諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2020年代的風景】「フランス的猪突猛進」と「ドイツ的敗北主義」?

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(論拠からの一切の形而上学性を排除せんと試み続ける)アメリカ式実証主義だけでは到底越えられなくて、(閉世界仮説採用により空集合となる筈の全体集合の補集合に次々と追加される新要素を一貫したスタイルで捌き続けんと試み続ける)フランス式実証主義なら、むしろその超克こそがシステムそのものの存在意義となる様な認識上の壁…その一方でフランスには「(フランス文学者坂口安吾が日本に紹介した様な)肉体に遡行させよ。肉体にとっては行動こそが言葉。。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」と考えるフランス式行動主義も存在し、しかも歴史的に「(蛮勇の状況突破力に依存するあまり無用に死体の山を築き上げ続ける)フランス貴族騎兵の猪突猛進」と表裏一体の関係にあったりもしたのです。

  • 最初の出発点は、フランスを強国の座にのし上げる最初の一歩となった「ブービーヌの戦い(1214年)」における貴族騎兵の乗馬突撃の成功体験にあったのかも。

    しかしかかる「ゴシック時代前期(12世紀~13世紀)」最大の合戦における成功体験はむしろ「(国家維持に十分なだけの火力と機動力を有する常備軍を中央集権的官僚制の徴税によって養う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)」への移行期に莫大な死体の山を築く敗因となってしまう。「猪突猛進の精神を尊ぶフランス貴族騎兵を(アラゴン国王がレコンキスタ運動遂行の過程でピレネー山脈奥地傭兵として招聘した)蛮人歩兵隊アルモガバルスが粉砕した「シチリアの晩鐘戦争(1282年~1285年)」、(コルトレイクに集結した)フランドル都市連合軍の市民兵が粉砕した「金拍車の戦い(1302年)」、(オスマン帝国がデシウルメ制によってキリスト教徒の子弟を改宗させて編成した)イェニチェリ歩兵隊が粉砕した「ニコポリスの戦い(1396年)」、(百年戦争(1337年/1339年~1453年)の一環として)イングランド軍長弓兵が粉砕した「アジャンクールの戦い(1415年)」、(フランス国王ルイ11世に対して公益同盟戦争(1464年~1465年)を仕掛けたブルゴーニュ公シャルル突進公が編成した新式軍を)スイス人傭兵の密集突撃が粉砕した「グランソンの戦い(1476年)/ムルテンの戦い(1477年)/ナンシーの戦い(1477年)」、(今度はフランス貴族騎兵の乗馬突撃とスイス人傭兵の密集突撃の合わせ技を)スペイン工兵(これもまたレコンキスタ運動の産物)が構築した野戦陣地に篭るランツクネヒト(ドイツ人傭兵隊)の鉄砲隊が粉砕した「チェリニョーラの戦い(1503年)」…

 

今回の投稿の発端は以下のポスト。

そんな感じで以下続報…