とりあえずメモがてら
今回の投稿の発端は以下のTweet。
そもそも「1970年代うる星やつら」を特徴付ける「毎回エイリアン美女が主人公を襲来して大変な事になる」物語文法は何処から来たのか? その起源はアーサー・マッケン「パンの大神(The Great God Pan,1894年)」とされています。https://t.co/1QT79URW3C
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
これ、とある狂科学者が養女に「潜在意識と表層意識を直結させる脳手術」を施したら(古代にはシャーマニズム儀礼を通じて部分チャネリングする事しか出来なかった)魔界と繋がってエロエロ魔女が誕生してしまい…https://t.co/Fwext066lA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
次々と犠牲者(自分もエロエロにされて恥じて自殺)が出るので退治したらドロドロに溶けてしまう物語。で、エピローグ的に「この現象についての古代の記録」として紹介されるのが「ノーデンスの石板」。聞き覚えある人いますよね…(画像はかつてTumbrに投稿されたファン・アートの一つ) pic.twitter.com/89sHKcpukI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
そうこの物語、いわゆる「宇宙的恐怖文学/クトゥルフ神話」原点の一つ。さらにいうと当時このエロエロ路線が英国文学会から徹底的に叩かれ発禁に追い込まれたトラウマから、後続の「宇宙的恐怖文学/クトゥルフ神話」からは「原則として」エロ要素が排除される展開に。 pic.twitter.com/stCMEL5BQt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
「原則として」? そう日本の少年漫画界で「パンチラ」描写が女性漫画家にのみ許される様になっていった様に、パルプマガジン全盛期における「宇宙的恐怖」文学界におけるエロ描写も女性作家の占有物。そうC.L.スミス「ノースウェスト・スミス(1933年~1940年)」シリーズ…https://t.co/IZimOcsxJe
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
ちなみにC.L.スミス女史、同じく女性特権で「エロ要素一切なしの殺し合いだけのヒロイック・ファンタジー」処女戦士ジレル(Jirel of Joiry)シリーズ (1934年~1939年)なんてのも実験的に発表してますが… pic.twitter.com/3DHS3VfDcq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
男性読者は「女性作家による女性主人公の英雄譚」「挿絵はむしろ男性作家のそれよりエロい」という部分でしっかりエロ要素を摂取してしまったので「エロ要素完全排除」とはいかなかった模様… pic.twitter.com/Pz0yhEJ8hc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
むしろ逆に後世に爪痕を残したのは「ノースウェスト・スミス」シリーズのエロティズム。この物語の主人公「手のつけられない宇宙一の荒くれ男」という設定の筈なのですが、毎回現れる美女エイリアンに陵辱され、屈服寸前まで追い込まれる筋書き。 pic.twitter.com/6zZVQGXQN6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
ほとんどの短編が、その状態から「無駄にイケメンの」相棒「金星人」ヤロールや天変地異などが勝手に美女エイリアンを斃してくれてめでたしめでたしで終わる展開なのですが、時代が時代なのでこの美女エイリアン、威力増大の為に全裸になって踊る事はあっても性行為には一切及びません。 pic.twitter.com/rRBrGi4AMU
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
有名な「シャンブロウ(Shambleau,1933年)」からして「髪がミミズ状にニュルニュル伸びて吸血」。さらには「触手責め」元祖「霧の中から時空を超えて現れた植物怪物が、生贄に捧げられた少女がそれで歓喜する有様を見せつけて見る相手を発狂させる」精神攻撃を繰り出す描写も…https://t.co/koUVoJzywT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
ただ実はそういう物語文法なら日本の方が近世まで遡る歴史を誇っていたりする訳ですが。しかも時代を遡るほど明らかに「拘束され苦しんでる」筈の女性が主体性を握ってる構成に。https://t.co/kImK7el7J4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
「拘束され苦しんでる」筈の女性の方が主体性を握ってる様に見えるといえば…https://t.co/VnjbzqwCaB
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
多分「身代わり好き」とかの性癖とも関係してくる話…https://t.co/DXnR1kU6lb
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
同時期パルプマガジンで人気を博していたハメットのハードボイルド物「コンチネンタル・オプ」シリーズ同様「読者が気が向いた時だけランダムに読む短編だからマンネリでも連続性がない展開でも許される」特徴を最大限に生かしたとはいえましょう。https://t.co/xO5P6GBY66
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
そして、この「美女エイリアンが次々と現れては惨殺される」シリーズが和訳された時、その挿絵を担当したのが松本零士。「美女エイリアンとその惨殺シーン」を延々描かされ続ける作業がSAN値を削らない筈がなく…https://t.co/f5tnUNSywR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
あっけなく美女エイリアンの暗躍に屈する怠惰な地球人を尻目に「人類を魅了して手懐け様としているインベーダーが、人類の目から見て魅力的な姿をしてるのは当然の事だ。検討に値しない」と豪語してその処刑を粛々と遂行する「宇宙海賊キャプテンハーロック(1977年~1979年)」を生み出した? pic.twitter.com/PCq4ofAgjP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
その前段階として手掛けた「セクサロイド(1968年~1970年)」も同じくらい狂ってるし、その影響は「銀河鉄道999(1977年~1981年)」第1話で「機械伯爵に殺されて剥製にされる鉄郎の母」にまで及ぶという…https://t.co/8jEfrNNNBZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
まぁ「ビキニ美女」「ビキニアーマー」を巡る先史自体がこんな感じなので…https://t.co/lHpP1ht368
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
一方、同じくシャンブロウに魅了されながら「ソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年)」「路傍のピクニック/ストーカー(1972年)」に登場する「人智の及ぶ範囲にないエイリアン」概念も知る吾妻ひでおが両者を悪魔合体させたのが「やけくそ天使(1975年~1980年)」阿素湖素子…https://t.co/Rfz2SwjnbK
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
完全に19世紀怪奇文学界から忌避され、原作でも最終的には再封印される「パンの大神」における(デッドプール同様に現実超越能力を備えた)エロエロ魔女が完全に解放された瞬間であった? pic.twitter.com/Vjqwqed6AE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
これで全部当人の思いのままだと、ただの創造神なので「当人の人格」と「願望充足能力」を分離し、かつ前者が後者を意識不能としたのが「ハルヒ」シリーズとも…https://t.co/8v76B8FSsf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
まぁジェーン・エアもハルヒも「女性中心のハレム物」なので物語文法的には一応、別系統(というより「対蹠」)とはなりますが… pic.twitter.com/NWtbIY4Def
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
「インベーダー」ラムちゃんはまさにこうした時代に生を受けた訳ですが、1980年代にはSFマガジンにその次元における姉妹短編を発表しています。例えば「増殖女房 -フェアリーテール-」。郵便で送られてきた女房が夫の住所録から次の送り先を物色する貞子的ウィルス・タイプ…https://t.co/XcJR3r3VSF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
そして(「めぞん一刻」の五代くんそっくりの容姿と境遇の)受験生が座敷童子だと思って飼った相手がただの餓鬼だった「暴食のフォルム」。相手が全裸美女なので、男の側が勝手に鼻の下を伸ばして騙されてしまうという展開…https://t.co/EibJ5JIXJ6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
こうした流れは「フィルム・ノワールにおける運命の女の台頭」と同時進行。そして、その大源流にもやはり「大聖女マリア」と「大毒婦マリア」を対峙させた「メトロポリス(Metropolis、1927年)」の脚本家テア・フォン・ハルボウ(フリッツ・ラング監督の妻)なる女性の姿が…https://t.co/8koFy9XAUO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
「大毒婦マリア」は「大聖女マリア」のコピーロボットでありC3POのモデル…だがやはりここで性的要素は綺麗に排除されてしまったのでした。 pic.twitter.com/3IsZE5gTTV
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
「三角関係が問題なら取り合う対象を増やせば良い」? pic.twitter.com/vH3ZSlkVc8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
「美女に憑り殺されるなら本望です」なるロマン主義? pic.twitter.com/8TxdrpmFJT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
こうした物語文法はまさに「男性の都合による貞女と毒婦の峻別」終焉に際しての剰余物として顕現したともいえる訳で、その意味合いにおいてフェミニズム文学史の重要な一翼を担っているのです。https://t.co/pKW9nZBNQP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
ところで男を観測点(測定の始点)と置き「運命の女」が「(イプシロンデルタ論法によって証明された無限遠点の彼方に現れる)観測限界」に現れるとするなら、それは多次元球面展開、すなわち一次元における「正負の符号違うだけで絶対値は同じ一対の数」となります。https://t.co/5zTju2Zyo4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
かかる観測結果は二次元では円弧状、三次元では球面状に分布しますが「そこまでの距離がどれも観測不能な無限遠点=等距離」という点に注目してこれを対蹠とする二点関係で捉えると「1極球面状座標系」が「2極紡錘状座標系」に発展するのです。https://t.co/1mahzZIj6L
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
ラブコメ化する「80年代うる星やつら」の準備段階として…https://t.co/ZUrMnEiyTf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
「70年代うる星やつら」ではこの拡張作業が行われています。その話については以下続報…https://t.co/Y2ErbW9hUg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月23日
そんな感じで以下続報…