最近、知り合いの若衆とかへのヒアリングを経て「若者の間では20世紀音楽が基底としていた基本的反体制姿勢が忘れられつつある」という結論に到達しつつあります。
で、今や「Pop Punk」を代表するのは「Nine Inch Nails」?
まぁそれ自体はJパンクが「クラッシュ→モッズ→ブルーハーツ」という系譜を辿る流れの中に既に内包されていた展開だったとも。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
世阿弥の時代、能は今の2~3倍の速さだった? 遅くなった理由を研究者に聞いてみた https://t.co/aTQ91TREI2
— 勉誠出版編集部 (@bensey_edit) 2022年9月22日
「鎌倉時代末期の田楽」や「(「助六」みたいな和事と荒事のバランスの取れた演目が成立する以前の)初期江戸歌舞伎」と合わせて「反体制意識を宿したパンク精神」を感じずにいられないんですね。そもそも「上演速度低下」は雅楽からの伝統とも?https://t.co/2GqKG4EFMG
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月22日
そしてこれはメロコア全盛期「もっともっと早く!」なるファンからのグラインドコア系要請に対するゆらゆら帝国の回答…https://t.co/vsjW5WkugO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月22日
まずここが分からない。
①ヴィサージからウルトラヴォックスに移籍しニューロマにパンク要素を持ち込んだミッジ・ユーロの真骨頂「New European(1980年)」。英国本土では(演奏者層の重なりに関わらず)ニューロマ(インテリ層)とパンク(労働者層)のリスナーが違ったので話題にもならず…
それを「作詞山口百恵:作曲沢田研二」なる体裁でそのエッセンスを日本に持ち込もうとしたアン・ルイス「ラ・セゾン(1982年)」には換骨奪胎の末にオリジナルアレンジのパンク要素は何も残ってない様にも見える…
しかも本当のロングヒットに繋がったのは、さらにオリジナル要素を消し去った第二矢「六本木心中(1984年)」。これは音楽的展開自体だけでなく「リスナーの成長」も含めて考慮しないといけない案件と言えよう。
- 1980年段階ではニューヨーク・パンクの集大成映画「Times Square (1980年) 」OPのポップな楽曲(そうブロンクスはディスコ文化の震源地でもある)を…
YMO高橋幸宏が「Ballet(1980年)」という形で無機質に翻案している。
歴史のこの時点における「ファッショナブルな音楽の中央」が、あくまでヴィサージの「Fade to Glay(1980年)」だった事を忘れてはならない。
一方YMO「BGM(1980年)」リリースの背景には坂本龍一のphew「終曲(1980年)」参加があったとされる。
なんとデビッド・リンチ監督映画「エレファントマン(The Elephant Man,1980年)」公開の年でもあるという…
いわゆる「YMOの暗黒面」に繋がっていく系譜… -
しかし大映TVドラマと角川映画によりリスナーは次第に情緒面で急成長。
いやもうこの流れP-Modelの平沢進が長州力の入場テーマ「パワーホール(1980年)」を作曲した時点で不可避の流れだったとも?
②同時進行で眼前からの「タナトス(死への誘惑)」の追放が進行。
- 真っ先に脳裏に浮かぶのがヴァージンVS「コスミックサイクラー(1982年)」。「自殺を歌った曲とも聞ける(実際最後のシーケンスで流れる救急車のサイレン音がそれを暗喩)」文化をパンク文化から継承しつつアニメ挿入歌として広まる過程でそういう要素が忘却の彼方に消えていった最初期例の一つ。
- チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄(1983年)」でも歌詞の途中で仲間がバイクで死ぬが、もはやそれは主題ではなかったし、チェッカーズがヒットした要因とも絡んでこない。
かくして「それでは如何に曲としてのテンション(緊張感)を高めるか?」問題が急浮上するも、時代を制したのはなんと…
- レベッカ「フレンズ(1985年)」はあくまで「ラブソング」として中央突破を狙ったとされる。何故か誰もがそこに感じるパンク臭…そう、どこかにブルーハーツのマーシー唱法につながる何かが…
- PINK「CHRISTMAS ILLUSION(1987年)」。ニューロマっぽい意味性の薄い歌詞にテクノポップの系譜も食らってが故の踏み抜き音階の組み合わせ。ここにも誰もが感じる不思議なまでのパンク臭…
- だがまさにそんな景色のド真ん中に渡辺美里「マイレボルーション(1986年)」が、次いで本体たる小室哲哉「Get Wild(1987年)」が降臨してしまう。
この展開に追い詰められる形で氷室京介が「DEAR ALGERNON(1988年)」をリリースした印象すらある。
こうした展開と同時進行でブルーハーツによる「パンク・リヴァイヴァル運動」は準備されてきたという話でもありますね。
とりあえず以下続報…