キリスト教中心史観からすればそう見える?
今回の投稿の発端は以下のポスト。
「戦争」を「人殺し」と短絡&超訳して/させていった過程。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月31日
いわゆる学術研究的な、社会科学的な意味でも、また人文or文学的な意味でもない、しかし同時にそれら全部をゆるふわにうっかり包摂してしまうような厄介なものとして。
で、ああ、そのへんに考え至るようになると、いわゆるサブカル大衆文化界隈に期せずして表出されてきていたようなものも、同時代「思想」の成り立ちに根深く関与するようになっていたことに気づかざるを得ないわけなんだが。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月31日
そしてまたも同時に、日常生活から「死」(と共に「生」)の手ざわりが大きく変わらざるを得なくなっていった過程、もまた関与してくるわけで。国民皆保険制度ベースの福利厚生の充実なども含めて。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月31日
もしかしたら「探偵小説の歴史」から何か抽出出来るかも。日中戦争を取材したエドガー・スノーが「日本兵はみんな(殺人犯でも情状酌量の余地があれば逃す)銭形平次を読んでいる。彼らにとってのイエス・キリストなのだ」と指摘される一方…https://t.co/pTK4AYBefq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月31日
前線の兵隊が「娯楽で小説を読んでいる」こと自体も欧米人にとっては奇異に映ったのだろうな。 https://t.co/IQfc52OT5I
— bibibi (@burubur56030897) 2022年4月4日
何故「最初の捕物帳」岡本綺堂「半七捕物帳帳」でなく野村胡堂「銭形平次」で一気に大衆化が進んだかについての分析は必要かと。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月4日
全然、自分は詳しくないんですけど半七老人ってインテリだよね。やっぱ戦前の階層社会とのマッチングなのかなあ。 https://t.co/R8t1ENajB3
— bibibi (@burubur56030897) 2022年4月4日
私もあまり詳しくないんですが、この辺り1920年代から1950年代にかけての「本格推理VS変格推理」論争と関係してくる様なんです?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月4日
そりゃあ作者の前提背景がまるで違いましたから。岡本綺堂は維新直後の少禄とはいえ御家人の出であり漢学の初学素養があった、だから偉いというのではなく江戸を知りそこで生きた読者向けともいえる。岡本と野村はほんの10年違いの生年で野村の教養も多大ですがハイカラです https://t.co/kvJQhys57Y
— ladysmoker (@lady_smoker_) 2022年4月4日
そういえば「半七捕物帳」って明らかに「幕末直近の江戸時代の特定文化」を背景としてるんですが「銭形平次」ってもう今日でいう、フィクション的な「江戸時代」を舞台に展開するんですね。この辺りで何かが噛み砕かれた?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月4日
おそらく当初からそうした外向け、なんなら戯曲(今なら映像)向けではなかったかと思うんのです。シーンの描き方など。
— ladysmoker (@lady_smoker_) 2022年4月4日
インテリ層から「殺人を娯楽として消費するなんて!!」として罵られた時代から推理小説が「頭のパズル」として消費される時代を経て「(社会悪をきっちり社会悪として描く事を要求される)社会派ミステリー」の時代に…結局は「松本清張とは一体何だったか?」という話になりますが、その直前に…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月31日
そして、「パズルで何が悪い」の新本格に時代は巻き戻ったんやな。 https://t.co/ubtUFXRFmM
— bibibi (@burubur56030897) 2022年4月4日
まぁ読者は面白ければ何でもアリなんで。松本清澄の「点と線」が爆発的に売れたのだって、今から思えば「社会派ミステリーの時代が来た」からというより密室トリック一辺倒だったタイミングで「時刻表トリック」が提供されたからという。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月4日
黒澤明のフィルムノワール物に共通する(復員兵による)アプレゲール犯罪についてどう考えるかなる観点が登場してきます。https://t.co/5pr6pnFAro
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月31日
割と目の前の殺人犯については「罪を憎んで人を憎まず」的甘さを全開にしつつ、その罪が国家や旧財閥や華族などのシステム自体には容赦なく投影されていった時代。そしてGHQの統制から解放された「天国と地獄」では反米要素が…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月31日
この流れの中で山崎努のあのラストシーンの名演はどういう位置付けを与えられる事になるのでしょう?https://t.co/JByiubRUXY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月31日
そもそも①GHQ支配下で「(封建主義を破る)民主主義の使者」金田一耕助像や(チャンバラ禁止を受け、モーリス・ルブランの冒険活劇要素を導入した「多羅尾伴内」や「月光仮面」の様な)二丁拳銃ヒーロー、(スーパマンの影響を受けた「スーパージャイアンツの様な)超人ヒーローが登場。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月1日
②1960年前後、大陸再進出を検討し始めた日本企業がスポンサーについて「ハリマオ」「アラーの使者」などの戦前風ヒーローがリバイバルするとPTAなどが猛反発。月刊少年誌やそれを原作とする「少年探偵」達は「ドラえもんの秘密道具」の様な非現実的武器で戦う事を強要される様になる。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月1日
元々禁酒法の最中で制定されたヘイズコードの中核は「ギャングとその情婦を羨望の対象として描いてはいけない。犯罪のテクニックを広めてはいけない」というもので、タルドの模倣犯罪学が下敷きになっていた。コミック・コードの時代にはこの考え方がさらに過激化し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月1日
「子供に武器とその使用場面を見せなければ平和を愛する様に育つ」といった狂信的な考え方まで登場。こうした動きに連動する形で「天国と地獄」では、子供達が西部劇ごっこで銃撃戦を繰り広げる場面を見て親が「嘆かわしい、アメリカに精神を毒されてしまった」と嘆く訳である。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月1日
石ノ森章太郎「テレビくん」にも「子供に武器とその使用状況を見せなければ…」とPTAが運動を繰り返す場面は出て来る。日本独自の「反米的反戦思想」はおそらくこの辺りに由来する?ちなみに当時は黒人公民権運動への反発から米国本土では「黒人も視野外に追い出せ」運動が展開。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月1日
日本のPTAはこれにまで連動したが、当時の漫画やアニメにおける黒人表現が「土人寄り」だったので「これも差別是正」と受け止められた感がある。その一方では当時はモンド映画が大ヒットし「残酷物ブーム」が起こっていた。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月1日
皮肉なのは米国本土の「黒人追放運動」は子供番組にまで及んだが、日本の子供向けTV番組はむしろジャズやファンクなど黒人音楽優勢となった事。それはテレビ局がジャズ喫茶などで拾ってきた人材が供給者だったからでもあった。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月1日
そんな感じで以下続報…