諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】多様性とは?

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こういう家族観もある…

先回りして言うならば、凪良が一般文芸で発表してきた作品群は恋愛の代わりに、そのモチーフがクローズアップされている。それは、家族だ。そして、家族以外の人間との間で繋がる、疑似家族的な関係性だ。

「一般で書かせてもらった作品は、家族で一緒にいるよりも他人同士で一緒にいる方が生きやすい、というテーマは一貫しているような気がします。家族って、私にとっては怖いものなんです。ニュースを見ていると、身内絡みの事件が本当に多いですよね。身内って離れようと思ってもなかなか離れられないから、関係が煮詰まっていくしかないのかもしれない。つい最近も子供の自殺が増えているというニュースがありましたが、コロナ禍のせいで家族がみんなおんなじ家の中にいるからではないのか、と想像したりしました。コロナ禍の今だからこそ家族の絆が……と声を上げるのもいいんですが、その意見をあんまりフィーチャーしてしまうと、その中に入れない人たちが悲鳴すらあげられなくなってしまうし、悲鳴も耳に届かなくなってしまう。家族というものは、声高にいいものだって言わないほうがいいと私は思うんです」

社会学では、家族には2形態しかないとされる。生まれ育った家族を指す「定位家族」と、男女が結婚し子供をもうけて作る「生殖家族」だ。しかし、現代社会において、家族の種類はもっともっと多様化しているのではないか? BLも含めた凪良の作品群は、そのことを描き続けているようにも感じる。

「そこは私自身の人生が、色濃く出ている部分でもあるんだと思います。うちはもともと母子家庭だったんですが、私が小学校4年か5年ぐらいの時に母親が出奔して、私はその後ずっと児童養護施設で育っているんです。子供のころから、周りは他人ばっかりでした。自分自身が社会学的な家族という輪の外で育ってきている人間なので、そこを否定されてしまうと、私はこの世界にいてはいけない人なのかなとか思ってしまうじゃないですか。でも、そんなことはないので。普通に私も存在しているし、他人同士の暮らしの中で誰かとくっついて離れて、別の誰かとくっついて離れて……と、点、点、点で繋がって今の自分ができている。考えてみれば、私はそういうことをずっと書いてるんだろうなと思います」

 とりあえず、メモがてら…