以下はこの投稿の続き
まずは既存投稿内容の振り返りから。
ちなみに「ビキニ宇宙服」の実物の一つがこれ。「ピンナップ・ガールの大御所」Earle Bergey(1901年~1952年)を招聘して描かせてますから、ガチの「エロ底上げ」狙い。 pic.twitter.com/5R2UV6zDb4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
最初、服は不透明だったんですが、おそらく人気が出なかったのでしょう。 pic.twitter.com/bivMF3r5vA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
でも宇宙で服を破くと死にます(多分読者から怒られた)。 pic.twitter.com/qXYh3HeB3a
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
ならツナギ服の前を開ければいいじゃない!!(このアイディア自体は現在なお有効) pic.twitter.com/L43sU6t13H
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
透明な球体に封じ込めればいいじゃない(真空で穴を開けると死にます) pic.twitter.com/Z5NZoS55it
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
水中を進めばいいじゃない!!(当時は水中撮影技術が日進月歩で進化していた時代で、1960年代には「007サンダーボール作戦」の様な傑作も産まれる) pic.twitter.com/BWvGrC07eS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
現代日本人の観点からすれば不思議でなりません。だって1950年代といったらハリーハウゼンやゴジラといった特撮怪獣襲来物の台頭期。どうして素直にそっち路線で読者を呼び込もうとしなかったのか? pic.twitter.com/RK98XssdQn
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
もしかしたら「パルプマガジンを衰退に追い込んだのはコミック」という先入観が足を引っ張ったのかもしれません。そして当時のアメコミといえば同性愛もボンテージ風味も全開の「史上最もいかがわしい」ワンダーウーマン。 pic.twitter.com/5gjyjxie3L
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
そう考えると「ビキニアーマーの起源はワンダーウーマンだった」説も立てられない事もなさそうです。そんな感じで以下続報…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
1954年、精神科医のフレデリック・ワーサムは、『ワンダーウーマン』は『バットマン』の女版だと非難しました。
どういうことかというと、ワーサムは、「バットマンとロビンはゲイカップルだ」として、こうしたコミックの類は発禁にすべきだと主張します。彼の矛先は『ワンダーウーマン』にも向き、この作品がレズビアン的だと問題視したのです。
The science fiction author Richard A. Lupoff defined good girl art as:
SF作家のリチャード・A・ルーポフは、グッドガール・アートを次のように定義した。
A cover illustration depicting an attractive young woman, usually in skimpy or form-fitting clothing, and designed for erotic stimulation.
概ね透けてたり体にぴったり貼り付いたりしているエロティックなデザインの衣装をまとった性的魅力に溢れる若い女性を描いたカバーイラストを指す。
The term does not apply to the morality of the "good girl", who is often a gun moll, tough cookie or wicked temptress.
独特の道徳面への配慮からしばしばGun Moll(ギャングの情婦や女犯罪者)や、Tough Cookie(可愛いのは見掛けだけのあばずれ)や、Wicked Temptress(人を誘惑してくる毒婦)は除外される。
相応の米国女性表象史を理解してないと飲み込むのが困難な内容ですね。要するに「Good girl 」の表象は、第一次世界大戦後のサイレント大作映画全盛期(1920年代)における「(サロメ王女を原型とする、見るからにゴージャスで高貴そうだが倦怠感を漂わせる、不健康で貧乳で柳腰の)ヨーロッパ的黒髪スレンダー妖婦人」がトーキー時代到来によって英語をまともに話せない事を露呈し「出るべきところが出っ張って、引っ込むべきところが引っ込んでる健康的な国産金髪婦人」へとトレンドが推移して「Pin up Girls」の時代が訪れた事と深く関与してくる訳です。
さらなる背景として透けて見えてくるのが当時の好景気を背景に「ギャングの情婦」となる事を夢見て禁酒法下の非合法酒場を遊び歩いたフラッパー(Flapper)娘達への当時の反感…それは江戸川乱歩の1930年代通俗小説が「会社OLやカフェ女中や劇場レビュー嬢といった進歩主義女性が怪人のターゲットに選ばれる」展開によって、密かに「女性の社会進出」を喜ばない保守層(良家子女含む)の溜唾を下げたエピソードとも重なってくるのです。
しかし考えてみれば、この段階においてはまだ何も始まっていなかったのです。そこに登場するのは、あくまで単なるセパレーツ…
はっと。こうして50年代のイメージを並べてみると「ビキニ概念(1946年)」というより「スキャンティ概念(日本では1955年)」の欠如が重要?https://t.co/I993KjPQVL
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
要するに水着面積(特にボトム)を巡るイプシロンデルタ論法(任意のイプシロンが示された時、常にそれを超えて極限に近いデルタが示せる事だけが無限を担保するという考え方)が始まってっからが本番だったのという次第。
史実上ビキニアーマーのように露出度の高い装備の女戦士が実戦で活躍したという記録は見つかっていないが、ローマ時代に作られた、ビキニのボトムだけを身に着けたような半裸の女性のブロンズ像がハンブルク博物館に所蔵されている。この像は勝鬨を上げる女剣闘士を模っている、つまり剣闘士の女は半裸で戦っていたという説も存在する。
1930年代に、アメリカで出版されたパルプ・マガジンの表紙に、金属製に見えるブラジャーを着用している女性のイラストが用いられた。
- Weird Tales 1934年12月号、Margaret Brundageによるイラスト。金属製に見えるブラジャーを着用している。パルプ・マガジンの表紙イラストは、危機的な状況にいる女性が描かれることが多かった。
スケイルアーマータイプのビキニアーマーを着用しているレッドソニアは英語圏で人気があり、多数の関連コミックが出版されている。1973年の『Conan the Barbarian #23』に初登場した際には上半身を覆うチェーンメイル姿だったが、1974年の『The Savage Sword of Conan #1』でビキニアーマー姿になった。
1980年代の日本ではアメリカと同様に、漫画やアニメやコンピュータゲームなどさまざまなフィクション作品で、セクシーなコスチュームを着用している女性キャラクターが採用された。これは、男性読者へのサービスという要素に加え、現代の日本とは異なる世界観やキャラクターをわかりやすく示す目的を兼ねていたとが考えられる。1985年のOVA『幻夢戦記レダ』、1986年のアクションゲーム『夢幻戦士ヴァリス』、1988年のコンピュータRPG『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のように、刀剣類と合わせるビキニアーマー姿の女性戦士が用いられている。
1946年7月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカ合衆国によって、第二次世界大戦後初の原爆実験(クロスロード作戦)が行われた。この実験の直後の1946年7月5日にルイ・レアールが、その小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ("like the bomb, the bikini is small and devastating")、ビキニと命名してこの水着を発表した。それにちなんで、7月5日はビキニの日となった。ちなみにビキニの名称が「水爆実験になぞらえた」と誤って言われることがあるが、この誤解には次の2つの類型がある。
ビキニ環礁における最初の水爆実験はあくまで1954年3月1日の「キャッスル作戦」ブラボー実験で、この水着の発表の8年後である。また、人類最初の水爆実験は1952年11月1日、エニウェトク環礁におけるもの(アイビー作戦)であるから、水爆実験になぞらえたということはあり得ない。
- シチリア島にある5世紀頃のローマ帝国時代のモザイク(ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ)には、ビキニに似た服で運動する女性が描かれている。
- 19世紀~20世紀の西洋では、女性の水着は長袖かつ足首までカバーするウールやフランネル素材のシュミーズのようなものだった。
- 1920年代にはレーヨン素材が使われ出した他、ジャージ素材も使われていた。
- 1930年代になると、ラテックスやナイロン素材が使われ始め、よりボディラインにタイトにフィットするようになり、また袖や足を覆う部分もなくなり首や背中の露出も大きくなっていった。1930年代~1940年代を通じて、ミッドリフスタイル(腹部を露出するツーピース)の水着が定着し始め、腹部の露出も時代とととも大きくなっていった。
- 1946年、フランスの自動車エンジニアルイ・レアールが母親の経営する下着会社を手伝ってる折に「サントロペのビーチを泳ぐ女性達が肌をきれいに焼くために水着の端をまくり上げている」のを観察して現代的なビキニ水着を考案した(いわゆるストリング・ビキニで、新聞パターンをプリントしたわずか30平方インチ=194平方センチメートルの三角布4枚が紐でつながってるだけだった。メディアに披露する為の水着モデルを探したが、ふつうのモデル達に拒絶されたのでカジノ・ド・パリ出身で当時19歳であったヌードダンサーのミシュリーヌ・ベルナルディーニ(Micheline Bernardini)に依頼)。女性のへそが露出する初めての水着であった為に議論を呼んだがヒット作となる。特に男性からの人気が高くモデルとなったベルナルディーニには50,000通あまりのファンレターが届いたという。ビーチで着られるようになったのは後述する「アトム」のほうが早かったが、水着としてのカテゴリにはレアールの「ビキニ」の名がついた。
同年5月、フランスのデザイナージャック・エイム(Jacques Heim)もほぼ同様の水着を考案し「それ以上分割できない原子」に擬えてアトム(Atome)と名づけられている(とはいえそのボトムは女性のへそが隠れるぐらい大きかった)。デザイナーとしては無名だったレアールに対し、エイムはすでに高い評価を得ていたデザイナーであり、パイロットを雇って地中海リゾート地の上空に飛行機を飛ばし「世界でいちばん小さい水着」という空中文字を描いてそのデザインを宣伝した。この強力なライバルに対抗する為、レアールは自らの水着がもたらす衝撃を原爆に擬え、1946年7月5日にピシン・モリトール(当時人気があった公共プール)で、メディアおよび一般に公開し、フレンチ・リヴィエラの上空に、空中文字で「世界最小の水着よりも小さい」と描くパフォーマンスを行い「ツーピースの水着であっても結婚指輪をすり抜けられないなら真のビキニではない」なるキャッチコピーを考案し、V型8気筒エンジンのパッカードを購入してコックピット、舷窓、錨、信号柱などマリンモチーフのモックをそなえた豪華なクルーザー風の「ロードヨット」に改造して宣伝カーに採用し、1950年代後半のツール・ド・フランスにおいてビキニを着た娘達を載せ競技選手の後を追わせたのである。まだフランスがこうしたファッションに寛容ではない時代のことであり、たいへんなセンセーションを巻き起こした。
そう、まさに電流戦争(直流を推すエジソンと交流を推すテスラの派手なパフォーマンス合戦で後者が勝利)の様な光景…
- 発表当時は、肌の露出度が高いとされた水着でその大胆さから当初はあまり着用されず、アメリカ合衆国では、1960年代初頭まで一般的なビーチでは着用禁止とされていた。それでも現在のものに比べれば、同じ「ビキニ」というカテゴリーだが地味なものであった。
- 1960年にはブライアン・ハイランド(Brian Hyland)が「ビキニスタイルのお嬢さん(Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini)」という歌を歌い、ビルボードのHOT 100で1位を記録し、日本でもヒットした。この曲のモデルは作者のポール・ヴァンス(Paul Vance)の当時2歳の娘だったという。日本では、田代みどりや坂本九らがカバーした。その過程でポルカドットが水玉模様に翻訳される。
- 日本には1950年から輸入されていたが、ごく一般的に着用されるようになったのは1970年代になってからである。キャンペーンガールであったアグネス・ラムのビキニ姿のポスターが大人気になった。
- 1980年代中期 ~後期の日本では一時期ビキニが廃れ、ワンピースが復活した。これは水着メーカーの作り上げた流行にもよる。こうした逆風から再びビキニが台頭するのは、へそ出しファッションが大流行しだした1990年代中期になってからである。以後、海やプールではビキニを着る女性が圧倒的に大多数である。
2000年代後半より映画「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」ヒットの影響で男性用ビキニマンキニが流行したが、現在は完全に廃れている。
デザイナーで画家の鴨居羊子が1955年に自らがデザインした「スーパーローライズで、紐状に脇の布が細い下着」に付けた名前である。和製英語で「乏しい」「足りない」を意味する英単語に由来。自著「下着ぶんか論 ─ 解放された下着とその下着観(1958年)」には「スキャンティとは、スキャンダルを起こすような、あるいはおこさせないような精神的姦通、肉体的姦通を暗示するようなよろめきパンティである」とあるが、これは当時のマスコミによる後付けの解釈の流用と考えられている。
当時は下着といえば白が主流で残りのほとんどは肌色が常識であり、鮮やかな色のついたものは性産業か一部の好事家以外には敬遠されていたが、発売にあたって「画期的な七色のパンツ」というコピーで宣伝された。鴨居羊子は同様のコンセプトに従ってカラフルなシュミーズやガーターベルトも発売して商業的成功を収めている。
1980年代に特に流行し、その当時の若い女性は誰でも普通にはいていた。
現在では、冷え症防止という健康上の理由、お尻の形が悪くなると言う美容上の理由や、パンツ、タイトスカートに下着のラインが映らないようにというオシャレの観点から、深くお尻を包みこむデザインの方がよいと言われているので、スキャンティーは実用向きではなく、どちらかというと見た目重視で性的イメージがつきまとう。
そしてここからが今回の本題です。
一方、(下がスキャンティ化した)ビキニ水着は「007サンダーボール作戦(原作1961年、映画1965年)」段階では当然の様に出てくるが、歴史のこの時点でも「ヒロインのビキニ姿」は最大の売り出し要素だったのです。https://t.co/8x6KQ2yOKa
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
「女を食ったのは初めてだ」のショーン・コネリーがセクシー?
「007 サンダーボール作戦(Thunderball,小説1961年,映画化1965年)」の発表経緯はややこしい。発端はジェームス・ボンド・シリーズの映画化第1作「007は殺しの番号(007/ドクター・ノオ=Dr. No,小説1958年,映画1962年)」の続編「007/危機一発(007/ロシアより愛をこめて=From Russia with Love,小説1957年,映画1962年)」への引き合いの良さや、TV化の話(この時考えたストーリーが『007号の冒険』などの短編集の元ネタとなる)に気を良くしたフレミングがボンド映画の自主制作を目指して友人のイヴァー・ブライスとアーネスト・クネオに話を持ちかけ、新進の映画作家だったケヴィン・マクローリーと合流し、共同でボンドシリーズの映画製作会社ザナドゥ・プロダクションを設立した事だった。
- マクローリーは既刊のシリーズは映画化に適さないと進言し(この指摘が「ドクター・ノオ」以降の小説に大きな影響を与える)、水中撮影の経験があったマクローリーの腕を生かした、海洋冒険物の新作を新たに執筆する事を提言する。水中撮影技術の発展を映画に生かそうという試みは「大アマゾンの半魚人(Creature from the Black Lagoon,1954年)」の頃から既にあり、この作品で水中撮影を手掛けたリコウ・ブラウニングが「サンダーボール作戦」の水中撮影も手掛けている。
- また、従来のスメルシュよりスケールの大きい架空の犯罪組織を敵にする方がいいと指摘し、敵組織としてスペクターを設定(マクローリーがスペクターとブロフェルドのオプションを主張したのはこれに起因する)。脚本はマクローリーの友人ジャック・ウィティンガムが担当。こうした経緯から、ややこしい事に映画版では第1作目からスペクターが登場する。
- その後、マクローリーの手腕に疑問を抱いたフレミングが一方的にプロジェクトを解消、『西経78』あるいは『秘密情報員ジェームズ・ボンド』と題されたプロットを小説版『サンダーボール作戦』に関係者に無断で転用した。出版前の情報でその内容を知ったマクローリーは出版の差し止めを請求するが、聞き入れるどころか、出版社は本書を増刷、フレミングは本作を含む手持ちのシリーズの映画化権とそのオプションをハリー・サルツマンに売却していた。マクローリーは訴訟に打って出る。
- 以後、2人の名前も著者に加えられたが、その為に他のフレミング作品と異なり、日本国内では著作権の保護期間終了が2077年になる(フレミングの他作品は2015年に終了しているが、ケヴィン・マクローリーの没年は2006年のため)。
元来生死不明エンドで終わった原作小説「ロシアから愛をこめて」に続く作品として想定されており、その名残として原作小説「サンダーボルト作戦」冒頭のボンドはリハビリ施設に入所中という事になった。「ロシアより愛をこめて」でボンドが死にかけたのは、自作の映画化権の独占を目論むイアン・フレミングが新シリーズ立ち上げの為、このシリーズを終わらせ様と目論んだからで原作小説「007は二度死ぬ」も生死不明エンドで終わり「黄金銃を持つ男」で改めて復活したが(日本で消息を経った後、記憶喪失状態でソ連に拾われ洗脳を施されMへの刺客として帰国。幸い未遂に終わったが、状況が状況だけにそのまま任務に復帰させるのは難しく「難敵」スカラマンガ暗殺任務を押し付けられる。ボンドが死んでもスカラマンガが死んでも情報部側には得しかないという非常な判断)これが遺作となる。
ここで心に留めておかなければならないのが、大胆なビキニ水着をまとったボンド・ガールのドミノ(演クローディーヌ・オージェ)が原作(1961年)ではその後敵組織に囚われ「熱いのと冷たいの」なる拷問で全身の皮膚を焼かれズタボロにされる悲劇的展開を迎えるのに対し(作中に拷問自体の描写ないが、要するに過去から継承された「生意気な女に対する自業自得」文法)、映画版(1965年)ではこの部分が「拷問内容の説明だけあって、拷問場面なし。ヒロインはほぼノーダメージ」と軽く流されハッピーエンドを迎えているという事。ビキニ水着に対する態度が1961年から1965年の間だけでこれだけ変化した訳であり、その一方で かかるディスクールは「スターウォーズ(1977年)」における「レイア姫の拷問場面」に継承されていったのです。
一般に拷問ドロイドとしても知られるIT-O尋問ドロイドは、銀河共和国の時代には禁止されていたテクノロジーであり、後に帝国軍によって考案された最も忌むべき発明の1つとなった。帝国軍は捕らえた反乱軍兵士に対する尋問のためにこれらの拷問ドロイドをよく使用していたが、レイア・オーガナ姫はIT-Oとダース・ヴェイダーによる精神探査に耐え抜き、反乱軍の秘密基地の所在を暴露しなかった。彼女はオルデラン王室の一員として保持する重要な情報を守るため、子供の頃から様々な拷問に抵抗する訓練を受けていたのだ。
その影響はなんと「スター・ウォーズ(1977年)」の米国でのヒットを受けて急遽制作が決まった東宝特撮映画「海底軍艦(Atragon,1963年)」リメイク「惑星大戦争(1977年)」にまで及んだのです(劇場で見た!! 子供なので「霧の旗」の時は寝てた!!)。
作品中で捕虜となった浅野ゆう子は何故かボンデージ・ファッションをまとう。しかもこの衣装、浅野ゆう子の私物だったという。
子供向けのトレーディング・カードの絵柄にも採用された。
居村真二によるコミカライズに際しては、さらに過激な全裸拷問となる。エロティズムにおけるイプシロンデルタ論法?
もはや元来のディスクールの歴史的意味合いを全然汲み取れてない辺りが笑える。日本では東映がピンク・バイオレンスの分野で追及してきたジャンルだが、それまで東宝はそういう展開を小馬鹿にして関連を避けてきたのだった。
当時がどういう状況だったかというと…
ビキニ水着、日本へは1950年から輸入されてますが、保守的なアメリカ合衆国の一般的ビーチでは1960年代初頭までその着用が禁止されてました。一方007シリーズの主要舞台はカリブ海の英国領でその制約を受けてません。現時点で確認にされてる事実関係はそんな感じ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
そして…
あ、ここで「水着姿の小娘達が東海岸の保守的スーパーに乱入する」ジョン・アップダイク「A&P(1961年)」が来るのか。「緑のチェックのセパレーツ」って…https://t.co/mVjiVN5Qyl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
米国におけるニンフェット世代(女児の発達速度が男児のそれを抜かす小学校高学年から、再び抜き返される中学校くらいの少女。「体の成長に精神の成熟が追いついてない、人より獣に近い段階」と自重的に自認されるが、終わってすぐ精神の成熟が始まるとも限らず、広義には高校生時代や大学生時代まで含めて考えられる)の心理を把握する上で欠かせない基本テキスト。
水着描写だけ抜き出してみると…
最初に目に飛びこんできたのは、緑のチェックのセパレーツの女の子だ。ころころした子で、いい色に焼けていて、ステキに大きくて柔らかそうなお尻のすぐ下、たぶんそこは陽が当たらないんだろうな、ふともものつけねに、三日月型の白い肌が見えている。
そして…
まずは太めちゃん。セパレーツの水着は鮮やかな緑で、ブラの縫い目もくっきりとしているし、おなかもまだかなり白いから、買って(水着の話だよ)間がないんだろう。その子は、よくいるだろ? ぽちゃぽちゃっと丸い顔をしていて、鼻の下にきゅっとつぼめたような口がついている。
それから背の高い子。黒い髪はなんだか中途半端に縮れてて、目の下にくっきり日焼けの跡がついていて、アゴが少し長すぎる。ほかの女の子たちから、「すっごく目立ってる」とか「魅力的」なんて思われてるんだけど、でもほんとはそんなにモテてるわけでもなくて、それがわかってるからこそみんなにも好かれてる、っていうタイプだ。
そして、それほど背の高くない三番目の子。だけどこの子こそ女王様だった。言ってみればみんなを引き連れて歩いている感じ。ほかのふたりは、あたりをきょろきょろ盗み見したり、肩を丸めたりしてる。でも、この女王様ときたら、周りには目もくれず、プリマドンナみたいな白くて長い脚を緩やかに運んで、ただまっすぐに歩いていらっしゃる。
はだしでなんてあんまり歩いたことがないみたいに、かかとのつけかたが少し硬いんだ。かかとからおろして、重心を爪先の方へ移していくのだが、ひとあしごとに床の感触を確かめているかのような、悠然としたおもむきがあった。女の子の頭のなかがどうなっているのか知らないけれど(ほんとうに考えてるんだろうか、それともガラス瓶のなかのハチがたてるみたいな、ブンブンいうちっちゃな音がしているだけなんだろうか)、このことだけはよくわかった。この子がふたりを誘って店に来て、いまはふたりに背筋をピンとさせて優雅に歩くお手本を見せてやっているのだ。
その子の水着はくすんだピンクっていったらいいのか、ベージュっていったらいいのか、まぁそんな色で、一面に小さなこぶがついていて、とにかくサイコーなのは、両方のストラップが外れていることだった。肩からゆるく輪を描くようにたるんで、なんともステキな腕のつけねあたりにかかっている。そのせいで、水着も少しずりさがってたんだと思うんだけど、水着の境い目にそって、輝くばかりの白い縁取りができていた。その部分がなかったら、あの肩より白い肌があるなんて思いもよらなかったにちがいない。ストラップが外れているせいで、水着のてっぺんと頭のてっぺんの間にあるのはただ彼女の肌だけ、鎖骨から胸元へと、なめらかで剥き出しの肌は、まるで起伏のある金属板を光にかざしたようだった。つまり、美しい、なんて言い方じゃとても足りやしないのだった。
髪の毛は褐色が陽と潮風にさらされて明るくなった感じ、上に束ねたおだんごが、少しほどけかけてて、なにか、つんとすましたみたいな顔をしていた。まぁストラップを下げてA&Pに入ってこようっていうんだから、そんな顔しかないのかもしれない。頭を昂然と掲げていたから、白い肩からすらりと伸びた首が、なんだか引っ張られてるようにも見えるけれど、それがどうしたというんだ。首が長けりゃそのぶん、あの子をたくさん見られるじゃないか。
おそらく映画にへそ出し描写があっただけで上映禁止になった時代にしては、十分過ぎるほど大胆な描写といえよう。
少女側の自認としての「体の成長に精神の成熟が追いついてない、人より獣に近い段階」は、客観的にはこういう形で描写されてきたという訳です。
ちなみにアップダイクは「ロリータ(1955年)」作者のナボコフの弟子筋。ここで「(日本人の知らない)米国本場の(小娘側の)ロリータ概念」についての知識が必要となってきます。https://t.co/MhWiS6xm9t
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
日本ではあまり知られてない「ロリータ(1955年)」本来の読まれ方。
- 事実上内容が「イエズス会士が起草したカキテズモ」たるヘイズコードにおける「ギャングやその情婦を賛美してはならない。可能な限り因果応報で悲壮な最後を迎えさせるべきである」条項は「幸せな結婚を奨励しなさい」条項の裏返しであり、フランク・キャプラ監督やウォルト・ディズニー(新移民=小作人系アイルランド移民やユダヤ人を含むカソリック系)はむしろ後者の要請に忠実に従う形で商業的に成功を収めた。一方、ハワード・ヒューズら反対派(旧移民=英国系移民や領主系アイルランド人を含むプロテスタント系)は、これを捻って「因果応報で悲壮な最後を遂げるしかないからこそ、ギャングやその情婦の短か過ぎる一生は余計な美化を伴わずとも人の心を打つ」なる考え方を導出した。戦前から黒澤明監督は前者の考え方、江戸川乱歩は後者の考え方に染まっていた様にも見受けられる。
The Motion Picture Production Code of 1930 (Hays Code)
正しいエンターテイメントは国民全体の水準を引き上げ、間違ったエンターテイメントは国民の道徳的理想を引き下げ日々の生活を過酷なものにする。そして(劇場ごとに客層の異なる演奏会や芝居と異なり)フィルムに焼き付けられた映画の上映会は観客を選ばないので(子供もギャングも見に来る為)特に内容を慎重に吟味する必要がある。
- 書物は冷ややかに説明するが、フィルムは鮮やかに提示する。
- 書物は言葉を通じて心に到達するが、フィルムは撮影内容の再生結果を眼と耳に同時に届ける。
- 書物が読者から引き出す反応は当人の想像力と熱意に比例するが、映画が観客から引き出す反応は提示の手際の良さに比例する。
とどのつまり良い意味でも悪い意味でもその影響力は書籍や音楽や芝居より顕著で一方的なのであり、だからその影響の範囲と方向性を「映画を通じて悪行は悪いもので、善行は正しいことであると観客が確信する」形に限定せねばならない。特に悪党に犯罪のヒントを与えたり、人々の心に粗暴な振る舞いや犯罪や麻薬や不実な愛といった悪徳への憧憬を惹起する様な振る舞いだけは絶対に避けねばならぬ。
そもそもカソリックは「人間は五感を通じて神の国を感得する」という前提から教育効果と芸術と儀礼を統合してきた伝統を有しています。そして特に反宗教革命の使命を帯びて世界中に伝教の旅に出たイエズス会はこの方面のノウハウを徹底して研鑽してきました。こうした経験の延長線上で「映画の登場が人類に与える影響」について考えている興味深い文章。
さらに背景にあるのはタルドの「模倣犯罪論」。その範囲が恣意的に同性愛者や毒婦に拡大されていく。
横溝正史がそれを意識する様になったのは、おそらく太平洋戦争敗戦後のGHQ占領期以降。「美少女や美女が我儘な振る舞いの自業自得として自滅していく有様には商業的価値がある」と単純化してしまった事についてフェミニズム文学論的に素直に頷けない側面もあるが、これには当時の事情を鑑みれば致し方ないところもある。何しろ彼は「ロリータ(1955年)」と同時期に「悪い種子(The Bad Seed,1954年)」を摂取して幼女毒婦のイメージを固めてしまったのだから。
保守的な米国を避ける為「ロリータ」は最初フランスで出版され、映画化に際して英国で撮影されました。で、こういう情報がLana Del Rey「Lolita」のヒットの影響で2000年代末~2010年代初頭の少女の教養に含まれる事に。https://t.co/L5a4Qb6fdT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
こんなバージョンもあるのか…
「A&P」ヘソ剥き出しが御法度の時代だからヘソに関する描写がない?「彼女の水着はセパレート」と書いただけでも心臓バクバクものだったのかも。もちろんこんな高圧的な表現規制が長続きする筈がありまあせん。ホーフスタッター「アメリカの反知性主義」はそれを警告していたとも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月27日
この「A&P」は、水着の三人娘を追い出したスーパーに頭がきた主人公が「辞めます」と宣言する場面で終わります。それでは次に実際に訪れたのは何だったか?ヒッピー運動と黒人公民権運動なのですね。それに大手映画と大手コミック会社の人気喪失が重なるのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月27日
最後に残るのが「水玉と縞々の謎」。
ボーダーと異なり、歴史的にもあまり特定のイメージがなく、抽象的な柄です。海外では1930年代、日本では昭和の時代に流行したこともあり、古き良きレトロなイメージもあるかもしれません。
かつてヨーロッパでは、ストライプにはネガティブなイメージがありました。ピエロや囚人をはじめ、病人や宗教の異端者など、社会的に蔑視される人々に着せられる柄だったのです。
しかしその後フランスで当時横方向の縞模様であった三色旗が革命の象徴として使われるようになり、ストライプは革命や反骨の精神を象徴するものになっていったようです。
それから縞模様は海兵の制服にも採用され始めました。理由としては、縞模様が海の色と同化しカモフラージュの効果があったからと言われています。
一方日本では、江戸時代にインドから入ってきたストライプ模様が大流行します。シンプルですっきりとした柄が粋だと評価されたようです。
こうした歴史の中で、ストライプはシンプルですっきりとした柄、ボーダー柄は海兵の服から連想される海の爽やかなイメージが強く残ったといえます。
また、その歴史以外にもストライプ柄には2つ特徴があります。
1つ目は視覚的な特徴で、ストライプ柄は縞の方向に伸びて見える視覚効果があるため、服などに使うことで体型の見え方を変えることができます。また、電信柱や蜂の模様もストライプであるように、ストライプは無地に比べて目立つ模様です。そのため、目立ちたがりという印象が伝わってしまうこともあるかもしれません。
2つ目は生産上の特徴です。シンプルな柄であるため生産がしやすく、生地として作られたり選ばれたりしやすいという特徴です。柄の中で最も単純な柄とも言えるストライプは高度な技術を必要とせず、それが流行や愛され続けるための追い風となっているのです。
等高線の様にヒップをふくよかに見せる効果がある事から日本のアニメや漫画表現に縞パンが登場。初出は「魔法のマコちゃん(1970年~1971年,脚本辻真先,全裸変身魔法少女の走りであり、ヒロインの目的は彼氏と結ばれる事であり、最終回は彼氏と全裸で抱き合ってのキスシーンだった)」「魔女っ子メグちゃん(1974年~1975年,作中には紐で結ぶビキニ水着も登場。何故かOPとEDの最終カットでパンチラ)」辺りで90年代アダルトゲーム頃から一般的になった。ただしブラの柄と合わせるのが難しかったりして実用品としては普及してない。
ドットは無数の丸によって構成されているため、丸が持つイメージを多分に持っているといえます。角がある形には真面目、厳しい、ビジネスなどの堅いイメージがあるのに対して、丸にはその逆のイメージがあります。柔らかい、優しい、カジュアルというイメージです。よって、水玉は親しみやすい雰囲気を演出でき、一方で堅い場面には向かない柄であるといえます。
また、水玉から連想するイメージは水滴や果汁などがあります。そこから、爽やかで弾けるようなフレッシュなイメージがつきものです。自分の印象を柔らかくしたい、遊び心のある印象を与えたいという人にはぴったりの柄です。
そんな感じで以下続報…