安倍吉俊「NieA_7(漫画1999年~2000年,TVアニメ化2000年)」の名言「人はパンのみに生きるにあらず?」を久し振りに思い出しました。
もちろん理想は「人はパンのみに生きるにあらず」。しかし、理想はあくまで理想であって、そう容易く手に入るものでは…
【八嶋
— 田中泰延 (@hironobutnk) 2021年2月10日
これはよく話すことですが、
「生きる」ってことだけを考えると、
演劇なんて必要ないわけです。】
取材の日は奇しくも2度目の緊急事態宣言が出されるという日。ちょうど舞台の稽古期間中だった八嶋智人さんは、どんなことを感じたのでしょうか。#ほぼ日 https://t.co/Z2aROEsuZG
これを読みながら、ちょうど映画リベリオンを思い出していた。
— 胡蝶・うっかり八兵衛@モサコ姉福岡 (@evelyn_Bordeaux) 2021年2月10日
人は娯楽を奪われると人ではなくなると感じた内容。
生きることに演劇なんて必要ないけれど、人として生きるためには必要。
演劇や映画のエンターテインメントでも喜怒哀楽を感じる、楽しむことが出来てこそなんだと思った。 https://t.co/JHkf6TvW59
だが「リベリオン(Equilibrium,2002年)」は現代より遥かに表現上の制約が多かった江戸時代だからこそ人形浄瑠璃や歌舞伎の世界で結晶化し得た形式美へのリスペクトだったのではないでしょうか? その事を篠田正浩監督映画「槍の権左(1986年公開)」を鑑賞して思い出しました。
「現代より遥かに表現上の制約が多かった江戸時代だからこそ人形浄瑠璃や歌舞伎の世界で結晶化し得た形式美」といえば、サイレント映画時代まで遡る日本の「化け猫映画」の伝統にも影響を与えたドイツ表現主義(German Expressionism)も想起させますが、日本人教師に漢字を習ったソ連のエイゼンシュテイン監督が独裁者スターリンの寵愛を受けた逸話も同時に思い出さずにはいられません。「究極の自由主義(すなわち、如何なる浅薄な思い付きでも、その遂行を妨げられない自由の確保)は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマ…
昭和アングラはこうした日本の伝統を清濁合わせ飲む形で成立。最近「潮の魔神」関係で私のクラウス・ノミ関連投稿が伸びていますが、同時代を生きた人間としてクラウス・ノミというと思い出すのがPhew「終曲(1980年)」だったりします。
戸川純がカバーしてたのか…
私のこの辺りの性癖は古くはゲーテ「コリントの花嫁(The Bride of Corinth、1797年)」やフーケ「ウンディーネ(Undine、1811年)」辺り…
そしてフェリーニ映画「カサノバ(Il Casanova di Federico Fellini=フェデリコ・フェリーニのカサノヴァ,1976年)」も巻き込んで…
未来方面にはエレクトロポップの暗黒面へと繋がっていく訳ですが…
「人形愛の美学」についてはテクノ方面などでさらなる深まりを見せる訳です。
一方「流れいく時間への抵抗」というと、あえて比較的POPなオルタナティヴ・ロック(Alternative Rock)の分野が意外と深みまで切り込んできます。
リフの「3分間のこの曲が、最先端の君の感性を、3分間で錆び付かせる」なる歌詞が漂わせる、独特の無時間性と退廃感…
こうして全体像を俯瞰してみると、現代日本の演劇はどれだけ深みに達してると言えるのでしょう?(私も本当に全然分かってないので聞いてます)