諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ヒトラーとナチスは絶対悪】ならば「ドイツ社会民主党(SPD)」とは一体何だったのか?

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最近話題のこの記事ですが…

そもそも、しばしばドイツ左派から「ドイツにナチスを呼び込んだ売国極右ファシスト」とも評されてきたドイツ社会民主党(Sozialdemokratische Partei Deutschlands、略称SPD)とは一体何だったか。それをあらかじめ理解してないと問題の本質がさっぱり見えてこないのではないでしょうか。

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【雑想】コスプレイヤーとトランスジェンダーの「優しい関係」。そして「不良少女(Badass Girl)」…

国際SNS上の関心空間は良い意味でも悪い意味でも「数的優位が全て」の世界。そこでは投稿回覧数が一定割合で4桁に到達しない限り「生存圏を確保した」とは到底言えないのです。さらに論争前提の「政治的集団」なら最低でも5桁は欲しいところ。
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それ故にそこでは絶対的マイノリティたるトランスジェンダー集団が、比較的大規模でかつ境界線の曖昧なコスプレイヤー集団との一体感を果たす事で生き残りを図る光景が見られます。確かに「生得的アイデンティティに従っての男装・女装」と「ファッションとしての男装・女装」を第三者が峻別するのは不可能だし、そもそも当人達の間にその意思がない模様…そうトランスジェンダー界隈最大の問題点は「(異性愛者や同性愛者のケースと異なり)各人の抱える問題が多様過ぎて、仲間の間ですら性的アイデンティティ上のコンセンサスの樹立が難しい」辺りみたいなんですね。
*それ故にトランスジェンダー集団は(男女の境界線が曖昧に描かれる事が多い)漫画アニメGAME世界と相性が良い。さらにはLGBTQ層同様にディズニーアニメやアメリカン・マスクド・ヒーロー達への関心も高い。そして、その独特の「(生存本能に導かれる形での)メジャーな概念への同化欲」故に、時々「ある種の異化欲に支えられたLGBTQメンバー」との衝突を余儀なくされる事がある。ただし「ほぼ自動的に(多くに利害を共にする)トランスジェンダー擁護に回るコスプレーヤー集団」の存在が本格的紛争勃発の抑止力となっている。

Stealth College Kid — So many trans references in Mulan. I love it XD

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Child!Stanley being caught in a dress by papa :(... - Here at the end of all things

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https://gun-bitch.tumblr.com/post/102355768689

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Des — Okay so I’m all for the trans Peter Parker hc (and...

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Roxie — I am now officially a member of the Mandalorian...

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ところで、この二つの集団は同時にネット上で「マイノリティはマジョリティに対して生得的報復権を有している。一緒に蜂起しよう!!」などとプロパガンダして回る物騒な政治的集団に対しても共同戦線を張っており、彼らの側からまとめて「人類はこんな腐った連中の生存権まで守る必要はない」なる認定を受けてたりします。可愛さ余って憎さ百倍。おそらく「どうしてマイノリティ庇護の立場から出発する人道主義は最後必ずといってよい程ナチス化してしまうのか?」なる設問の答えがこれ。全ての党派活動が有する「全体化への志向が必然的に伴う抵抗勢力に対する殲滅欲の発現」が原因。
*この衝動が「(世界を単一の価値観で束ねようとする)リバタリアニズム」と組み合わされるとホロコーストが不可避となり「(伝統的共同体復活を志向するコミュタリアニズム)」と組み合わされると魔女狩りが常態化するだけとも。全景の背後に「(それを善とみなすか悪とみなすかが違うだけで)マイノリティは隙あらばマジョリティへの報復を企てている」なる通念が透けて見えるのが興味深い。

*しかし現実には「同性愛者も異性愛者同様に人間だ!!」と連呼して回る「進歩派」が同時に「男の服を着た女は魔女として処刑される」中世的価値観を思うより引き摺った「守旧派」であったりもする。この辺りの価値観の錯綜は本当に複雑怪奇を極めるのである。
so sad for that bird, Magical☆Tony-tan is back

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*日本においては米国における「同性婚の公認」の次なる動きが「軍隊へのトランスジェンダー入隊禁止」だった事を「運動の退歩」と見る向きが多いが、実際には「運動の進歩=(貞操概念を守る)保守的同性愛者のマジョリティ側への取り込みが完了したのでパワーバランスが変わり、残りのマイノリティに対する風当たりが強くなっただけ」という側面もあるのではないかと思われる。またこうして「トランスジェンダー殲滅を志向する守旧派の動き」が可視化された事が次なる動きの嚆矢となるとも目されている。

当然「初音ミクVocaloid」文化とも縁が深いのです。

*ハチ/米津律師「砂の惑星(2017年)」MVに登場する「砂漠キャラバンのリーダー」としての初音ミクも当人のライブ時におけるステージ衣装が着せられている。


*その一方で三原じゅん子めいた「まふまふの不良少女(Bad Ass Girl)モード」の世界も。

「顔はやばいよ、ボディーにしな!」いつまでたっても不良少女のイメージのままの三原じゅん子

それにしても、「夜露死苦」から「八紘一宇」へ。成長といえば成長、ブレないといえばブレない姐御である。

*そういえば(次第にフランス教皇派の重鎮へと変貌していく)ナポレオン3世皇后 ウジェニー・ド・モンティジョ(Eugénie de Montijo, 1826年〜1920年)もまた若い頃、スペイン王族ながら内乱でパリでの亡命生活を余儀なくされて鬱屈し「男装して馬を乗り回し長煙管をくゆらす」生活を送ってたのは有名な話。

そもそも日本は江戸時代において既に「歌舞伎ファンの町娘達が男装して盛り場で啖呵を切って回る」 文化が定着していた土地柄。実は「宝塚」や「不良少女」の起源って思うより古い?

【雑想】古代には当然の様に存在した「女首長」について。

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首長は原則として男たるべき」と考えられていた古代社会においても「首長の妻や母が権力を握るケース」展開自体はしばしば見られました。まぁ大抵、後世の男権主義者達から魔女認定を受けて「絶対悪の象徴」などに貶められてしまう訳ですが。
マリー・アントワネット王妃ですらシュテファン・ツヴァイクマリー・アントワネットMarie Antoinette、1932年)」によって再評価の光が当てられるまで「女帝マリア・テレジア皇后がフランス絶対王政を破滅させる為に送り込んだ刺客」と認識されてたくらいだから、この問題かなり根深い。その背後にはナショナリズムの原型、すなわち「外交強化の為に王妃は仲良くしたい強大な対立国から迎える伝統的慣習」や「各国における国王とその家族や家臣団と地元大貴族連合の伝統的対立」などが複雑に絡み合って渦巻く。

 セミラミス(Semiramis、アラム語: Shamiramシャミーラム)

アッシリアの伝説上の女王。モデルは紀元前9世紀アッシリアの王シャムシ・アダド5世の王妃でその子アダド・ニラリ3世の摂政を務めたサンムラマートで、ギリシャに渡ってセミラミスとなった。

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欧米の日本史ファンは「日本の歴史には欧州史でしばしば見られる「女性権力者の魔女化現象」が見られないから素晴らしい」 と指摘したりします。そして海外のフェミニスト勢が「日本史に登場した最高の女性権力者の一人」として筆頭に挙げるのが「尼将軍」北条政子(1157年〜1225年)。下手したら「大英帝国」の礎を築いたエリザベス女王と並べられかねない高評価。
*もちろん「英国人のチューダー朝に対する歴史的評価」が微妙な様に「日本人の北条政権に対する歴史的評価」もかなり微妙だったりする訳だが。さて「(世界中の神や偉人のネット検索結果上位に果敢に割り込んでいく)FGOの魔の手」はこの領域まで伸びるのか?

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*あと「女の敵は女」という側面も? この辺り実にデリケートな問題で、一般的に女性は男性より(個人主義的というより「視野内に置ける問題に関心を集中させ得る環境を好む」小領主主義的意味合いにおける)無政府主義的傾向が強く男権主義ばかりか女権主義からも距離を置こうとする傾向が見受けられる。欧米における「母と娘の基本的不仲」、東洋における「嫁と姑の基本的不仲」などの背景にあるとも?

その一方で海外における血統主義の王党派インテリの間でカルト的人気を誇るのが「お市の方とその娘達」。ある意味「地道な政略結婚を積み重ねによって「王統コレクション」を完成させ神聖ローマ帝国皇統を勝ち取ったハプスブルグ家」に匹敵する偉業と目されていたりもするくらい。
*海外で「日本の歴史上の偉人」が列記される際「織田信長豊臣秀吉徳川家康」といった大御所に「浅井長政」の名前が並んでいたら、背景にあるのはまずこの考え方。

どうやら「男女対等の実現史」と「男女平等の実現史」の間には大きな狭間が存在する様なんです。ちなみに欧米の日本史ファンが挙げる「日本史上における男女平等系女傑」の筆頭格は「田舎者のがむしゃらゆえに成功して滅んだ木曽義仲に最後まで従軍した巴御前
*欧米では「権力闘争上の勝利」や「血統上の勝利」などへの関心を薄める一方の若き第三世代フェニミスト女性の間で支持者が多い。「女も男と同じくらいバリバリ働くのを理想しするキャリア志向」が透けて見えるが、その「多様化」を重んじるスタンスなので「主夫」などの存在なども容認。

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*そして海外において女子アカウントばかりかLGBTQ層からまで熱烈歓迎を受けた池田理代子「ベルサイユのバラ(原作1972年〜1973年、アニメ 1979年〜1980年)」の「名場面」が以下となる。

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*アニメ版は「あしたのジョー(原作1968年〜1973年、アニメ1970年〜1971年、1980年〜1981年)」並みに「拳で語り合う」物語。海外においてはこの作品が「少女革命ウテナ(1997年)」大ブームを背景としての源流探しの過程で「発見」されたというのも興味深い辺り。それにつけても「ガンバの冒険(TV版1975年、アニメ版1974年)」はもっと国際的評価されてしかるべき作品。尻尾を立てろ!!
アニメ監督・出崎統さん死去 [海外掲示板翻訳] 翻訳こんにゃくお味噌味(仮)

*この辺りの国際的期待を上手に継承したのがジブリ・アニメとも? 流石はランキン・バス・スタジオ直系…


 

歴史上にこうして「権力者」「血統コレクター」「女騎士」の3タイプの女傑が揃ってる国って意外と少ない?

【雑想】「ソフトウェア的解決」と「ハードウェア的解決」について。

 

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ハードウェアとソフトウェアって何? | それからデザイン スタッフブログ

素人は誤解しがちですが「心理学が扱うのはソフトウェア的問題、精神医学が扱うのはハードウェア的問題」なのです。従って前者と後者では「バグ対策」へのアプローチも全く違ったものとなります。
*より具体的には「ソフトウェア的問題の解決」については「人間関係に対する認識の改善」などが重要となるが「ハードウェア的問題の解決」に際しては「(薬の処方などによる)脳からの誤信号発信の押さえ込み」などが鍵となる。

こうした「誤謬」は当然「モジュール化されたプログラム」でも起こる模様。
*「経済的観点」なんてのも案外この分野に含まれる。

誤謬は概ね「予想外の振る舞い」がもたらしますが、その原因はしばしば「自分にとって通常の想定外の事態」がもたらすものだったりもするという事を決して忘れてはいけないんですね。

そして、こうした「ソフトウェア的誤謬」と「ハードウェア的誤謬」の思わぬ形での積み重ねが人間をとんでもない結論に導いてしまう可能性についても。

続・ナショナリズムの歴史外伝③ 「コミュニタリアニズム」と「リバタリアニズム」の狭間

 

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語源的に見て「コミュニタリアニズム(communitarianism) は「伝統的共同体(community)」由来、「リバタリアニズム(libertarianism)」は「制約からの解放(Liberty)」由来。ちなみに「自由(Freedom)」の概念が芽生えるのは両者よりずっと後となります。

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【インフルエンサー・マーケティング】日本は良い意味でも悪い意味でも「周回遅れ」?

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国際SNS上の関心空間においては「インフルエンサーマーケティング至上主義」こそが「白人男性至上主義」の種火になったとまで言われてます。

まぁ基本的に「(それも教祖か信者への二分を迫る権威主義を背景とした)ユーザー間の差別心理の助長によってコミュニティを活発化させるタイプのビジネス・スキーム」なので、成功すればするほど(集団の維持に「ユダヤ人狩り」や「魔女狩り」の様な定期的迫害が不可欠となっていき)近代的平等社会から遠のくのが不可避という構造。

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しかし、そもそも日本にはこうした展開の前提となる没入性、すなわちフェイスブック殺人やオンラインゲーム殺人を日常茶飯事化させる「仮想空間における心理的怨恨を現実の殺意に直結させる短絡性」が希薄な様にも見て取れるのです。

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