「Phewさんは僕より少し年下なんですけど、1980年頃、僕ら仲間と付き合っていて、僕がプロデュースしてEPをいっしょに作ったり、LIVEをして、結構、短い時間でしたけど、濃く付き合ったことがあるんですけど、その後、連絡が途絶えてしまって。」
という事で、最近Phew「終曲(1980年)」をヘビロテで聞き返してます。アレンジ・演奏坂本龍一というだけで、もう貴重な時代証言。そもそもこうしたサイド展開抜きにYMOの「BGM(1980年)」「テクノデリック(1981年)」はなかったとも言われてますし…
意外な事に気付きました。坂本龍一自らが演奏した当時としては最先端の音楽的アヴァンギャルド・パフォーマンスだったにも関わらず「うる星やつら( 原作1978年~1987年、アニメ版 1981年~1986年)」の初期OP/EDで使われてる様な無音階系ピコピコ電子音が聞こえてくるのです(そういえばそれはラムちゃんの飛翔音でもあった?)。
- Wikipediaを読み返していて今更の様に原作者高橋留美子のお気に入り作品が原作第3話の「石油が町に降る話」(原題「悲しき雨音」)、水乃小路飛麿が最初に出てきた話(原題「白球に賭けた青春」)とあたるが幽霊少女・望の願いを叶えてやる「最後のデート」だと知った(一番気に入っているコマは、「最後のデート」で、あたると幽霊の望がデート中に花火を見上げているシーンだという)。「石油が町に降る話」は1970年代後半に怪奇オカルト超能力UFOブームのパロディとして出発し、1980年代には学園ラブコメに移行するこの作品の過渡期たる「ドロドロ三角関係」期のマスターピース…
1970年後半から1980年前半にかけてのトレンド激変期には、数多くのロングセラー作品が悪足掻きの甲斐もなく消えていった。ならばこの時代を平然と生き延びて記録を伸ばし続けたジョージ秋山「浮浪雲(1973年~2017年)」や秋本治「こちら葛飾区亀有公園前派出所(1976年~2016年)」や「うる星やつら(1978年~1987年)」は一体何が違ったのか。それだけでもう重要な研究対象といえよう。
また「最後のデート」は実は以下の投稿で2000年代後半における「異類婚や彼岸と此岸の交流が不幸しか生まない」とする物語文法崩壊以降、市場が許さなくなっていく「Sexで終わるプラトニック・ラブストーリー」や「幽霊の成仏で終わるゴースト・ラブストーリー」で真っ先に連想した「去るのが惜しまれる完成度を誇る代表作」の一つだった(当時の投稿を再読して触れ忘れていた事を確認)。ある種の「典型的パターン」を顕現していたからだが、数多の時代変遷を経て、この頃まで比較対象として生き延びた事自体が物凄い(主人公が幽霊が編み終えず終わったセーターを彼女が成仏した真夏に脱がず感無量にひたる図、当時のトレンディドラマでも見た気がする。それくらいの影響力をこの作品は有していたのであった)。
- アニメ版「うる星やつら(1981年~1986年)」は、最初期にはそのスラップスティックな作風を全盛期黒澤明の現代劇(1940年代~1960年代)もかくやと思わんばかりの勢いで中南米音楽と結びつけた点でも異色である。アニメ史的には「作画安定に至る経験値蓄積期」に該当する様だが、音楽面でも主題歌やエンディングがいわゆる「1980年代歌謡曲」の作風に飲み込まれていく 時期への橋渡し役となった。
話を本題に戻すと1980年代シンセサイザーサウンドを代表し、しばしば坂本龍一と結び付けて語られるYAMAHAのDXシリーズ初登場すら1983年。当時の半導体技術の進歩がFM音源の進化を牽引した結果で、それがブレイクスルーになったという事は、逆をいえばそれまでのテクノサウンドは…
まぁProphet5とかなんですが…
- 国内外でグルーブ至上主義が頂点に達した1970年代中旬、ハードロックやプログレの様な白人音楽に模倣されまくってきた黒人音楽がジャクソン5やナイル・ロジャーズ率いるシック(CHIC)の登場により簡単な模倣は不可能な高みに到達する。
- 前段階として70年代前半におけるフィラデルフィア(フィリー)・ソウル(Philadelphia (or Philly) soul)の大流行があった。音楽に「踊られるもの」という要素が加わるディスコ・ブーム黎明期でもあり、次第にダンスの為の「正確なリズムを無限に再現し続けるリズムマシーン」性が要求される様になっていった時代でもある(ただ当時のダンスはチーク・タイムに流れる緩やかなテンポのロマンティックな曲を含んでした)。
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置き去りにされ、途方に暮れて新路線を編み出したのは白人ばかりではなかった。当時のドイツ経済成長の徒花ともいうべきBoney Mも、当初はスモーキー ・ロビンソン率いるミラクルズなどの影響下にあったが…
次第に音楽面での革新性不足を補うべく「英雄叙事詩路線」ともいうべき分野に足を踏み入れていく。キーワードとしてのLove Machineなる単語の継承…
1970年代末に彗星の様に現れては消えていったジンギスカン(DSCHINGUIS KHAN)はまさにこの流れの派生的落とし子だったといえよう。そうPOPであり続けるには高尚性への耽溺だけでなく、大衆へのアピールが不可欠なのである…(この文字の入力中、FEPが「高尚性」の変換候補として「公娼制」を挙げた。実に感慨深い)
こうしたサバイバルに革新性が要求されるカンブリア期的混沌が産んだ落とし子の一つがクラフトワーク(Radio Activity)「オートバーン(1975年)」だった。ドイツのラジオに流れたのを契機にたちまち国際的にヒットし、クラフトワーク自らがその恐るべき伝播力を放射能に喩えたRadio Activity(1976年)をリリースしているが、この流れ自体にはエスニック要素はまだない。
- 日本におけるテクノ音楽のモチベーションは、ドイツにおけるBoney Mの「英雄叙事詩路線」やクラフトワークの「メカキチ路線」と異なり、最初から相矛盾する「既存曲からのグルーブ性を排除したい」なる要求と「エスニック音楽から未知のグルーブ感を引出したい」なる要求を抱えていた様であり、これがリズムマシーンを使った再生実験という機械解析的アプローチに結実されていく。
この動画では「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(SOLID STATE SURVIVOR,1979年)」収録の「InsomniaAbsolute Ego Dance」のグルーブ感が沖縄民謡「ハイサイおじさん」のリズム解析に端を発していた事が語られている。
しかし当時のエレクトリック音楽の技術はまだまだ未成熟で、例えばアニメ版「うる星やつら(1981年~1986年)」の代表曲の一つたる「心細いな」には既存楽器で代替不可能な電子音は一切含まれてない様に聞こえる。
- ただVisage「Mind Of A Toy(1980年)」を聞いても分かる通り、ここでいう「既存楽器で代替不可能な電子音」には1970年代を代表するサウンドたる「ハモンド・オルガン+ロータリー・スピーカーシステム」までは含むという微妙なローカル・ルールを追加せねばなるまい。
とはいえ流石、1979年~1981年に英国にドイツのクラフトワークや日本のイエロー・マジック・オーケストラを伝えたインフルエンサーだけあって(高音持続音の分離とか、ロータリースピーカーが生み出す独特の音の立ち上がり感の置き換えとか)もう既に機械的解析的アプローチが随分と進行している。1980年代に入るとかかるローカル・ルールを意識する必要がさほどなくなっていくのは、こうした先人の努力もあっての事なのだった。
1979年から1981年にかけて、スティーヴ・ストレンジとラスティ・イーガンはロンドンの影響力の大きかったニューロマンティック・ナイトクラブ「ブリッツ」でDJを務めた。そこで彼は、ドイツのクラフトワーク、日本のイエロー・マジック・オーケストラ、イギリスのブライアン・イーノ、ウルトラヴォックス、ランドスケープといった電子音楽/シンセポップ系の音楽をイギリスのクラブ・シーンに持ち込み、ほとんど独力で様々なものを集成してニューロマンティックの動きを支えるサウンドを生み出したのである。イーガンはまた、ニューロマンティックの時代を象徴したレコード店「The Cage」をロンドンのキングス・ロードに構えていた。
- その一方では同じくアニメ版「うる星やつら」edの一つとして著名なヴァージンVS「コズミック・サイクラー/星空サイクリング(1982年)」ではテクノドラムがイントロで鳴っている。
「コズミック・サイクラー/星空サイクリング(1982年)」はJRockに重要な祖型の一つを提供した「(ロンドン・パンクとニューロマの共通項に注目した)Blitish Sounds」の系譜に位置付けられるが、かかるジャンルのマスターピースともいうべきウルトラヴォックス(Ultravox)「Vienna (1980年)」の「New Europeans」ではテクノドラムは鳴ってない。おそらく当時日本を席巻していたYMOブームの影響であろう。そうした「伝言ゲーム上のエラー」こそが新時代を切り拓く推進力となっていくのである。
「伝言ゲーム上のエラー」といえば、メロディこそ「New Europeans」の引き写しだったが(作曲沢田研二。当時から頭の中で再生する際、ごっちゃになる事があった)アレンジは完全に日本歌謡曲のバックバンド流に差し替えられ「英国からの新風」全面拒絶の意地が示されたアン・ルイス「ラ・セゾン(1982年)」を忘れてはならない。原曲で歌われた「経済統計上の経済的復興こそ遂げたものの、再び自分達が最先端となった意識が持てず途方に暮れている欧州人の心境」は「欧米に退廃を期待する日本人の心境」を反映した歌詞世界に差し替えられ(作詞山口百恵。もちろん沢田研二も山口百恵も自分達が何をしてるか分かった上で、それが大衆に通じない苛立ちを「似非外国人」アンルイスが歌うこの曲にぶつけたのだと思われる。ヘレン笹野「心細いな」もこの「似非外国人」に分類されるからこそ興味深かったりする)、むしろその「現実の欧州的退廃」を顕現した精神はYMOらテクノPOPの世界に継承されていく。その一方でこうした流れから排除された「New Europeans」の本来の冒険箇所たるハウリング音の全面採用についてはPhew「終曲」にその影響を感じられたりするのが興味深いのである。
- こうした議論を後世あまり聞く事がないのは、その直後に訪れた1980年代風エレクトリックPOPの印象があまりに強過ぎるせいである。実際、バージンVSメンバーだったリッツがアニメ版「うる星やつら」に提供した「恋のメビウス」などは既に完全にその路線だった。
こうした当時の混沌とした状況にさらに混沌の度合いを加えるのが以下の歴史的事実。
- YMOの細野晴臣がウルトラヴォックスの「Systems of Romance(1978年)」を聴いて2ndアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(1979年)」のベース音を録音し直したという逸話がある。
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YMOの「BGM(1980年)」収録の「Que」はウルトラヴォックスの「パッショネート・リプライ(Passionate Reply)」からインスピレーションを受けた細野晴臣と高橋幸宏が二人で二日で作り上げた事で知られる。細野は三人で完成させることを望んでいたが、坂本龍一はウルトラヴォックスを真似た曲であることに反発し、録音を意識的にサボタージュしており作成に一切タッチしていない。その後も彼はこの曲を嫌っていたが、近年になって「この曲は、その後のYMOの方向性を決めた点で重要」と評価している。この経緯により坂本のパートがないことから、ライブでは坂本は自分で希望してドラムを叩いていることが多い。
その一方で「YMOが影響を受けたウルトラヴォックス」は、あくまで(そのパンク精神故にVisageに止まれず、Ultravoxに移籍した)ミッジ・ユーロ移籍前のウルトラヴォックスであり、私が当時熱狂した(日本のミュージシャンがロンドン・パンクとニューロマの共通項に注目したBlitish Soundsなる独自分野を立ち上げる契機となった)ウルトラヴォックスとは別物だったりする。その一方で私は「(ウルトラヴォックスの影響を受けた)後期YMO」にもしっかり熱狂してるから話がややこしくなってくるのである。
そして…
「テクノデリック(TECHNODELIC),1981年)」収録の「手掛かり KEY」は "CUEの続編" とされる。
「手掛かり KEY」について細野、高橋は「CUEの続編」と語っている。坂本によると「 YMO版ハイスクールララバイ(1981年)」。
この曲の解釈がまたややこしい。
- 今から聞き返すとサザンオールスターズ「勝手にシンドバット(1978年)」における和風Call&Response「今何時」「そうね大体ね」「今何時」「ちょっと待ってて」「今何時」「まだ早い」を連想させる側面も。
- その一方では(Sting同様「(パンク精神というか)悪ガキ精神」が抜けないミッジ・ユーロが抜けて以降、良い意味でも悪い意味でも洗練された)Visageのハード路線に繋がる何かも感じる。華やかさを増した代償に泥臭い部分を切り捨てたというか…
かと思えば、坂本龍一は思いっ切りFM音源サウンドなマーガレット・アトウッド「The Handmaid's Tale(原作1985年,映画1990年)」サントラでも「終曲」で試した(サウンド全体が音響効果によってリアルに迫ってきたり、遠ざかったりする)音響効果をしっかり継承しています。
- 「坂本龍一×文明の崩壊」というと、一般的にはベタベタなまでのヨーロピアン・ロマンティズムと、それを打ち砕くアフリカ北岸の砂漠地帯の民族音楽の対比が鮮烈だった「The Sheltering Sky(1990年)」なのかもしれないが、私はあくまで「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」に魅せられてこんなサイトを運営してる立場なので…あと「アフリカ北岸の砂漠地帯の民族音楽」って、日本人の感覚だと「いしやき~も~、おいも~」のグルーブ感なので、そんなにエスニックに感じなかったりする。
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ただし、この辺りの路線、YMO時代に細野晴臣が既に「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(SOLID STATE SURVIVOR,1979年)」収録の「Insomnia(不眠症)」辺りで先鞭をつけてた気もしないではなく…
そんなかんなの当時なりの「伝言ゲーム上の誤謬の累積」が残したある種のメルクマークが下記の様な曲だったとも。何このより進化した形でのCall&Respnceの解放…
ところでPhew「終曲」といえば登場当時、独特の「壊れかけのアンドロイド感」が衝撃だった訳ですが、初音ミクの様な実際に現れつつある技術が完全にその概念をOverwriteした訳でもなさそうなのです。
さて、何が失われてしまうのでしょう? ボーカルの声質だけの話ではなさそう?
- Phew「終曲」における「アンドロイドの真似の拙さ」は「マックス・ヘッドルーム(Max Headroom,1984年)」のインチキCGに通ずる味わいがある。
- ボーカロイドのアイディアの発端はフランス映画「フィフス・エレメント(Le Cinquième élément、米題The Fifth Element, 1997年)」に登場する歌姫(Diva)とされているが、こんな調子でPhew「終曲」をドイツ語で歌ったのがクラウス・ノミとも。
さらには「システムの一部に過ぎない悲哀」自体については、むしろ別の表現が向いているという話も。
そして「壊れかけのアンドロイド」というと米津玄師「Diorama(2012年)」収録の「GoGo幽霊船」…
この曲については何故か国際的にネット上でアコースティックCoverの発表が流行しました。一体、どういうトレンドの流れだったのか…
それを眺めながら気づいたのが、米国音楽の根底にあるFork Rock性…
そして日本音楽の根底にあるMacaroni Westan性…
この辺りが絡み合って、日本の人間椅子がJapanese Traditional Rockとして参照される一幕も。
とりあえず思いつくまま、取り止めもなく。そんな感じで以下続報…