冗談のつもりで検索したら、思わぬ香ばしいネタが引っ掛かったのです。
ロシア人兵士が伝えてきた武術「システマ」のストライク(打撃)には、軽く打たれただけでブラックジャック(靴下や皮袋に砂やパチンコ玉を入れた武器)で殴られたような衝撃がある。中国武術でいう「発勁」と重なる所もあるが、違う所もある。
いずれにせよ「システマ」と称してるくせに細かい理論や訓練カリキュラムなど存在せず、脳筋の修行者が二人あるいは数人でただひたすら互いの腹と顔を殴り合い続ける過程で経験的に体得するのである。だから身体が貧弱な者は練習について来れないし、逆に脱落しなかった人間は自然に「発勁に似た強烈かつ奇襲性の高い打撃」を備える事になる。
もしかして、これって単なる「生存バイアス」なのでは?
システマ(露Система, 羅Systema) - Wikipedia
ロシアの武術、軍隊格闘術。近代戦における様々な状況を想定した実戦的格闘術として、近年注目を集めている。なお、その歴史的背景と技術的特徴から、一般向けのセミナーでは護身術として整備されたプログラムを用いて指導されている。そのため2017年時点では競技格闘技ではない。
ソビエト連邦の独裁者ヨシフ・スターリンのボディーガードから教わったミハイル・リャブコによって創設された。リャブコ家に家伝として伝わっていたロシアの伝統武術を源流としている。
1990年代初頭の冷戦終結後と言えるソ連崩壊に伴い、かつては謎に包まれていた数々のロシア武術の全容が次々と明らかにされていった。その中の一つが元ロシア軍特殊部隊員ミハイル・リャブコによって公開されたシステマもあったのである。代々戦士として戦ってきた家系に生まれたリャブコは15歳でスペツナズに所属したのち多数の特殊部隊の戦略的顧問を歴任、現在はロシア法務大臣補佐官を務めている。リャブコ自身が体験した戦闘、人質奪還、武装解除、カウンターテロ作戦など数多くの実戦の中で得たノウハウから構築されているとされ、現在ロシアの特殊部隊やロシア連邦保安庁など様々な機関が導入している。
概要徹底した脱力と柔らかな動作が特徴。その形態からロシアの合気道と呼ばれることもある。ナイフ、槍、棍棒、拳銃、突撃銃などの武器に関する攻防技術も多く盛り込まれているが、これはロシア伝統武術全般の共通理念である全局面戦闘、白兵戦における生存性の向上などを色濃く受け継いだものと思われる。
現在はロシア以外にもアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ、セルビアなど各国に普及が進んでいる。日本では2005年に公式ジムである「システマジャパン」が設立された。一般向けのセミナーでは殺人術などの軍事・警察関連機関向けの戦闘術は指導・公開されていない。
こうした諸概念が啓発セミナー系の文脈に強引に「型押し」されるとこうなる様です。
数々の内乱、紛争を鎮圧したロシア内務省直属特殊部隊SOBR(ソーブル)。その将校がロシア古来の武術をもとに生み出した訓練法が、いま世界各国で話題になっています。その名は「システマ」。創始者はミカエル・リャブコ氏です。
軍隊式の訓練法というと、「ビリーズ・ブート・キャンプ」みたいな激しい筋トレを思い浮かべるかもしれませんが、システマでやることはまるで正反対。呼吸法とリラクセーションを中心としたワークによって、体の芯から疲れやストレスを抜いていくというのがその手法です。
要するに弾丸が飛び交い、足元に地雷が埋まっているような超ストレスフルな状況で活用されてきた、ストレスマネジメントのメソッドです。特殊部隊のメソッドなんて、平和な日本に住む私たちにはまるで無関係に思えるかもしれません。でもよくよく考えてみると、私たちと特殊部隊の隊員たちとの間には、意外にも共通点があるのです。
たとえば顧客からのクレームや上司からの叱責、大きな責任を伴う仕事などなど。私たちの日常生活に降りかかるプレッシャーやトラブル、災難はいわば弾丸のようなもの。弾丸に当たらないよう、慎重に避けつつ、それでも万が一当たってしまったら被害を最小限にとどめながら、前に進まなくてはいけません。さらに、友人や恋人といった身近な間柄の人でさえ、相手の「地雷」を踏んでしまえば一瞬でその関係が険悪になってしまうなど、人間関係の脆さや、「そんな法律知らなかった!」というような法律面での落とし穴は、地雷そのものなのです。
もちろん、日本では戦場のように物理的な暴力で命を落とすことなどまれです。それでも程度の違いこそあれ、日々ストレスフルな環境で生きているという点では、私たちと特殊部隊は共通しているのではないでしょうか。
システマとは、戦場を生き抜くためのメソッドです。日常生活と戦争の最前線、形は違っても、私たちと特殊部隊それぞれが身を置く「戦場」において、力を与えてくれるのです。
また私たちと特殊部隊には、共通点がもうひとつあります。それは「時間がない」ということ。特殊部隊では実にさまざまな訓練を日々こなさなくてはいけません。一方、私たちも少ない時間をやりくりして、日々仕事や家事を回しています。じっくり腰をすえてストレスマネジメントを身につける余裕なんて、なかなか得られないという点も似ています。
システマはそういう状況下でも誰でも手軽に、ある程度の効果が得られるように設計されています。その核となるのが「ブリージング」と呼ばれる呼吸法です。やり方は鼻から息を吸って口からフーっと吐くだけ。口を開いてハーッと吐くのではなく、軽くすぼめてフーっと吐くのがポイントです。腹式呼吸とか胸式呼吸とか、気にする必要はありません。それによって視界が明るくなったり、緊張が和らいだりといった、何らかのポジティブな変化が少しでもあれば、正しくできているということです。あまりにも手軽であっけなく思えるかもしれませんが、これはどんなに時間がない人や、不器用な人でも実践できるよう、極限まで余計なものを省いた結果です。
気持ちが焦ったり、不安を感じたり、あるいは姿勢が曲がったり肩に力が入っているとき、必ず呼吸は速く、浅くなっています。つまり精神と体、そして呼吸は密接にリンクしているのです。だからその一角である呼吸を整えることで、精神と体もまた同時に整えることが可能となります。
とはいえ、呼吸ひとつで人生がひっくり返るようなドラスティックな変化が起こるわけではありません。気のせいにしてしまいそうな、ささやかな変化です。でもブリージングをすれば、その変化は必ず起こります。こうした小さな変化の積み重ねが、大きな変化となるのです。
そしてずっしりのしかかる重たいストレス。これを軽くしてしまう方法があります。一言でいうなら「強くなる」こと。体と心が強くなれば、同じ悩みやストレスでも不思議と軽く感じられてくるものです。重い荷物でも体が強くなれば、軽く感じられるのと同じ。でもただ筋トレをして筋力をつければよいというものでもありません。体も心も芯から強くなるような強さ。それこそが自信をもたらし、ストレス耐性の向上につながります。
要するに一言で要約すると「常在戦場」の覚悟?
ところで、これまでこのサイトでは以下に注目してきました。
- 言語神秘主義的発想からコンピューター実用化以前より洗練されてきた「(使いやすい様に効率的に整備された、あるいは雰囲気を盛り上げる為に独特の装飾を施されたインターフェイスやプロトコルを操る)操作者」が「(操作結果を正しく解釈して遂行する主体としてのCPU的な)操作対象」を介して「(それぞれが適切な単位でコンピューターに接続されたデバイス群やネットワーク上の通信相手を束ねる操作単位の総体としての)世界そのもの」に介入する時空間認識モデル。多くの伝統的宗教儀礼もこれに該当する側面を有する。
- 仏教の律宗やキリスト教の修道院やクエーカー教徒などが洗練させてきた「時間を厳守した規則正しい日常生活の維持」。これはこれで「近代的労働者の生活態度」の大源流となったが「日々の生活全てが祈祷」という言葉もある様に、それ自体が「完全に自己目的化した集-立(Ge-stell)システム(後期ハイデガーいうところの「特定の意図に従って手持ちリソースを強制的に総動員しようとする(逆に他の利用法も有用である事を否定したり、制限しようとする)体制」)」として「(マンハイムいうところの保守主義的というより伝統主義的な)反進歩主義的 / 反知性主義的」特殊条件を満たしてもいる。
- 赴任先の征服に失敗して全滅しようが、棄民としての役割はそれなりに果たす開拓団の悲哀。「捨て駒としての宣教師」なんて話にもつながってくる。欧州史における「ヴァイキング時代(Viking Age、800年〜1050年)」から「大開拓時代(10世紀〜13世紀)」にかけて、そして「パクス・ブリタニカ(Pax Britannica=「大英帝国の平和」、狭義1850年頃〜1870年頃、広義19世紀中旬〜20世紀初頭)」の時代…
男性はキリスト教の宣教師で、布教活動のためにこの島で生活する先住民と接触しようとしたということです。しかし、外部との接触を拒む先住民らは男性に矢を放ったうえ、首にロープを掛けて引きずるなどして殺害しました。この島の先住民らは部外者に対して非常に敵対的であることで知られていて、島に上陸しようとする人を度々、攻撃してきました。インド政府も島の文化の保護や危険性の観点から、この島へ近付くことを禁止していました。
どうやら第三の分類に「過酷な環境を生き延びた事による選民意識の芽生え」を加えないといけない様なんです?