諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「人はパンのみに生きるにあらず?」

安倍吉俊NieA_7(漫画1999年~2000年,TVアニメ化2000年)」の名言「人はパンのみに生きるにあらず?」を久し振りに思い出しました。

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もちろん理想は「人はパンのみに生きるにあらず」。しかし、理想はあくまで理想であって、そう容易く手に入るものでは…

だが「リベリオン(Equilibrium,2002年)」は現代より遥かに表現上の制約が多かった江戸時代だからこそ人形浄瑠璃や歌舞伎の世界で結晶化し得た形式美へのリスペクトだったのではないでしょうか? その事を篠田正浩監督映画「槍の権左(1986年公開)」を鑑賞して思い出しました。

現代より遥かに表現上の制約が多かった江戸時代だからこそ人形浄瑠璃や歌舞伎の世界で結晶化し得た形式美」といえば、サイレント映画時代まで遡る日本の「化け猫映画」の伝統にも影響を与えたドイツ表現主義(German Expressionism)も想起させますが、日本人教師に漢字を習ったソ連エイゼンシュテイン監督独裁者スターリンの寵愛を受けた逸話も同時に思い出さずにはいられません。「究極の自由主義(すなわち、如何なる浅薄な思い付きでも、その遂行を妨げられない自由の確保)専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマ…

昭和アングラはこうした日本の伝統を清濁合わせ飲む形で成立。最近「潮の魔神」関係で私のクラウス・ノミ関連投稿が伸びていますが、同時代を生きた人間としてクラウス・ノミというと思い出すのがPhew終曲(1980年)」だったりします。

戸川純がカバーしてたのか…

私のこの辺りの性癖は古くはゲーテコリントの花嫁The Bride of Corinth、1797年)」やフーケウンディーネUndine、1811年)」辺り…

そしてフェリーニ映画「カサノバ(Il Casanova di Federico Fellini=フェデリコ・フェリーニのカサノヴァ,1976年)」も巻き込んで…

未来方面にはエレクトロポップの暗黒面へと繋がっていく訳ですが…

人形愛の美学」についてはテクノ方面などでさらなる深まりを見せる訳です。

一方「流れいく時間への抵抗」というと、あえて比較的POPなオルタナティヴ・ロック(Alternative Rock)の分野が意外と深みまで切り込んできます。

リフの「3分間のこの曲が、最先端の君の感性を、3分間で錆び付かせる」なる歌詞が漂わせる、独特の無時間性と退廃感…

こうして全体像を俯瞰してみると、現代日本の演劇はどれだけ深みに達してると言えるのでしょう?(私も本当に全然分かってないので聞いてます)