諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【美少女解剖模型】だがそれは既に人類が通ってきた道だった?

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 だがこの件、実は最初の最初から手遅れだった?

最初に蝋製の解剖学的標本を製作したのは17世紀後半に活躍したガエターノ・ズンモ(Gaetano Guilio Zummo 1656年に~1701年 後にフランス風の威厳ある名前が必要となりズンボと改名)であったとされている。

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  • 「ペスト」…中世から教会奉納用の箱舞台(蝋人形を使ったジオラマの一種)を製作する伝統のあったシチリア島出身のズンモが1661年にナポリに渡った際、そこで奇しくも自分の生まれた1656年に猛威を振るったペストの残禍を描いた絵画と出会って衝撃を受け、現地教会に奉納するつもりで作成した「恐怖劇場シリーズ」第一作。
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  • 「時の勝利」「人体の腐敗」「梅毒」…「ペスト」が評判となってトスカーナ大公コジモ3世に招かれフィレンツェに移り住んで1694年まで製作を続けた「恐怖劇場シリーズ」の残り。「人体の腐敗」は夢野久作が「ドグラマグラ(1935年)でも取り上げた題材だし「ペスト」はマルキド・サドの想像力を刺激して「悪徳の栄え(1797年)」中に同様の内容の「偶像の部屋」を登場させた。また「梅毒」は古代ギリシャ・ローマの神々が’性交後のの気怠い満足感のうちに性病に感染して死んでいくという闇黒のユーモアを具現化したものである。
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  • 「退廃芸術から医療模型へ」…やがてズンモは衰退し断絶に向かうメディチ家貴族の退廃趣味についていけなくなった。そして芸術より科学に関心の比重を移す様になったフィレンツェの雰囲気に迎合する道を選んだのである。すなわち周囲から解剖用死体を蝋人形で製作する事を勧められ、当時イタリアで唯一人体解剖を許されたボローニャに出向いて解剖学に関する造詣を深めた。1695年から1700年にかけてはジェノヴァに滞在して解剖学教授ギョーム・ドゥヌーと蝋人形製作を共同研究するもやがて訣別。フランスに逃げ込んでマルセイユのジャン=ルイ・ファベールの協力で若い受刑者の刑死体など40体以上の遺体に接する機会を得て本格的製造に乗り出した。これが話題となってパリへと移動し、ルイ14世から解剖模型の独占権を得たがほどなく病死。
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    *下図はボディービルダーの初期のポージングを連想させる。「肉体は魂を祀る神殿」という意識が貫かれているせいかもしれない。

しかし解剖用蝋人形製作の伝統はフィレンツェのラ・スコベラに継承され、フェリス・フォンタナとパオロ・マスカーニが実際に人体を解剖してその死体の形を取る方法を採用した1800年頃から大々的に行われる様になった。

  • 解剖されたヴィーナス」…僅か3年間の間に500身以上の製作を手掛けたクレメンテ・スッシーニ(1754年〜1805年)という職人は「蠟でコピーすする死体は理想美を備えていなければならない」と主張して十代の美少女の遺体を選び、この街に保存されているボッテッチェリの傑作「ウェヌスの誕生」のポーズを取らせたのだった。胸の部分を開いて臓器を取り除けていくと子宮の中には胎児もいる。ズンモがイエス・キリストの像に似せて解剖用頭部を製作した様にスッシーニは聖母マリアに似せてこうした像を作成したという話もある。
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  • 一方医学と科学の総本山足たるボローニャでも医師エルコール・レッリ(1702年〜1766年)が本物の人骨を蠟で肉付けしていく独自の製造方式を開発し1720年以降大々的に解剖養老人形を生産する様になってフィレンツェを脅かしたという。ただしボローニャの解剖用模型はあくまで「実用物」としてのみ製作され古代ギリシャ・ローマ彫刻や聖画の様なポーズは取らされなかった。
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やがて精緻で美しい解剖図や解剖模型は見世物小屋に展示されて客寄せに使われたりする様にもなっていく。多少皮が剥がれていたり、筋肉や骨が剥き出しだったり、内臓が飛び出したりしてもヌードはヌードだし、かえって猟奇趣味が満たされたとも。
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このトピック、これまでの投稿との関係も深くて色々指摘したい事も多いのだけど、相応に時間も要しそうなのでとりあえずメモがてら投稿…