この投稿、以下の投稿と重なってくる部分が多いです。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
共同体主義の復権みたいな話をぶってる方々の物言いのはしばしに共同体意識の欠如が見える、あの感じは何なんだろうな…
— ヤヤネヒロコ ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年8月6日
共同体に今所属してる人が得をしたいという本音では
— 相沢タツユキ (@Tatsuyuko) 2022年8月6日
すごいつらい感じのあれがポップしそうになって、止めました…
— ヤヤネヒロコ ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年8月6日
社会学者「私達が作った、私達自身の居場所。それが共同体運動です」。もはやそれ「神聖でもローマでも帝国でもない神聖ローマ帝国」みたいな、誰に役にも立たない奴じゃん…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
そして…
19世紀末、フランスとドイツに社会学が登場した理由は「貨幣経済浸透と産業革命進行のせいで既存の伝統的共同体は死んでしまった。次世代の人間集団について考えねば」というもの。同時期アメリカでも「フロンティア消滅宣言」がなされ「新時代の幕開け」が宣言された訳ですが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
いまだ「社会学的研究から生まれた画期的共同体ビジョン」って見た事がありません。第一次世界大戦(1904年~1918年)以降の国家資本主義の時代(ファシズムや共産主義が台頭し独ソ冷戦が1970年代まで支配的)には(黒人公民権運動もヒッピー運動も予測出来ず権威を失った)アメリカ社会学以外影が薄く…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
以降もニューアカとか左翼的政治活動に足を取られて独自研究の威力を見せる事なく怒涛のインターネット時代に突入…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
フランス社会学、伝統的に「アソシアシオン精神」と称してアメリカの西部開拓村の協業精神を理想視してきたんだけど、もうそれフランス社会学が発足した時点で「資本主義的発展」のせいで消滅。一方ドイツ社会学は敗戦国の悲しみで米国社会学にその座を奪われてしまいます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
一方、一度は未来予測に失敗したアメリカ社会学を特徴付ける「社会がその成員に特有の人格性を付与する」考え方「Youtubeが広告収入を配信者に還元する様になってYoutuberという職業が誕生した」「クラファンやスパチャが新たな経済的人格を誕生させる」みたいな応用性があるのですが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
どうやら、これまで一度も活気的な共同体モデルを独自提案してこなかったくせに、最近は「アメリカ社会学は古くてもう使い物にならない。我々の政治的勝利こそが共同体理念の勝利」などと豪語している模様。なら今はどんな共同体モデルに取り組んでるの?もうちょっとまともな仕事しようよ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
ちなみに「個人にそれを超越した影響を与える要素全てをとりあえず社会的と考える」ドイツ社会学もちゃんと再建すればインターネット社会の分析に役立ちそうなのですが、後継者が途絶えてむしろ心理学分野に併合されてしまった印象…まぁ「インターネット心理学」として再建しても問題はない訳ですが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
例えば高度成長期には次々と建造される団地にどういう社会が構築されるかが研究対象に。(Facebookの家芸グラフ理論の一環であるソシオグラム理論を使用)。同じ感覚で「Youtubeなどで迷惑系や陰謀系の配信を抑制しつつ、持続的発展性のある配信者にお金を回す共同体」とか提言して欲しいものです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
社会学ムラを批判するんじゃ!系の方々も結局その先に行けていないというか、新社会主義と家父長制と国家全体主義の悪いとこどりみたいなやつを「復権」の対象にしてる印象があって、なんともいえない顔になります…。
— ヤヤネヒロコ ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年8月6日
学部レベルとはいえ一応大学で社会学を体系的に勉強しましたが「環境変化の影響で既存共同体が崩壊しつつある(報告)」「その一方でこんな新たな共同体が現れた(報告)」「だから次世代共同体はこうあるべき(預言)」みたいな実証主義的ステップを忘れたら、もうそれ「ネズミを捕らなくなった猫」では?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
ちなみに「どうしてドイツ本国にドイツ社会学は残らなかったのか」についてはこんな話も。20世紀初頭に社会学の本懐を「よりよき社会を提案する事」とする立場と「科学実証主義に基づく分析さえ社会に提供出来ればいい」の衝突があり、後者が勝った結果…https://t.co/EpEb2JOmx3
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
ナチズムの台頭に抵抗出来ずしかも戦後も特に反省しなかったので、それに失望した戦後研究者がどんどん渡米してアメリカ社会学に走ってしまったのです。そのアメリカ社会学も「黄金の50年代」に酔って黒人公民権運動とヒッピー運動を見逃す訳ですが、共通するのは「研究対象についての視野狭窄」…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
「方法論そのものはまだまだ有効」といいたい訳ですが、困った事にここで「方法論論争で負けた側の逆襲」が開始。「新たな共同体の在り方の提言こそ本懐=実証主義的方法論より政治的勝利」と考える「怒れる若手世代」が急増して支配権を握ってしまうのです。https://t.co/hTC8qfuH0K
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
ドイツの法哲学の歴史を齧ったとき、こりゃひでーやと思っていたのですが(ホロコーストに加担した人物が、保身のために反ナチスのポーズから科学実証主義の否定に走ったとの理解)、社会学もそういった感じだったのかぁ… といったような。。
— ヤヤネヒロコ ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年8月6日
まぁマックス・ウェーバーさんは沈黙、ゾンバルトさんに至ってはナチス協力者に。一方「自由からの逃走」でナチス分析について雪辱を果たしたエーリック・フロムさんもコロンビア大学紛争で「僕なら学生を説得出来る」と息巻いてバリケードに近付いて全身に腐った卵を浴びてしまいます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
こういう黒歴史を反省する事から再出発しないと…ちなみに同時代にナチス台頭を告発した古典ヘルムート・プレスナー「遅れてきた民族」も「科学実証主義ではナチスに勝てない。マルクス主義で対抗せよ」みたいな内容で現代人の感覚でNGなのは同じという救いのなさ…https://t.co/OWuQKANsF1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
ちなみに同時期大日本帝国がどうだったかというと…何せ江戸幕藩体制まで遡っても(それなりに資本主義化が進行したにも関わらず)伝統的共同体そのものに総力戦遂行能力があって、議会制民主主義の受容まで「我田引鉄作戦による在地有力者の懐柔」で大半が済んでしまった戦闘民族なので、まぁその…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
「社会学?それ美味しいの?」「風邪を引かない人間に風邪薬は不要」みたいな周回遅れの現実から出発しないといけないという辛い試練が…まぁ代わりに近隣領域たる現象学とかは結構発達したんですが。https://t.co/m4YVqDZxnR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
実際には大日本帝国も大正時代頃から「社会学が必要な発展段階に達した」という考え方もあります。
社会学者「するってぇと何かい?社会学者ってのは未来の社会危機を予測して対策を提言する預言者の役割を果たさないといけないっていうのかい?」オーギュスト・コント「僕は実証主義哲学講義でそう書いた」フレーザー牧師「僕も金枝篇でそう書いた」。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
社会学者「金枝篇は失政でも天変地異でも老害化でも、とにかく何かあると権力者が全責任を押し付けられて処刑される話やん(涙目)」フレーザー牧師「でもその理不尽さが伝統的共同体の本質だから。ちゃんと研究してた?」。案外問題の本質はこれ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
「ナチズムへの反省(反省してない、”総括””変節”しただけ)」によって透明になってしまったかつてのドイツ社会学の先生方……。
— ヤヤネヒロコ ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年8月6日
一応「実証主義論争」など重要な展開もありましたが、若手研究者にとっては「新手のホワイトカラー階層や都市住人が社会を動かす様になった」とし、その詳細を明らかににしようとするアメリカ社会学の方が面白かった模様。https://t.co/osRM5br9aO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
そもそもドイツでは後に「本当にナチス時代ドイツ社会学は完全停止していたのか?」問題が急浮上?そういえばマンハイムさんはゾンバルトさん同様、ドイツに残ったんだっけ。そして日本の社会学はそういう動きを黙殺…https://t.co/a22OFMmqwi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
ここでさらに日本固有の問題が浮上…
思い出しました。当時の日本、心理学者の小此木啓吾がTVでまで「多くの日本人は外国からの知識摂取を我々「出島有識者」に任せて満足しています」と公言していた事を。avexが海外ではとっくに廃れた「ユーロビート」を「まだ流行ってます」と謀って大成功していた事を。https://t.co/VcG45BosbI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
そして角川春樹が、麻薬所持で逮捕されるまで自らの監督した「Rex恐竜物語」を「ジェラシックパーク」と同グレードの大作と日本人に信じ込ませるのに成功していた事を。https://t.co/1joJlmIYxX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
要するに、インターネット普及によって世界と直接繋がる様になる以前の日本、まだまだある種の「第二の鎖国」状態にあって「報道官制によってソーカル事件を日本人の目から隠したニューアカ界隈」も所詮はそうした氷山の一角に過ぎなかった?https://t.co/gRzh0ZuuBF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年8月6日
そんな感じで」以下続報…