この投稿の発端は…昔過ぎて思い出せません。
しまりがなく、だらしないこと。
- サンスクリット語「sutra」の音写「修多羅」を語源とする。
- 古代インドにおいては教法を「多羅葉(たらよう)」と呼ばれる葉に記して鉛筆の様な筆記具で経文を刻書し、散逸しないように穴を開けて紐を通し保存していた。この紐や糸を「修多羅」といい、正確で歪みなく秩序よく束ねることも意味していたのである。
- そして「修多羅」が音転訛して「しだら」となり、「不」をつけて「ふしだら」になったといわれる。
お寺出身の植木等さんのヒット曲「スーダラ節(1961年)」は、これをもじって生まれた曲らしいのです。
手拍子を打つことを意味する「しだら」を語源とする説もあるが、関連性がないため有力な説とは考えられていない。
- 最初に検討しなければならないのは必然的に「限られた観測結果そのもの」を説明変数X、「実際に実在する世界そのもの」を目的変数Yと置いた場合の誤差の生じ方そのものとなる。漸近展開において規定される誤差関数には概ね(計算を止めた剰余項がそのまま誤差範囲を提示するテイラー級数やマクローリン級数の様なケースを除けば)漸近展開そのもので用いられる数理とは全く異なる数理が投入されるが、偏微分を進めるに当たってはこれをまとめて一単位で切り捨てていく形式をとる。
さて、ここまでで「(宗教的権威や国家主義といった)現実世界の実証主義科学への影響」の偏微分は一応一区切り。全体像を俯瞰すると説明変数Xに「Real=社会発展に対する権威主義的拘束」を配したら目的変数Yに「Status:Slaved=様々な拘束の強要によって社会発展が阻害されている状態」「Status:Forcing=権威(フォルス)側からの改革」「Status:Violenting=反権威(ヴィオランス)側からの改革」「Status:Salvated=社会改革が不要となった自由状態」の4象限で構成される遷移図が現れた形です。
統計言語Rによるグラフ化
pie.data<-rep(1, 4)
names<-c("Slaved","Forcing","Salvated","Violenting")
names(pie.data)<-names
pie(pie.data, col = heat.colors(4),main = "Transition diagram of authoritarian restraint")
それでは残ったのは? 「各個人が内面より直感的受け取る良心の声こそ真理」とする理神論的形而上学と「語り得ない物については沈黙するしかない」とする実証主義科学の対峙、そして日本仏教界が顕密体制を敷いて守り抜こうとした教学上の整合性辺りという事になりそうです。
とりあえずここまでで偏微分2回目は一区切り。全体像を俯瞰すると説明変数Xに「Imaginaly=各個人が甘受している精神的自由」を配したら目的変数Yに「Status:Slaved=様々な拘束の強要によって精神が死んだ状態」「Status:Forcing=権力(フォルス)側への参画による精神的開放」「Status:Violenting=反権威(ヴィオランス)側からの改革」「Status:Salvated=社会改革が不要となった自由状態」の4象限で構成される遷移図が現れた形です。
統計言語Rによるグラフ化
pie.data<-rep(1, 4)
names<-c("Slaved","Forcing","Salvated","Violenting")
names(pie.data)<-names
pie(pie.data, col = heat.colors(4),main = "Transition diagram of mental state")
これまでも随分と大鉈を奮ってきましたが、ここで偏微分1回目と偏微分2回目の結果を統合して暫定モデルを構築してみたいと思います。もちろん100点満点とは行かないでしょうが、何しろ年末が迫っているのです。デバッグ期間も想定すると、まだαテストにも至ってないというのは大変厳しい訳で…
①当然このモデルの出発点はJ.S.ミルが「自由論(On Liberty, 1859年)」において提示した古典的自由主義(Classical liberalism)論、すなわち「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の個人的な行為については必ず保障される」原理と、「共産主義の祖」カール・マルクスが(「社会民主主義の祖」ラッサールのパトロネージュを受けて出版した)「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」において提示した社会自由主義(Social Liberalism)論すなわち「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」原理の突き合わせなのである。
とはいえ偏微分の第1回と第二回の結果には見た目以上に複雑な内容を抱えていそうな箇所が多い。そこで以下の考え方の出番となる。
操作変数法(method of instrumental variables, IV) - Wikipedia
統計学、計量経済学、疫学、また関連分野において、統制された実験が出来ない時、もしくは処置がランダムに割り当てられない時に、因果関係を推定するための方法である。直感的に言えば、説明変数と被説明変数の間の相関が二変数間の因果関係をもっともらしく反映していない時に用いられる。妥当な操作変数は説明変数に影響を与えるが被説明変数に独立的な影響を持たず、研究者が被説明変数に対する説明変数の因果効果を明らかにすることを可能とする。
- 説明変数(共変数)が回帰モデルにおける誤差項と相関している時に一致推定することを可能とする。このような相関は、被説明変数の変化が共変数の少なくとも一つの値を変化させる時("逆"の因果)、説明変数と被説明変数の双方に影響を与える除外変数が存在する時、共変数に測定誤差がある時(error-in-variables models)に起こるだろう。
- 回帰の文脈において一つないしは複数の問題を持つ説明変数は時折、内生性として言及される。この状況下では、最小二乗法はバイアスを持ち一致性を持たない推定量を生み出すが、もし操作が利用可能ならば、一致推定量を得ることができる。
ここでいう操作とはそれ自身は説明すべき方程式には依存していないが、内生的な説明変数とほかの共変数の値による条件の下で相関している変数のことである。
②如何なる動きが正しいかは各時代の状態によって異なる。とりあえずここではそれに影響のあったと推定されるパラダイムシフトを伴う歴史区分をこうカウントする(工事中)。
- うわぁ…絶対に年内完成なんて無理…流石に手を広げすぎたわ…orz
③とりあえず、こうした価値判断基準の遷移を厳密な直交座標系に落とし込むには、ますます相関係数の判定が重要となる。
で、やっと話は冒頭の「不修多羅」の件に戻るのです。とりあえず「修多羅=正確で歪みなく秩序よく束ねられている」なる表現で連想されるのは「神格の習合」…