そういえば「逃げ切った漢」としては、この人の事も一応は推しておきたい?
今回の投稿の発端は以下のTweet。
個人的メモ。その筋の人達が忘れ去った「月曜日のたわわ」が気付くとますます「雌ライオンの集団狩猟マニュアル」化しつつある件について… pic.twitter.com/z2FeFPDXGi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
私は基本的に「男は合法範囲内で馬鹿になれるほど、女は合法範囲で意地悪になれるほど輝く」という立場なので、むしろ「待ってました」という感じ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
ただもうこの展開で「加害願望は男性側が一方的に女性側に抱くもので、女性側はどんな手を打っても正当防衛」みたいな考え方の押し付けは無理でしょう(そもそも二人とも幸せそうで被害者がいない)。まぁ、だからたじろいで逃げ去ったんだろうけど。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
この「男の本質は馬鹿、女の本質は意地悪」なる考え方の出発点。https://t.co/RlOhimgb0N
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
これおそらくダーウィンが「人間の進化と性淘汰 (The Descent of Man and Selection in Relation to Sex,1871年全2巻) 」で示した性淘汰理論(Selection in Relation to Sex)と関連してきます。https://t.co/W0koQUXQ8C
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
つまり「意地悪」は「女性=(遺伝子を残す相手を、自らの審美観に基づいて勝手に)選ぶ性」である点に立脚。その自由を奪われる形で「性暴力」が成立するのに対して…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
「馬鹿」は「男性=女性に選ばれる性」として「(あわよくば自分を選ばせるべく)相手の審美観に干渉する」戦略に立脚。やはりかかる「カモフラージュ能力の行使権」を奪われる形で「性暴力」が成立。何の事はない。ジェーン・オスティン「高慢と偏見」の世界…https://t.co/YkqOJ9ryFM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
ただしここでいう「選ぶ性/選ばれる性」なる性役割の固定、元来なら「種なる生物学的分類」にのみ対応し「家なる社会制度」に直結している訳ではありません(特に核家族の場合。そこを強引に直結させると家父長制や家母長制となる)。その特徴が「法人なる資本主義的制度」でより顕著に現れてきます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
ここで重要なのは、最後に登場する「法人なる資本主義的制度」については、そもそも生存競争の舞台となる適応環境が「大自然」から「資本主義経済」に推移している点。ウィリアム・マクニールは過渡期的状況として「人的リソースの確保が難しい状況下では家父長制と奴隷制が優勢になる」とします。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
その考え方によって「エルベ川以東で栄えた再版農奴制」「植民地時代アメリカで培われた(家父長制と奴隷制農場制の維持に執着する)ジェファーソン流民主主義」「シベリア開拓地を極例とするロシア農奴制」を統括的に説明しようとする訳です。https://t.co/rWUTLF172J
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
「適応対象が自然から経済に推移していく過程で開拓最前線に現れる再版家父長/農奴制」…幸村誠「ヴィンランド・サガ」でハーフダンの旦那とかが振りかざす奴… pic.twitter.com/YrnEZNtdVz
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
今回のロシア・ウクライナ戦争のせいでますます「ハーフダンの旦那の思考様式をどう吟味するか」が重要に。 pic.twitter.com/1gPN1V5gJJ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
そう、まだまだ単純に「もう資本主義の時代ですから」といえなくなってしまったからなんですね。 pic.twitter.com/Lb1AdcKYaI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
ここで改めて「雌ライオンの集団狩猟」の話に戻します。そもそもここで前髪さんは何を仕掛けてるのでしょう?そう「表面上選ぶ立場を相手に引き渡した様に見せ掛けつつ、選択肢の範囲を想定内に狭める」戦略の行使ですね。これぞまさに大英帝国的貴族主義=ジェーン・オスティン流フェミニズムの真髄…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
まぁこういった話がこれから先どう統合されるかが2020年代の課題となりつつある訳です…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
ちなみに真逆に「散々弄んだ女性に自分を捨てさせる」を男性側の勝利条件に設定すると教科書がディズニー映画「ポカホンタス(Pocahontas,1994年)」とその続編ドラマに推移。「ディズニー・プリンス史上唯一ヒロインから逃げ切った漢」ジョン・スミスの「馬鹿」に習うのです…https://t.co/e9Aw6tUxFs
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
そう「男性の馬鹿」はそういう目的にも使えるという…
また別の意味での真逆として「女性側に馬鹿をやる権利が丸投げされ、破滅への誘導役に仕立てあげられる」悲劇を描いたのが「ベティ・ブルー」であり「おやすみプンプン」とも。https://t.co/V60Xu6Z0j8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
ここに乱入。
ひどい!!!ひどすぎる!!!!( ´゚д゚`)エーwwwwwwww
— アヲハタマスミ★日曜 東P-06b ♻🇼ワサラー団 (@AohataM) 2022年9月11日
前髪さん「(爽やかな笑顔で)楽しませてあげました」。もうほとんど「コマンドー」の「手を離してやっただけだ」級の威力…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
相手が大人の分別で「高校生時代の自分への手出しをずっと控えていた」事、そういう相手の側の庇護者意識まで利用し尽くすのが「女のディフェンスにしてオフェンス」という話…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
そんな感じで以下続報…