諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

資本主義の起源はプロテスタント?それともカソリック?

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実はどっちと考えてもさほど大きな問題は起こらない。そもそも「ユダヤ教徒でした」とか「イスラム教徒でした」といったどちらでもない回答も存在する。

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マックス・ウェーバー1864年~1920年)は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus、1904年~1905年)」の中で資本主義の精神(単なる拝金主義や利益の追求ではなく、合理的な経営・経済活動を非合理性のうちで支える「エートス=行動様式」)の起源はカルヴァニズムと規定した。

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そして「資本主義の精神」まで到達し得なかった残念な例として以下を挙げる。

  • 「天職に打ち込む事は熱心に祈祷するのと同様の宗教的意義がある」としながらも現世における宗教界と世俗勢力の境界線をあえて越えようとしなかったルター派神学。
  • あえてカルヴァニズムの諸提言を本気で受容しようと試みながら思索の域にとどまり、ルター派神学の域にすら到達しなかった17世紀フランスのジャンセニスム

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一方、ノーベル経済学賞の受賞者たるハイエクFriedrich August von Hayek1899年~1992年)は、資本主義の起源をカソリックとした。

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スペインを急速に没落させていくハイパーインフレに翻弄されながら16世紀スペインにおいてサラマンカ学派が「貨幣数量説(quantity theory of money)」を発見すると不可逆的変化が始まった。「必要こそ発見の母」とはまさにこういう状況を言うが、中世スコラ学は「生産コストこそが生産物の価格を自然に公正に客観的に決定する」という定理を疑う事を絶対に許さず、その伝統がフランソワ・ケネー「経済表(1758)」や、A.スミス「諸国民の富(1776年)」を経てマルクス・レーニン主義に継承される事に。

  • フランソワ・ケネー「経済表(1758)」「富の唯一の源泉は農業である」という信念を中核とするある種のカルト集団「フランス重農主義」のバイブル。*分析的手法で経済活動についての説明を試みる、恐らくは最初の活動とされる。
  • A.スミス「諸国民の富(1776年)」…18世紀スコットランド啓蒙主義の産物。それは1603年にスチワート朝イングランド同君連合となり、名誉革命1688年~1689年)後はフランスに後援されたジャコバイトの本拠地として次第にイングランド攻略され、自主性を喪失し、1707年に完全合併されたスコットランドが見せた「自主性を保ち続け様とする最期の努力」の集大成でもあった。ナポレオン戦争下でスコットランド長老派に徹底弾圧されて一端は完全消滅。Jベンサム功利主義同様、非カソリック/スコットランド長老派のDリカード(ユダヤ人→クェーカー→ユニテリアン)や(名目上長老派に留まりつつソクラテス哲学に救済への道を見出したジョン・ミルの息子)J.S.ミルなどが「かろうじて」リバイバルに成功。
  • Jベンサム1748年~1832年)の功利主義「最大多数個人の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number)」を標榜する立場から「誰に対しても実害を与えず、むしろ当事者間には快楽さえもたらす」同性愛について「被害者なきところに犯罪は成立しない」という法理念に基づいて合法化を提唱。当時の英国上流階層の間では「功利主義は不健全な変態科学」という認識が広まり最終的には19世紀末から20世紀初頭にかけて米国で荒れ狂った「(禁酒法Hays Codeの制定を典型例とする)Victorian Code全盛期」を現出させるに至る。*ちなみにハイエクベンサム同様に同性愛について「成人の私的行為であれば、それが多数派の忌み嫌うようなものであっても、国家による強制の対象としては適当ではない。国家の目的は強制を最小化することである。」とした。「自生的な秩序においては、個人の私的領域を守る必要がある場合にのみ強制は正当化されるのであって、強制的に個人の領域を侵害することがあってはならない。」
  • マルクス・レーニン主義フランス7月革命(1930年)における「生産こそが全ての富の源泉である以上、その搾取を予防するには生産者側が全てを統制下に置いてあらゆる分配上の不平等を撤廃するのが道義的に正しい」という立場から出発したが、やがて商工民と農民と資本家が脱落。工場労働者だけが残って「工場労働だけが全ての富の源泉であり、工場労働者独裁だけが全てを救済する」と提唱する様になり最終的には(裏で選び抜かれたごく少数の本物のインテリが全てを仕切る)民主集中制に至る。*まさしくジョージ・オーウェル「動物農場(Animal Farm、1945年)」の世界?

経済学樹立前夜の世界」なんて、まぁこんなものである。肝心なのはむしろ現代に辿り着く為、資本主義を巡る諸問題の本質を離れない事かもしれない。

  • それでは資本主義の本質とは何か? 「金持ちが浪費する事で経済は回るが貧富の差は一掃広がる。すると最初から全員が質素な生活津を送ればいいではないかと声高に叫ぶ人々が台頭してくるが、彼らもまた一旦成功してしまうと金持ちの一員に加わって経済を回すか、原理原則に殉じ手段を選ばず経済を停滞させ続ける道を選ぶか二択を迫られる事になる。ならばいかんせん?」
  • ここでいう「二択を迫られる」とは経済が回る限り必ず勝者と敗者が産まれ続ける事を指す。それ故にこの問題は究極的には「ならば勝者には絶えざる没落の機会を、敗者には絶えざる再起の機会を与えよ」と要求する「市場放任派=機会均等主義」と「いっそ全てを官僚が管理する計画経済統制下に置いてしまえ」と要求する「市場統制派=全体主義」に2分する。
  • 最初に形を為したのは後者を代表する絶対王制の国庫管理技術で、それが次第に国家財政学へと整備されていく。その過程でナポリ経済哲学が「効用主義(Utilitarianism、商品の値段は需要と供給の関係で決まるとする立場)」の発見者となるのである。

日向寺純雄「イタリア財政学の発展と構造(1987年)」

【概要】イタリア財政学は18世紀ナポリの経済学者フェルディナンド・ガリアーニ (Ferdinando Galiani 1728年~1787年)を起源とする。この人物はスコット啓蒙主義にもフランス重農主義にもNoを突きつけ「政府は経済における重要要素であり、法や財政政策を通じて良かれ悪しかれ経済や社会に影響を与える」とし、これを抜きにした「自然状態」に関する議論は無意味とした。立場的にはフランスの新コルベール主義やドイツの新官房学派に近く、実際ガリアーニは自著で国を「善意の独裁者」と説明している。しかし19世紀に入るとこうしたイタリア効用主義の伝統は次第に「(税収を縦軸、公共サービスへの満足度を横軸に取って費用対効果を算出したりする)イタリア財政科学」へと発展していった。後にA・グラムシ(1891年~1937年)、P・トリアッティ(1893年~1964年)、E・ベルリンゲル(1922年~1984年)を経て開花し、小泉政権時代の「聖域なき構造改革」の元ネタともなった「イタリア構造改革派」の原風景がここにある。惜しむらくはイタリア政府自体に、それを実践するだけの実務能力がない事であろうか。

またハイエク1920年代から1940年代にかけて盛り上がった「経済計算論争」において「(共産主義型経済の根幹をなす)集産主義や計画主義は市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提に基づく」「しかし実際に市場予測に関する情報や知識を特定の誰かが必要にして充分なだけ継続的に収集し続ける事は不可能」「従ってが部分的情報を熟知する参加者達が鎬を削り合う市場経済に効率性で勝る可能性は皆無」という見解を披露して最終勝者となっている。*この認識からカーネギーメロン派の様な新しい種類の経済学が派生する事に。

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