ルッキズム撤廃推進中につき、今年から日本語の授業では「太っている」「やせている」という単語は教えないことにしました😆
— 久山葉子 最新訳書『殺人者の手記』『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』 (@yokokuyama) 2021年4月27日
世界じゅうでもっともよく使われている日本語の教科書GENKIの7章にその表現が出てきます。 pic.twitter.com/Wd43BVwS5E
思い出したのが「ルージュラ(Jinx)」事件。言葉だけ殺してもねぇ…
対策は「形容詞を殺す」になったのか。 https://t.co/ALw37SXbwj
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月28日
どうもこの「形容詞を殺す」話、先進国であるスウェーデンは「人物の外見的特徴に言及しない」が行きすぎて、小説などで登場人物の特徴が表現しにくくなってきてるらしい。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
まあ、ルッキズム対策で外見を表す形容詞を殺したら、そらまあ人物を描く小説作品は衰退するわなw
外見的特徴へのコンプレックスが、その人の内面的性質を形成したりとかいう普遍的なテーマに言及できなくなるし、先のリプ欄にもあったように「犯罪者の目撃情報で、外観以外に特徴を伝えられないような状況下での、叙述による説明が壊滅する」可能性とかも。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
やっぱ、イデオロギーが行きすぎた結果として、言葉を不用意に焼くと、その副作用がでかすぎる。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
「他者の外見を安易な罵倒で罵る悪役」とかは、「それをしない、それをされた」側を正義として描写し、行為を批判するのには簡便な手法だと思うんだけど、「悪役の悪しき行為の描写そのもの」を著者への制限としてしまったら、「悪人など存在しない世界」しか描けなくなる。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
それは結果的に、「フィクションではそうかもしれないが、現実には存在する悪意」と対決する事前の訓練の機会を奪うし、「ゆりかごの外は過酷な現実」みたいなものに対する抵抗力を著しく奪う。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
子供向け怪談やってたときの「子供に過度の恐怖を与えないようにすべきか」問題とかとも通じる話。
フィクションと現実を区別するのは当然重要なのだが、フィクションの多くは「現実を模倣する」「現実にあり得ることを誇張して紹介する」「現実で解決すべき問題の、解決のヒントを事前演習として提供する」という役割も持っている。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
「気性の荒い女性と二股掛けたら、バレて刺されました」みたいなの、フィクションのモチーフとしてはちょいちょい出てくるけど、それらは過去の現実として実在し、現実にも割とありふれてるから引き合いに出され、「しかしそれをやらかすと大変なことになる」ということを警告している。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
全てのエンタメが教訓目的で「悪しき現実の写し絵」を描いている訳ではないけど、「悪しき現実を写し取って描写する」ためのツールとしての、言葉そのものを殺して「そんなものはなかった」としてしまうと、そういう方面でも色々支障が出そう。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
後で「現実」「社会」に出ていったとき、予め備えてこなかった悪意に直面したとき、「そんなこと知らなかった」と打ち拉がれる弱さと、「フィクションの中の他人事として知っており、それの是非を評価できる」のと、どっちがマシなのか。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
てなことを考えると、「酸いも甘いも、石も珠も、知った上で是非を論じられる」のと、「酸いも石も存在も言葉も教えない。甘いと珠だけしか知らせない」のと、どちらのほうがより強靱に育つのだろうかと思ってしまう。
— 加藤AZUKI(芸歴三十ン年)@鬼怪談→「忌」怖い話 大祥忌 (@azukiglg) 2021年4月29日
とりあえず、メモがてら…