諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】日本人は「地球儀(仏法そのもの)」を崇拝する稀有の民?

奈良の大仏は仏教史上、最も不思議な歴史を辿った仏像の一つじゃないかと思います。

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  • そもそも盧舎那仏(Vairocana=ヴァイローチャナ)とは何か。(「梵我一如の境地」の延長線上に現れた)華厳経における「万物が連動する」宇宙観そのものを体現したモデルであり、その像は確実に「地球を模型化したモデル」すなわち地球儀(The Globe)としての側面を備えている。
    実は地球儀にも相応の神秘性が存在する。なぜ緯度(±90度)は経度(±180度)の半分しかないのか? 残り半分は何処に消えてしまうのか? かかる疑問の答えとして得られる「共役系(Conjugated System)」なる概念が、華厳経における「万物が連動する宇宙観と相応の親和性を有していたりするのである。

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  •  それはそれとして地球儀自体を崇めてどんな御利益があろうか。原義に従うならそんな展開など到底考えられない。同様に盧舎那仏像もそれ自体は壮大な宇宙模型に過ぎず「崇めたら相応の御利益をもたらしてくれる崇拝対象」に選ばれる筈がなかった。なら如何なる形で尊ばれてきたのか。例えば人知れずこっそり建立されて地下に安置される事によって「秘められた宇宙の真理」を象徴し「建立者だけがその存在を知っている」体裁を取る事によって信心篤い在地有力者の自己満足に貢献してきた例が知られる。実際、聖武天皇近江国紫香楽宮にて大仏造立の詔(743年)を発っし、その設置場所として近郊の甲賀寺を検討していた時点では、やはりこの盧舎那仏も「地下の秘仏」として演出される予定だったと考えられている。

  • 誰が計画に変更を加えたか不明だが、どう考えても魔がさした素人が「せっかく巨費が投じられた国家プロジェクトなのだから、鎮護国家思想の要として都の中心に堂々と建立し、その巨大さが全ての臣民の畏敬を集める求心力となる事が望ましい」とでも考えたとしか思えない。ちなみに、ここでいう「素人」は当時、難解な倶舎論や法相宗パトロンとして名を馳せつつ政治闘争に明け暮れた藤原四家も含む(というか最有力被疑者)。

  • それでは当時の仏教界が以降どう展開したかというと、華厳経を「確かに美しい世界観だ。だが残念ながらそこに到達する道が十分に示されているとはいえない(実際には「東海道五十三次の53の数字の由来となった」ともいわれる「入法界品」なんてチュートリアル編も経文に含まれる)」とバッサリ切り捨て、真言宗を起こした空海密教(仏教的神秘主義)が優勢となり「絵に描いた餅盧舎那仏は次第に密教の中心仏たる大日如来の化身の一つとすら考えられる様になっていく。

  • 当時は律宗も仏教界内改革派として相応の役割を果たしている。キリスト教世界におけるクエーカー教徒の様に、まさにこうした「実際性を重んじる人々」こそが中世かにおいて近世精神を、近世において近代精神を準備してきたのだった。

こうして仏教史上の流れにおいて「働きかける対象への正確な観想」「手続きの正確さと反復性」が優勢となった発端は般若心経に啓発された龍樹「中論(3世紀)」とされ、そこでの「これに専心する呪術は有効である」なる断言こそが密教(仏教的神秘主義)の起源となったのです。 

この流れ、古代インドのバラモン教聖典リグ・ヴェーダまで遡れるので無碍には否定出来ないという話。最近ダニエル・デフォーペスト(A Journal of the Plague Year,1722年)」を読んでいるので、ますます脳内に混乱が…