第三世代フェミニストはしばしば1990年代初頭の「Riot Grrrl運動」から始まったとされますが、とりあえずのイメージとしては「ビッグバンの時代」が終わって「女が女らしく生きる道を模索する」穏健派が表面化してくるのは21世紀に入ってから。
ここでどうやらニンフェット期(女児が男児を成長速度で抜かす小学校高学年から再び抜き返される中学生)へのハイニンフエット期(ニンフエット期の余韻を残す高校生)の追加。どうやら背景に「大学院における白人女性層の急増」と、これを供給階層とするスクール・カウンセラーの参戦が重要な意味を備えてくる模様。
というのも2010年代にウルトラ・フェミニストがスウェーデンのスティーグ・ラーソン「ミレニアム(Millennium)シリーズ(2005年~2019年)」のリスベット・サランデル、フランスのピエール・ルメートル「カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ」の一編「その女アレックス (Alex,2011年)」のアレックスの様な「壮絶な少女復讐者」に照明を当てるも、実際に「当事者」達が告発を開始したのは両親、学校、矯正施設だったからです。
そういう状況がブリタニー・カヴァッラーロ「女子校生探偵シャーロット・ホームズ(Charlotte Holmes)三部作(2016年~2019年)」を通じて浮かび上がってきたので、とりあえず御報告がてら投稿。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
男性と比べて女性が身体能力で劣るというのは事実だし、負担の大きい業務を男性が担当するといった配慮が必要なのは、まあわかる。であればその負担の大きさに応じた報酬を男性が受け取るのは当然だし、女性は「自分たちは配慮されている」という自覚を持つべきだと思う。 https://t.co/p7QedPPTSH
— 北信 (@k_tash_n) 2022年10月13日
自身の身体能力の低さからキツい仕事を免除してもらってるモヤシ男が「配慮してもらって当然だよなあ!これは差別とは言いませ〜ん🥳」みたいなこと言ったらどうなる? しばき倒されますよね? なぜ対象が女性になった途端、こんな馬鹿げた理屈がまかり通るのかわからない。
— 北信 (@k_tash_n) 2022年10月13日
ここに乱入。
今から思えば20世紀の女性はとんでもないリアリストだった。「女は肉体労働では不利→溶接やフォークリフトの免許を取る」「家事を手伝う夫が恩着せがましい→黙って全自動食器洗い機を買え」「男女平等を実現するのは?→パワードスーツあるいは銃」https://t.co/CIhZUjKJhH
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月13日
当時のパワードスーツのイメージ… pic.twitter.com/JyAJLvFoz8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月13日
当時の「銃は男女を平等にする」イメージ… pic.twitter.com/tKPNl3fjtU
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月13日
とにかく当時のフェミニズムは男性を一切信用しないし、それに頼ろうとしない。「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、 口をつぐんで孤独に暮らせ」の世界…https://t.co/FBIroEkPU0
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月13日
こっちの方が要約としては正しい?「まあ少佐、結局世の中に文句あっても自分を変えられなくて職場放棄しちゃう人ですから」https://t.co/LwFi7XN0y5
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月13日
そんな感じで以下続報…