私の歴史観は原則として「ニューアカ」とか「ポストモダン」に優しくないです。
今回の投稿の発端はこれ。
動物化するポストモダンはちゃんと読んでないしその後の悪影響の酷さからまったく評価する気にはならないのだが、それでもあの当時に「オタク」の文化の有り様をそれなりの形で描き出したのは画期的だったんだよな
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年2月4日
特に内容も知らんが「学者先生がこっちを真面目に見始めたぞ?」みたいな感覚はあった
ここに乱入。
今だから全体像を俯瞰して言える話ですが、いわゆる「世界系評論」の犯したミスって、本当は「新海誠監督の自主制作アニメ」や「同人エロゲー」とほぼ同時期に始まってたWeb小説の流れを見落としてた事にあるのかと。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月4日
実は2000年代初頭にはもう河原礫「ソードアートオンライン」のWeb掲載は始まっていて有志が各国語に翻訳してたし、今や直木賞作家となられた米澤穂信「古典部シリーズ」も最初はWeb掲載から始まってる訳で。まずそこから歴史観を再構成しないとダメな気がしてます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月4日
あー、SAOみたいなのが生まれる土壌があったわけですしな。しかし当時のWeb小説を掘るのはかなり難度が高い気もしますねえ
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年2月4日
あのへんが犯したミスは「オタクは少女趣味」というのを見落としてたことが決定的だと思います
「当時のWeb小説を掘るのは難しい」実際、河原礫も「当時ソードアートオンラインなんて数あるWeb小説の末端に過ぎなかった」みたいな話をしてるんですね。カンブリア爆発みたいに「そこにあった何か」の大半が後世に継承されずに終わった?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月4日
そうなんですよ。実際当時のWeb小説はまとまったサイトがあったわけでもなく、あたりを引くのがものすごく難しかった。そして量はめちゃくちゃ多かった
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年2月4日
全体像を把握できてる人はほぼいないんではないですかねえ。なので誰かがまず発表して反論を待つくらいのことしないと……
そこらへんまず掘り下げてくる人がいないとダメでしょうねえ。資料がまずないような
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年2月4日
おそらく「バトルロワイヤル」「ブギーポップ」のエピゴーネンとか、有象無象の学園異能バトルとか…そういえば当時は「ディープラブ」に代表される「援交」「強姦」「望まぬ妊娠」などを主題とする携帯小説の時代でもありました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月4日
あーそうだそうだ、Web小説の流れからケータイ小説が出てくるんですよな。その前史がまだ語られてない……?
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年2月4日
この辺りもおもむろに関係してきそうです。
Fateシリーズは同人エロゲースタートだったし、海外古参SAOファンも「16.5が馴れ初め」と言ってたし、国際的にもエロがジャンル確立のフィーダになった事実は否めないにしても、それ実は「SFにエロを持ち込んだ」英国ニューウェーブ小説の様な位置付けで捉えるべきパラダイムシフトだったとも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月4日
まあ Fate という名前の作品が出たのは最初から商業でしたけど、確かにそれ以前は同人で活動してたんですよねえ。
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年2月4日
あ、そういえば確かに「Type-Moon商業デビュー作品」でしたね。すっかり記憶が曖昧に。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月4日
しかもその流れはプリンセスメーカー大ヒットを発端に始まった「萌え絵コンテンツ」の一般化を狙う「ときメモ/ピアキャロット系」作品群とBDSMや陵辱を伴うサブカル系に引き込もうとする「エルフソフト系」作品群の綱引き合戦とは全く無関係の層から現れたという。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月4日
む、そのへん知らない。やっぱブログかなんかでまとめてほしいなあ
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年2月4日
そんな感じで以下続報…