こういう考え方もあるのか…
今回の投稿の発端は以下の話。
「社会科学」って言い方は、経済学や法学あたりが「わしら人文系と違って「科学」やで」と線引きしたい時に好んで使うとった印象がある。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月6日
で、「人文科学」って言い方は、あまり見かけたこと自体なかったし、また見かけたところで「おなじ文科系なので仲間だよね♬」的な、懸命に「科学」の看板にすり寄ろうと尻尾振っとるような筋悪醜態の場合が多かったのに加えて、そもそも好かんので語彙として自分のハコには入っとらん。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月6日
あ、あと「社会科学」ってのは、マルクス主義依拠の「科学」だぜ、って意味あいが強調されとる場合も少なくなかったわな。だから社会学も場所や文脈によってはそれ使うとったりした。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月6日
だからこれらの語彙は背景や文脈その他、よ~と考えて解釈せにゃ話が噛み合わんことが珍しくないでな。
科学を名乗るのなら「基本的な質問で恐縮ですが」に襲撃されないと
— たれぱにずむ/フルチン (@tarepanism) 2022年2月6日
私自身はそもそも社会学の研究対象を大学の授業で教わった通り「貨幣経済浸透と産業革命導入に伴う伝統的地域共同体の解体」を契機に顕在化した「それなしには人間社会が成立し得ない領域」と捉えています。従ってそれ以前、概ね19世紀後半に到るまではそれに関する議論は他のジャンル、例えば歴史学や哲学といった人文学分野に埋め込まれていたと考える訳です。
かかる「必須要素」を扱うアプローチ自体は法学や経済学に通じるものがあるのでこれらを「社会科学」と総称する事自体に異論はありません。それに加え共通背景として「人類のポテンシャルを最大源に引き出す為には、それに対する制約を最低源に抑えねばならない」と考える古典的自由主義(Classical Liberalism)を想定します。現実世界に実存する制約の体系(すなわち相互依存関係)について明らかにするだけでなく、それが社会全体に与えている影響を客観的に評価し、さらにはこれに改訂が加えられた場合に起こるであろう変化を予測する科学実証主義(Scientific Positivism)の範囲に留まるのは大体、こういう部分まででしょう。
自明の場合(Trival Case)としてそれは「(国家維持に十分な火力と機動力を有する常備軍や警察力を中央集権的官僚制が文書行政を通じての徴税によって賄う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)及びその国際協調体制」による暴力的手段の独占が裁定強制能力を発生させる前提に立つ法実証主義(Legal Positivism)や経済実証主義(Economic Positivism)を元(Element)とする集合を構成します。まだまだ理想としてしか存在してない側面があるのは否めませんが、それは研究対象たる社会そのもの(Social Itself)が絶えざる変化を続けているからでもあり、だからこそ絶えざる状況改善の為に検討材料を供給する「観測/予測」の需要が絶えないという訳です。ここで「予測可能である」とは、それぞれの対象を妥当な数学的構造に射影してその数理を明らかとする事によって「起こり得る事象の可能性範囲」を相応に網羅した状態を指すと考えます。
さらなる大源流としてイタリア・ルネサンス期(14世紀~16世紀)にボローニャ大学やパドヴァ大学の解剖学科や天文学科で芽生えたという新アリストテレス主義(Neo Aristotelianism)すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突する。しかしながらかかる実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトは、長期的には相応の拾捨選択を経た後に伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」なる信念を想定します。
こうした全体像を俯瞰すると歴史上のマルクス主義(Marxismus)は(上掲の意味合いにおける数理導入を拒絶し、それを超越する存在としての「科学者独裁体制」を提唱した)オーギュスト・コントの実証主義哲学(Positivism)から「人類救済の悲願を掲げる宗教上の教学的側面」「対象への数学的構造の射影を拒絶する不可知主義と独自基準に立脚する倫理的判断の導入」を継承した事により科学実証主義の世界に背を向ける一方、その現実問題への対応能力の限界が周知されるまで「研究より実践が重視されるべきである」なるモットーにより相応の評価を受けた実践哲学の一種だったと総括される事になりそうです。
「TV系サイバーパンク文学」の想像力が実際のコンピューター技術の発達に追いつかれ始めた1990年代以降、残れたのがマイケル・クライトンやJ.P.ホーガンやルディ・ラッカーの様な相応の科学的教養の持ち主だけに限られた展開を連想させます。
マルクス主義自体の歴史でいうと「経済計算論争(Economic Calculation Controversy,1920年代~1930年代)」が「絶対に間違えない超越的支配は想定不可能」という結論に終わった辺りが一つの山場だったという事になりましょうか。
そして本当に俗信の通りフィードフォワード(トップダウン)制御のみが政治的に正しいと考えるマルクス主義イデオロギーがフィードバック(ボトムアップ)制御を前提とするサイバネティック理論に嫌悪感を示したのかまでは定かではありませんが、実際「カーネルが割り込みタスクを非同期的に処理する」コンピューター・アーキテクチャーが登場した頃から共産主義圏におけるコンピュータ開発能力は停滞。ある意味、この頃にはもう既にソビエト連邦崩壊(1991年)に代表される共産主義圏大崩れ状態へのカウントダウンは始まっていたといえましょう。実践哲学なるもの、その実践が状況改善につながるという信念が失われた時点で「歴史の掃き溜め」送りが確定する宿命にあるのです。
久しぶりに自分の立ち位置をまとめてみたらこんな感じに。まぁまだまだ暫定版です。そんな感じで以下続報…