2018年末に数学再勉強を決意してから3年目を迎えます。はからずしもTwitter上での以下の投稿がその間考えてきた事のまとめとなったので、とりあえずメモがてら…
発端はこの投稿…
今年の最後の日となった。以前と何も変わらず全てがそのままであるのに、周囲の現実が亡骸のような状態だ。これは一体、何だろう。ユンガーのいう、個々のものの総和以上の何かが無くなっているのだが、ニーチェによれば、全ては永遠回帰だから何処かに在る。しかし永遠回帰そのものは何処に在るのか。
— 千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 (@Chisaka_Kyoji) 2021年12月30日
数学では「無限」をイプシロンデルタ論法((ε, δ)-definition of limit)すなわち「その集合から抽出した任意の元についてそれを超えた別の元が示せる事」で定義します。数字の世界ではこれは比較的簡単で、額面がどんなに大きな数字でも容易にそれに+1した値が示せる訳です。https://t.co/Px6Iy87dKV
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
この考え方は「現時点で真であると判明していないことは偽であると仮定する」閉世界仮説(Closed World Assumption)と表裏一体の関係にあります。https://t.co/yoNeVkdQcs
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
相変わらず「イプシロンデルタ論法とは何か?」全貌が掴めないままです。「具体的にイプシロンをどう設定するか」が肝となる様ですが、そこから先の話がさっぱりなんですね。「閉世界仮説と表裏一体の関係にある?」は最近思いついたばかりの考え方で、まだまだ検証を続ける必要がある気がしています。
要するに「全体集合とは、その補集合が空集合になる集合」と考える訳です。とりあえずその外側は、存在しようがしまいが我々のイメージ可能な範囲にありません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
我々がイメージできるのは高々一次元(線の世界)二次元(面の世界)三次元(立体の世界)とそれに流れる時間経過くらい。線形代数に至っては連立一次方程式が解けるのみ。数学とはこの限られたツールをいかにうまく使いこなすかという技術の発展だったと思い知った年でした。この辺りの話となると物理学とか天文学の様な世界に差し掛かってきます。恒星の周囲を自転しながら公転する惑星群のイメージ…しかも実は公転の中心は太陽ではないらしいのです。
カントの言う「我々が(感覚を通して)経験可能な事象集合」とその外側、すなわち物自体(Ding an sich)の関係は大体こうなってる訳ですが、実は抜け穴があります。https://t.co/1TJ5k7SM9S
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
かかる全体集合が任意の半径rの円弧re^iθ上に分布すると考えた場合、ここで冪算の根として与えられたネイピア数e(2.718282…)が全桁自明でない為、その精度に応じた範囲でしか回転数が保証されないのです。 pic.twitter.com/N2RLrjRsZY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
つまり永劫回帰は、少なくとも「我々が(感覚を通して)経験可能な世界」には存在しない訳ですが、それにも関わらず我々がそれを想像出来てしまう事から哲学の苦悩は始まるのかもしれません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
オーギュスト・ブランキは「天体による永遠」の中で「(革命運動を含め)人間の営み全てを包括する全体集合が実在する」という結論に至った様ですが…https://t.co/506fu7CpS4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
実際には(上掲の式を確率ベクトルのマルコフ連鎖に書き換えると)「我々が経験可能な事象集合」は拡大してるか縮小してるかあるいはそれを繰り返しているかのいずれかであり、しかも今がそのどの段階か自明でないのです。https://t.co/GQZlQTc69B
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
こちらもほとんど物理学や天文学上の概念の援用…「確率ベクトルのマルコフ連鎖」なる概念にはまだ辿り着いたばかりなので、使いこなす様になるのはこれからです。
その一方で数学の世界におけるかかる考え方は「何か有意の事象が観測された事」を証明する為に用いられる帰無仮説に過ぎません。要するに数学側としては「有意の何かが存在し、その相互関係が数学的構造を構築する事」までが数学で…https://t.co/cHu53ezIcX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
次第に考え方が圏論に近づいている気もしますが、現時点で「圏論」が何か朧げにしか理解してないので何もいえません。しかし考えてみると昨年の私にとっては「群論」も「線形代数」もそんな感じだったのです。そしてそれはある意味今もそう…
数学側にしてみれば「この定義を超えた範囲で人間が勝手に行う恣意的意味付け」全てが物自体(Ding an sich)の領域に存在している訳です。イタリア未来派も…https://t.co/gSlC05K0cU
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
経済計算論争も、産業革命以降の技術革新がこの枠組みを破壊してくれる事に一縷の望みを託しましたが…https://t.co/jcca7rRhsj
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
実際にはコンピューターの発明により「数学側(すなわちコンピューターで演算可能な範囲)から見ると我々の生きている世界こそが物自体(Ding an sich)となる」対象関係が再確認されただけだったのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
それでは「コンピューターが演算可能な範囲を超えて人間が勝手に行う恣意的意味付けが構成する物自体(Ding an sich)」は一体どういう構造になっているのか?「機械自身が自己分析によって辿り着ける自らの構造」からはどういう視座が欠落してしまうのか?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
ここではこういう問題も浮上してきます。
根本的に「一般人が知ってるレベルで売れた」枠を見て全体傾向をああだこうだするのがズレてるんだよな。その枠、統計的には外れ値なので
— ニド (@2ewsHQJgnvkGNPr) 2021年12月22日
実際の我々の認識は一体何に左右されているのか?おそらく「ベイズ推定」の出番。
未知の不確実なものを推定する場合に使う。得体の知れないものでも、確率がゼロではない限り、真実の解明に役立つ。主観的であると同時に現実的な手法なので、分析者が諦めずに追究すれば、隠れた何かがあぶりだされてくる。実際、現実社会には従来の統計学のような綺麗な確率は存在しない。創造力・想像力が必要な時代では分析者のセンスが試される。不明確・不鮮明なものを解明する場合や代替案の選択で効果を発揮する。
こちらの分野も勉強はこれからですね。あと今年は「無次元分散を半径とする観測円」なる概念に到達したのが収穫でした。
とりあえずメモがてら。今年は「無次元分散を半径とする観測円」なる概念に到達したのが収穫でした。「単位元1を始点に両極に伸びたexp(-x)」を半径に選んだので全体半径が2に収まるのがミソ。これを直径に選んだリーマン球面とある種の偶奇関係にある様に見て取れます。https://t.co/D5z0Uq8Zu2
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
リーマン球面同様、任意の対蹠間を結ぶ直線を選んで0-1-∞の円錐座標系に開けるところが魅力なんですね。両者の往復方法の研究はこれから。 pic.twitter.com/gxvylerlcN
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
離心率のグラフとこの円錐座標系の関係が理解出来たのも今年の収穫でした。要するに半径1の単位円を縦に回して、それを円錐の表面上に射影した結果だったのです。https://t.co/jsQ738etjf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
一方、無次元分散とは、要するに互いに直交するn次元評価時期の中心とスケールを合わせてそれが直積を構成する様になった時現れる対角線の事です。https://t.co/RVPzwdAd22
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
こうして各観測結果を無次元分散に変換して並べた結果現れる観測球面上の各微小領域は中心から伸ばされた垂線に対して直交関係にあると同時に隣接する微小領域と平行関係にあり近傍を構成します。https://t.co/4GYKlAoP29
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
その一方で互いの近傍は原則として統計学でいう名義尺度の関係にあると考えます。どうやってこれらの近傍を結合するかについてはこれから考えないといけません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
数学的構造なので、この無限分散を束ねる半径の意味は複数解となりますが、とりあえず思いついたのが「凄まじさ」。単位元1に「ありふれてる」、中心には「こうあるべき唯一の何か」が来ます。https://t.co/3InVvDY1n1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
「凄まじき逸脱」と「こうあるべき唯一の何か」は互いに逆元の関係にあってある種のイプシロンデルタ論法によってその半径を拡大させていきます。実測上は両者の関係に重み付けを与える必要が出てくるかもしれません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
数式化が全然間に合ってないので自分でも「なんじゃこりゃ?」状態ですが「ドラゴンカーセックスとは何か?」「JリベやJフェミの前轍を回避するにはどうしたらいいか?」考え抜いた上で辿り着いた2021年なりの結論がこれだったんですね。https://t.co/g7dwGStyxf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
「円筒座標系をZ軸の-1と+1のところで180度捻ると円錐座標系になる」と気付いたのなんて数日前でした。意外とギリギリのところでやってます。正規数学教育を受けた人間なら、これくらいお茶の子さいさいの世界なのかなぁ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
まさしく高校数学と専門数学の間には越すに越されぬ川があるのです…
2018年末から数学の再勉強に着手して、2021年末の現時点ではとりあえずそういう事を考えております。どうか御笑納ください。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
エンルスト・ユンガーが「戦争という装置」に託した期待には、この枠組みを超越する何かを感じています。そのあたり一体どうなっているのでしょうか?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
未来派が「変化の結果、自分がどう考える様になるか今から予測は出来ない」なる不可知論的諦観に到達し、経済計算論争が「コンピューターで演算可能な範囲=物自体(Ding an sich)の世界」と単純視してあっけなく自らの主体性を放棄してしまったのに対し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
ユンガーが戦争を「人類に変化を強制する必要悪」と認識しつつ、決してそれに対して油断せず自らの主体性を手放さなかった事こそが重要? 現時点における私の認識はその程度のもので、まだまだ勉強を続ける必要がある様です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
まぁ「変化の強要」って具体的にはこんな感じで、そこに特別な超越者の意思は感じません。
農業高校出たお袋にとって、チッソリンサンカリは魔法の呪文だったそうな。
— 喜多野土竜【⋈】腰痛持ち💉💉 (@mogura2001) 2021年12月30日
化学肥料が人類を飢餓から救った。世田谷自然派の共産趣味には、それがわからんのですよ。 https://t.co/q1uNOYQQae
その一方で…
砲弾の使用量、数ヶ月かかった旅順攻略の際の使用量の4割を、たった数日の青島で使ったという話が、「未完のファシズム」に「青島攻囲戦ニ於ケル彼我兵器ノ状態及弾丸効力調査」を引用して載ってたな
— 寄星蟲 (@kisei64) 2021年12月28日
統制より、火力戦をやるに足る経済力をつけようという発想に至らない辺りが統制の方々の限界だったのかもと(ヽ´ω`)
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2021年12月28日
さらにこういう場合も想定しておかねばなりません。
この種の「大量生産されるとき、何か悪いものが混ぜられる」というのは、実際にそうしたことをして摘発された業者が絶無ではないこともあって、古くは19世紀くらいから「大都市圏であれば世界中で発生する都市伝説」であるそうな。
— ぬまきち (@obenkyounuma) 2021年12月31日
先日観たAmazon Primeの「ブリティッシュ・ベイクオフ」でパイに使われている肉が人肉だ猫肉だネズミ肉だという風評が何故拡がるのか、というテーマを扱った回があった。https://t.co/NL3QsFCkXl
— ぬまきち (@obenkyounuma) 2021年12月31日
人肉が商品に混ぜられてたって事件は古今東西ありますから(日本だと手首の入った屋台のラーメンとか)そういう実際に起きた事件が都市伝説化していくんでしょうね
— すーさん (@su_san8) 2021年12月31日
ふと「地獄への道は算盤で舗装されている」という言葉を思いついてしまいました。全体主義的効率性の追求やネオリベ的緊縮財政がもたらす惨禍と、それに身構える想像力の鬩ぎ合いが全てを決定していく様なイメージ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
不良品率はあるもののラインイジる方がハイコストでっす。・°°・(>_<)・°°・。🏭⭐️✨。
— NAYUYU(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾(DJ⭐️RIJI)なゆゆ(*´꒳`*)。 (@nayuyuulnayu) 2021年12月31日
ああ「割れせんべい」みたいなワケあり品市場とか「肉屋はラード処理の為にコロッケを揚げて売る」みたいな経済合理性も視野に入れると「算盤は地獄への道を舗装する事もある」が正解となる様ですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の「工夫」の何処かに地獄に向かう落とし穴が仕込まれてる感じ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
まぁ(*´꒳`*)ノ⭐️✨、最終的に色んな意味で肥やしになればセーフ的な風潮もありまっすが(T ^ T)ノ💩⭐️✨。
— NAYUYU(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾(DJ⭐️RIJI)なゆゆ(*´꒳`*)。 (@nayuyuulnayu) 2021年12月31日
「魚肉ソーセージ」が、原爆実験の被曝風評被害で出荷出来なくなった大量のマグロを大量処分する方法として始まったとか?(子供の頃の大好物でした)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
それ(*´꒳`*)ノ⭐️✨、肥料でもヤバいやつでっす。・°°・(>_<)・°°・。🐟⭐️✨。
— NAYUYU(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾(DJ⭐️RIJI)なゆゆ(*´꒳`*)。 (@nayuyuulnayu) 2021年12月31日
「風評被害」だからセーフです(もはや大量摂取済みだからそう信じるしかない)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
ここで改めてゴビノー伯爵やニーチェが提唱した距離のパトス(Pathos der Distanz)」論がさらなる研鑽を求められる事になりそうですね。
とりあえずメモがてら。ゴビノー伯爵やニーチェが提唱した距離のパトス(Pathos der Distanz)」論には、さらなる研鑽の余地がありそうです。https://t.co/E7xX7OpS4m
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
近代的大量生産技術の発達によって海苔が高級食品から大衆も口に出来る常食に変貌した結果、何が起こったのか?https://t.co/C0nsKs0Wpm
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
腐りやすい生卵や納豆が近代的冷凍輸送技術の発達によって田舎における地産地消状態を脱して全国への配送が可能となった時、何が起こったのか?https://t.co/FSl1QDPSMs
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
何とそれらは並列的に日本人の朝食に組み込まれ、そこに自らの近代化を誇るある種のナショナリズムが生じたのです。この展開を距離のパトス論はどう説明するのか?https://t.co/TVX54TCKhR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
食卓ナショナリズム…
もしかしたらイプシロンデルタ論争やベイズ過程で説明するのが正しいのかもしれません。すなわち「人類の進歩」とは「無次元分散を半径とする観測球面の拡大過程」であり、これこそがコンドルセ伯爵やジョン・スチュワート・ミルの様な数学者が想定した古典的自由主義(Classical Liberalism)の極限という訳です。
そんな感じで今年もまたよろしくお願いします。