諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【多様で多態的な絶対他者の垣間見え方】「所詮は人形さ」の一言の重み?

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士郎正宗攻殻機動隊1989年〜)」で、攻性防壁の襲撃から逃げ遅れたアンドロイドのオペレーターが人工頭脳を焼かれた時、草薙素子は「そいつはただのスピーカーだ。公安が修理する」と切り捨て、バトー「ゴーストのないお人形ロボットは悲しいね。特に赤い血を流すタイプは」と嘆息している。

ただし欄外のコメントは「僕はあらゆる森羅万象にゴーストはあると考えるマニトゥや神道の考え方。しかしその複雑さや機能、現象として現れる時の物理的制約などから、それを科学的に証明する事は難しいかもしれない」とされている。

そして押井守監督の映画版は「人間と人形間の境界線とは何かそもそもそんな線引きが可能なのか)?」という方向に話が集約していく。

 その一方でペッパー君は「商品」でもある訳です。

そう、誰も欲しがらなくなったら新たに生産される事もないのです…