *ある意味、歴史のこの時点において同じ「ニューヨーク知識人」に分類されるリチャード・ホフスタッターの「既存の歴史観は全て間違っていた」なる悲痛な叫びの継承者となった訳である。

    コロンビア大を離れたあとのウォーラーステインはフェルナン・ブローデルに出会ってアナール学派歴史学を学び、世界システム論の提唱者となって、1974年、資本主義経済を史的システムとする『近代世界システム』第1巻を発表。
    *その冒頭において、資本主義世界経済の歴史の時代区分が示されている。それによれば、全4巻の構想であり「1450年〜1640年」「1640年〜1815年」「1815年〜1917年」「1917年〜現代」の4つの時代について1巻ずつ論じることとされている。

    1976年、ニューヨーク州にあるビンガムトン大学に社会学の特待教授(-1999年)として迎えられ、世界システム論研究の中心となるフェルナン・ブローデル・センター(正式名称は「経済・史的システム・文明研究のためのフェルナン・ブローデル・センター」)長に就任した(- 2005年)。1979年には、世界システムの視野にもとづいて現代世界の分析をおこなった諸論文を収載した初の論文集『資本主義世界経済』を、1980年には『近代世界システム』第2巻を刊行。
    *この第2巻は「重商主義とヨーロッパ世界経済の凝集 1600-1750年」と題されており予定の「1640年〜1815年」とは歴史区分が異なっていた。

     世界の大学で客員教授に任じられ、複数の名誉ある地位を得た。パリにあるフランス国立社会科学高等研究院[5]の客員研究主任を何度か務め、1994年から1998年の間は国際社会学会会長となった。1990年代には社会科学の再構築を目的とするガルベンキアン委員会の委員長となった。委員会の目的は向こう50年の社会科学研究の方向を定めるものであった。1997年には『近代世界システム』第3巻を刊行。
    *この第3巻のサブタイトルは「資本主義世界経済の大拡張 1730-1840年」であり、1800年をはさむ半世紀あるいは一世紀の変化をとらえようと多面的に考察している。
    1999年、教師としての引退を表明し、2000年にはエール大学社会学科の高級研究員となった。また、"Social Evolution & History Journal" 編集顧問委員会の一員でもある。2003年にはアメリカ社会学会の功労研究者表彰を受けた。2011年「近代世界システム」第4巻を発表。
    *「中道自由主義の勝利 1789-1914」なる副題がついたこの巻はおそらく産業革命導入が本格化し、消費の主体が王侯貴族や聖職者といったインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層から生産や流通の主体でもある産業階層へと推移していく時代を扱っている筈なのだが未見。

    *こうした全体像の俯瞰から明らかになるのは、ウォーラーステインの世界システム論自体に「(国家間の競争が全てとなった)総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」や「(商品供給企業やマスコミがその衣鉢を継承しようとした)産業至上主義時代(1960年代〜?)」といった歴史区分との接続可能性を求めても無駄かもしれないという事である。実際には19世紀後半における「王侯貴族や聖職者といったインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層から生産や流通の主体でもある産業階層への消費の主体の推移」は砂糖や綿織物といった世界商品のとめどもない価格暴落と連続性を備えている筈なのだが、それまでもこの問題はそういう体裁で語られてこなかった…

こうした全体像の俯瞰から浮かび上がって来る言語ゲームSprachspiel)の特性は以下となりそうです。
豆腐小僧 - Wikipedia

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  • 原則として各時代の「言語ゲームSprachspiel)」は、各時代において優勢な「集-立Ge-Stellシステム」について、それを特定の言い回しで言い広める事に相応の販促効果が伴わない限り自由な発想の展開を抑制され続ける。
    *そう、ちょうど(神聖ローマ帝国の末裔たるオーストリアハンガリー二重帝国統治下で発達した)ウィーン世紀末芸術や(徳川幕藩体制下で発達した)江戸文化が原則として体制批判を回避する方向に発展した様に。

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    *「逆に現状礼賛を特定の言い回しで言い広める事に相応の販促効果が伴う場合には、むしろ言語ゲーム(Sprachspiel)が推奨される」…オロナミンC発売時における「パパは生卵やウィスキーを、僕は牛乳を入れる」なるスローガンを思い出す。生卵も牛乳も当時のチルド輸送の全国定着の恩恵を受けていたしウィスキー普及にもそれに弾みをつけたい流れが存在した。

  • その一方で「政治至上主義者」同士が互いの矛盾を暗喩するケースも存在する。こちらの言語ゲームは「産業至上主義者」の展開するそれに比べて硬直的だが、そのインパクトに影響されて「産業至上主義者」が新たな切り口から言い広めるケースも存在する。

  • 一方、「産業至上主義」的研鑽は、こうした精神的束縛が強ければ強いほどその外側において強い切実性に後押しされて躍進する。例えば(最終的にはあらゆる宗教的権威の偶像化描写が忌避される様になったイスラム文化圏で抽象文様が発達した様に。

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  • いずれにせよ、こうした「特定の集-立Ge-Stellシステムに紐付けられた言語ゲームは、そのシステムが崩壊して以降も存続し、新たな意味付けを獲得する事が多い。

要するに歴史的には、安部公房が「砂の女(1962年)」冒頭で提示した「罰がなければ、逃げるたのしみもない」ジレンマこそが言語ゲームSprachspiel)展開の主原動力であり続けてきたという事になる?

最近「どうしたら人工知能に倫理観を持たせられるか」が話題となっていますが、コンピューター言語で執筆される人工知能もまた言語ゲームSprachspiel)の一種に過ぎない以上、こうした制約に従う展開となるのは避けられそうにないのです。