諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【蘇る1930年代の悪夢】「Cheese-eating surrender monkeys」問題再び?

f:id:ochimusha01:20190119141600j:plain

最近「世界はあの悪夢の1930年代に回帰しつつある」という論説を見掛けました。 ならば思い出すべきは、かの「Cheese-eating surrender monkeysチーズを食べながら降伏するサル野郎ども)」の振る舞いなのかもしれません。

 例えばこれ。

今、世界は「外交戦争の時代」に突入したのです。

どういうことかと言うと、世界中が「国内が成長するよりも外国から何かをぶん取るほうが成長できる状態」に陥りつつあるのです。

これとよく似た状況が、1930年代の世界で起きました。1929年にアメリカで大恐慌が起きましたが、欧州でも同様に経済停滞が起きます。それで主要国は他国から利益をぶん取る覇権主義ないしは保護主義的な政策へと舵を切るようになります。

その中で、ドイツではナチスが政権を握り、ソ連ではスターリンが権力基盤を固めるのですが、少なくともドイツに関して言えば、独裁者が誕生した背景はポピュリズムの台頭にありました。つまり、国民が「悪いのは外国だ」と唱えるヒトラーを選挙で指導者に選んだのです。

そうして、世界が紛争の種を抱えて不安定になった結果、1930年代は歴史的な外交政策の時代に突入します。いたるところで国際問題が起き、それを解決するための国際会議や首脳会談が、どの国にとっても最大の政治課題になったのです。

今世界で起きていることは、1930年代と同じ外交問題の同時多発現象です。その観点で捉えれば、現在進行形の日ロ交渉も、イギリス議会のEU離脱否決も、全てはまったく別の事象でありながら、同じ文脈で起きている社会問題です。

繰り返しになりますが、その根底にあるのは「国内が成長するよりも、外国から何かをぶん取ったほうがいい」というアイデアです。ロシアも韓国も中国もアメリカも、日本を揺さぶれば何かしらの利益が得られると考えて、同じ文脈で全く別の外交問題を次々と仕掛けているのです。

そして、それは日本だけではなく、中国とアメリカ、中国とカナダ、イギリスとEU、トルコとサウジアラビアといった具合に、世界中で同時に違う形で同じような外交問題が勃発している。それが、現在起きていることの本質です。

結果として、死刑判決を受けてしまったカナダ人から見れば、これほど理不尽な状況はないでしょう。しかし、そのことが単体の問題ではないということが、今回の問題なのです。

1930年代の外交政策の時代は、その後に世界大戦を引き起こしました。一市民としては、今回の状況がそこまで悪化しないことを願う一方で、特に日本の政治家には同じ悲劇を二度と繰り返さないように、国の舵取りをお願いしたいと思う限りです。

こういう風に「今度こそ日本は我慢し抜くべきだ」みたいな論調がこれから増えていきそうな予感で一杯ですが…それでは実際の第二次世界大戦1939年〜1945年)はどういうプロセスで勃発したのでしょう?

第一次世界大戦1914年〜1918年)において戦勝国となったフランスは「ビスマルク体制1871年から1890年にかけて履行されたフランスを孤立させる外交戦略)」への報復とばかり絶対払いきれないような額の賠償金を課した上で、ドイツが生産する石炭の73%、鉄鋼の83%を産出するドイツ経済の心臓部たるルールを軍事的に占領(1923年)したのである。

対抗可能な軍事力も保有せず、ハイパーインフレに見舞われて経済的大打撃を受けた当時のドイツ人は「このままでは我々ドイツ民族は地上から絶滅させられる」と本気で信じ込んだ。ヘルムート・プレスナーはこの過程で「どうせどの民族も最後には滅びていくにしろ、ドイツ民族が最初にそうなる運命を強要されるのは理不尽だ」なるゲルマン民族生物学的発想が生じたとする。
*この先例から得られる教訓は「敗戦国に対する迫害は、迫害される側に悲壮な覚悟での反撃を開始するまでエスカレートし続ける」というもの。

一方、ナチスドイツが「反撃」に転じるとフランスら欧州諸国はその「併合範囲」拡大を黙認。ついにはフランスもあっけなくナチス・ドイツの占領下に入ってしまう。
*最近のリベリズムの暴走を見るにつけ、そのうち「チェンバレン外交」や「まやかし戦争(phony war)」を「第二次世界大戦勃発を遅滞させた偉業」と熱狂的に礼賛する動きが起こっても不思議ではない。そしておそらくそれと同時に、当時の欧州がラインラント進駐(1936年)、にはオーストリア併合(1938年)、チェコ併合(1938年)、ポーランド侵攻(1939年)を黙認した様に、中国や韓国や北朝鮮愛国心から何をしても黙って容認するのが国際平和維持の道という主張が大々的に展開される事になる。

これぞ「Cheese-eating surrender monkeysチーズを食べながら降伏するサル野郎ども)」の由来となった有名な某国の振る舞い。本来の形で現代史と重ねると、また違った景色が浮かび上がってくるという次第…