諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【さよなら20世紀】「テキ屋がその職域を奪われていった時代」?

「(米国では太平洋戦争下劇場用映画として発表され、日本では戦後T Vドラマとして流された)フライシャーのスーパーマン(1941年~1943年)」日本初の国産ヒーロー物として劇映画スーパージャイアン(1957年~1959年)」が封切られ、TVドラマ「月光仮面(1958年~1959年)」が放映された時点ではマーチャンダイジング事業の話はあまり盛り上がりませんでした。「(著作権料を一才払わない)縁日のテキ屋の職分」を犯す事になるのを恐れたからです。

しかしそのフライシャー兄弟を「大予算長編アニメーション映画」なる新規塾で打ち破ったウォルト・ディズニーの脳内には既に「キャクター・ビジネスで最も収益を挙げるのはマーチャンダイジング事業であり、作品発表はその広告に過ぎない」なる新たなビジョンが到来しており、そこから「(消費者と商品を直結した新たな広告センターとしての)ディズニー・ランド構想」が出発。

  • しかしながらディズニー・スタジオはその完璧主義ゆえに「費用対効果が見合わない」テレビアニメの分野で大いに出遅れる展開を迎える。
  • そうしたライバル会社が「大予算スペクタクル映画」制作の為に共同で用意した下請け制作会社トップクラフトジブリの原型に。

一方「(テキ屋には絶対真似出来ない)精巧なスケールモデル」を基軸とする「日本の玩具業界のマーチャンタイジング事業」は文明開花と同時に流入してきた近代的素材加工技術を出発点として全く異なる経過を辿ってかかるメインストリームへの合流を果たします。

  • 江戸時代からの伝統に接続された蝋細工分野

    日本には独自に両国や浅草の見世物小屋などで培われた「生人形(活人形)」の伝統が存在し、近代日本においては医療用標本の国産化に貢献した上で今日においては「日本のレストランの前に飾る蝋細工物」にその技術が継承されています。

  • ブリキ細工」から「ビニール革命」「プラスティック革命」へ

  • そして「スケールモデルの時代」へ

なんとなく「昭和元禄落語心中」のテーマとも接続してきそうな物語…

ヤクザの親分「俺もさっさと引退しちまいてぇんだけど、倅が頼りなくて困ってるんです。あの野郎、果ては跡目は継がねぇなんて言い出しやがって…ヤクザなんてもう流行らねぇんだって。まったく無粋な法律作られちまって、みかじめも取れねぇわ、景気は悪ィやですっかり肩身が狭くなっちまった。この家だって何時まで住めるか…昔は守り守られでトントンだったんだ。今は人が薄情になった。俺達みてぇのが、もういらなくなったって事か」

今回の投稿の発端は以下のTweet

この投稿自体にはこういう話も。

しかしその一方で独特の広がりも。

そして…

ただし、このジャンルだけは…

そんな感じで以下続報…