こんなのまであるとは、さすが「いらすとや」さん…
少し前までプロジェクターのスクリーンを下ろすためのかぎ付きの棒が各教室にあったんだけど,それを見るたびに「こんな凶器になりうるものを教室に置いておいても平気なんだから大学も平和になったよなあ」と思った。
— PsycheRadio (@marxindo) 2021年3月25日
それも広い意味では「バールのようなもの」になるような。
— Toshimi Yoshida (@NeverGirls) 2021年3月26日
東大出身の先生はその棒を指し棒にしてました。長さが丁度いいと言っていたけど、自衛のためだったのかな。
— しょ (@dragonvet) 2021年3月26日
20年位前だったか、母校の歩道がアスファルトからレンガ敷に変わった時に、年寄り教授が「ああ、本学は学生運動を制圧したという自信をもったんだなぁ」としみじみ述懐しておられました。煉瓦は掘り出して投石に使われるからダメだったんだそうで。 https://t.co/MimRDbkYsA
— 齊藤明紀 (@a_saitoh) 2021年3月26日
67年から始まる学生運動の実力闘争で道路の敷石が砕かれて投石に使われたため、70年安保に向けて都内の道路はアスファルト舗装に全面転換されたと聞きます。大学の敷地内も同じなんですね。
— とし (@TOSHI_roudousha) 2021年3月26日
@bokukoui 60年安保の抗議活動に参加していたと言う知人は、都電の併用軌道に敷かれていた敷石を(割って?)投げたと言ってました。
— 新染 千尋 (@Arashi_Mic) 2021年3月26日
そんな時代もあったねと…