諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】「コンピューター側から見たら我々の方が認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」?

2018年末に数学再勉強を決意してから3年目を迎えます。はからずしもTwitter上での以下の投稿がその間考えてきた事のまとめとなったので、とりあえずメモがてら…

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発端はこの投稿…

相変わらず「イプシロンデルタ論法とは何か?」全貌が掴めないままです。「具体的にイプシロンをどう設定するか」が肝となる様ですが、そこから先の話がさっぱりなんですね。「閉世界仮説と表裏一体の関係にある?」は最近思いついたばかりの考え方で、まだまだ検証を続ける必要がある気がしています。

我々がイメージできるのは高々一次元(線の世界)二次元(面の世界)三次元(立体の世界)とそれに流れる時間経過くらい。線形代数に至っては連立一次方程式が解けるのみ。数学とはこの限られたツールをいかにうまく使いこなすかという技術の発展だったと思い知った年でした。この辺りの話となると物理学とか天文学の様な世界に差し掛かってきます。恒星の周囲を自転しながら公転する惑星群のイメージ…しかも実は公転の中心は太陽ではないらしいのです。

こちらもほとんど物理学や天文学上の概念の援用…「確率ベクトルのマルコフ連鎖」なる概念にはまだ辿り着いたばかりなので、使いこなす様になるのはこれからです。

次第に考え方が圏論に近づいている気もしますが、現時点で「圏論」が何か朧げにしか理解してないので何もいえません。しかし考えてみると昨年の私にとっては「群論」も「線形代数」もそんな感じだったのです。そしてそれはある意味今もそう…

ここではこういう問題も浮上してきます。

実際の我々の認識は一体何に左右されているのか?おそらく「ベイズ推定」の出番。

未知の不確実なものを推定する場合に使う。得体の知れないものでも、確率がゼロではない限り、真実の解明に役立つ。主観的であると同時に現実的な手法なので、分析者が諦めずに追究すれば、隠れた何かがあぶりだされてくる。実際、現実社会には従来の統計学のような綺麗な確率は存在しない。創造力・想像力が必要な時代では分析者のセンスが試される。不明確・不鮮明なものを解明する場合や代替案の選択で効果を発揮する。

こちらの分野も勉強はこれからですね。あと今年は「無次元分散を半径とする観測円」なる概念に到達したのが収穫でした。

まさしく高校数学と専門数学の間には越すに越されぬ川があるのです…

まぁ「変化の強要」って具体的にはこんな感じで、そこに特別な超越者の意思は感じません。

その一方で…

さらにこういう場合も想定しておかねばなりません。

ここで改めてゴビノー伯爵ニーチェが提唱した距離のパトス(Pathos der Distanz)」論がさらなる研鑽を求められる事になりそうですね。

食卓ナショナリズム

もしかしたらイプシロンデルタ論争ベイズ過程で説明するのが正しいのかもしれません。すなわち「人類の進歩」とは「無次元分散を半径とする観測球面の拡大過」であり、これこそがコンドルセ伯爵ジョン・スチュワート・ミルの様な数学者が想定した古典的自由主義(Classical Liberalism)の極限という訳です。

そんな感じで今年もまたよろしくお願いします。