調度良い機会だったのでまとめてみました。
今回の投稿の発端は以下のTweet
個人的メモ。「基礎教養の共有」というのは会話を成立させる上で極めて重要で、例えば日本だと学校の教科書にも掲載されている中島敦 「山月記 (1942年)」がそれ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」https://t.co/XGjMwVepcI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
米国のニンフエット(女児が男児を成長速度で抜く小学校高学年頃から再び抜き返される中学生頃にかけての少女)/ハイニンフェット(女子高生)世代ではジョン・アップダイク「A&P(1961年)」が該当。逆に日本で知られる「ライ麦畑でつかまえて(1951年)」は忘れられて久しい感じ。https://t.co/mVjiVN5Qyl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
この作品の発表された1961年という年に重要な意味があって、要するに「黄金の50年代」に構築された白人中心の保守的文化がヒッピー運動や黒人公民権運動の激化によって倒壊する前夜の物語なのです。https://t.co/lNRfaOGXkZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
そして行き着いた先が「自由からの逃走(1941年)」著者のエーリック・フロムがコロンビア大学紛争(1968年)に際して学生運動家から腐った卵を投げつけられる景色…
同じく「黄金の50年代」に構築された白人中心の保守的文化への反抗から生まれた第二世代フェミニズム運動とも密接な関係があり、この筋における必須共有教養でもあったりします。https://t.co/MzY90meSrZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
内容は簡単至極。海岸線から8kmほど離れたボストン市内のA&Pスーパーに水着姿の三人組の少女が入店。それに店長気取りの保守的な価値観のレジ打ち(家族持ちの中年男)が注意するのです。「当店はお客様には見苦しくない格好で来ていただきたいと思っとるんですがな」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
隣でレジ打ちしてる主人公は「もうちょっと早く生まれてたら、セイラムの魔女裁判で火あぶりにされていただろうな」とか思いつつ眺めていますが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
その女の子達のリーダーは「わたしたち、見苦しくなんかありません」と反論。口答えされるのに慣れてないそのレジ打ちが激昂して「あんた達はこの店の方針(たった今勝手に決めたルール)に反している!!」と怒鳴って彼女達を追い出すと、主人公は我慢ならなくなり、エプロンを外して床に叩きつけ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
「僕は辞めます」と宣言して彼女達の後を追うのです。完全に「イージー・ライダー」や「ランボー」におけるアメリカン。ニューシネマ的展開の先取り。そりゃアメリカ人がこの作品を誇りに思うのは当然だし、上掲の少女達の生き様にも当然の影響を与える訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
これまで私は暴走Jフェミの皆さんに「月曜日のたわわ」を読む前にまずこの作品を読み、そこで自分がどういう立場にあるか理解したら?と進めてきたんですが、誰の感想も聞けた事がありません。まぁ必須教養が共有出来てない相手とは会話が通じないものと相場が決まってるのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
あ、一人だけ「私達はフェミニストでなく、ただお前達と違って正しい側にいるだけだから、そんなくだらない作品読む必要なんてないんだ」と感想を述べた人がいましたね。それ、まさにこの作品において店長気取りで勝手な正義を振り回す「正義のレジ打ち」が言いそうな台詞なのが興味深いところ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
まぁ「必須共通教養に欠けている」とは、こういう事でもある訳です。そんな感じで、以下続報…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
×アメリカン。ニューシネマ的展開○×アメリカン・ニューシネマ的展開。これが本来のリベラリズムであり、フェミニズムなのに、何処でij=kがji=-kにひっくり返ってしまったやら。https://t.co/GRXskQXa1b
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
あとこの「A&P」で興味深いのはガッツリ全編に渡って終始「東海岸の物語」である事。ここから映画「レディ・バード(2017年)」で活写される「西海岸にはもう何も残されてない」情景に至るまでの間に、一体何があったのか…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
ちなみにtumbr全盛期に私も散々回覧した有名な挿絵。 pic.twitter.com/FORTHn78B9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
「家父長制と闘う」といいつつ、この世代の女子には独特のヒエラルキー社会を構築したがる悪癖があって、それは1960年代にはまだ克服されてないからしっかり描写されている一方「月曜日のたわわ」に登場する女子高生がそれから脱しているのも興味深いところ。https://t.co/5WEqCaH44C
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月5日
そんな感じで以下続報…