諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「まどマギ」はどういう形で時代を超えたのか?

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時々は、かつて中平正彦破壊魔定光(1999年~2005年)」という漫画があった事も思い出してあげてください。

平行宇宙論を下敷きとし、主人公定光を守るための母の戦い、および定光本人の戦いを描いた日本のSF漫画作品。。月刊誌「ウルトラジャンプ」に1999年28号から2005年11月号まで連載された。

そう「母の戦い>息子の戦い」がどういう顛末を迎えるか示した事こそがこの作品最大の歴史的意義なのです。セカイ系要素もありますが、不思議と当時その方向で評価される事はなかったのでした。

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2000年代2010年代を繋ぐ「親殺しの夜(Night of the Parent Killers,2011年)」の貴重な一コマ。「まどかパパのつくるオムライスは最強なんだから!!」という発言もありました。その大源流はさらに1990年代における武内直子美少女戦士セーラームーン(1992年~1997年)」やテッド・チャンあなたの人生の物語(Story of Your Life,1999年)」といった「父親の存在感が薄い事で妻や娘が活躍の場を得る物語」が存在していたのです。そういえば「破壊魔定光」もまた、父親の存在感が薄い物語でした。

魔法少女まどか☆マギカ」最終回(2011年4月)」を視聴した英米の保守的な父母達が行き付けの掲示板に「娘でなく母が特攻すべきだった」「そもそもあの家庭、父親が専業主夫なのがいけない」などと書き込んだ所、以前からそれらをマークしていた娘達(当時にして既に数十万単位の動員力を保有)がブチ切れて、ほとんどDDoS攻撃で潰しまくった事件。

子供世代が親世代の凌駕に本気で取り組む」という点では1970年代における「永井豪革命」に通じるものもありますね。

思えばこれこそが、私が「ネット上における海外女子の動員規模の大きさ」に最初にこづいた事案だったのですね。下手をしたら当事者達にとってすらそうだったかもしれません。そんな感じで以下続報…