諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【私の音楽遍歴】「パンク・ムーブメント」とは一体何だったのか?

重くてロードに時間が掛かり過ぎる過去投稿を五分割しました。私自身の音楽体験に基づく独断と偏見に基づいた1970年代~1980年代にかけての音楽シーンの分析…

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坂本龍一プロデュースの「終曲(1980年)」を歌ったPhewの目には全く別の音楽シーンが映っていたと知って、全体像を再構築中です。

坂本龍一Phewさんは僕より少し年下なんですけど、1980年頃、僕ら仲間と付き合っていて、僕がプロデュースしてEPをいっしょに作ったり、LIVEをして、結構、短い時間でしたけど、濃く付き合ったことがあるんですけど、その後、連絡が途絶えてしまって。」

終曲”は1981年に出たんですけど、あの時代というのは私個人は苦しんでいたんですよ。閉塞感があったというか……。80年代という新しい時代のはじまりがほんとうに大っ嫌いでした。パンクは終わってしまった。世の中は浮かれている。だけどメジャーなレコード会社とかはヘヴィメタ・ブームが再燃していて、ムリヤリつくったニューウェイヴを業界レベルでもりあげていく。ものすごく敗北感がありました。それで2、3年くらいはひきこもりみたいな生活だった。

何が衝撃だったかって、Phewの立脚する「パンク」がマルコム・マクラーレンプロデュースした、それもニューヨーク・パンクの「New York Dolls( 1971年~1976年)」ではなくロンドン・パンクの「Sex Pistols(1875年~1978年)」だった辺り。

何しろこれまでの私の世界観ときたら…

ところがPhewは(当時ザ・スターリンやJJAGATARA(1879年~1990年が分類されていた)こうした当時を振り返ってあえてセックス・ピストルズへの憧れを語るのです。その視野を取り入れるには全体構造の見直しが必要になってくるという…

そうか、この話は私にとっては「ジャングル不等式」の話の蒸し返しでもあるんだ…

その事に気付いた時点で以下続報…