諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ハチ「砂漠の惑星」が示唆する2010年代後半のサバイバル術④ 「May the Force be with you=Trick or Treat」?

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国際SNS上の関心空間に滞在する女子アカウントの振る舞いが妙にSAMURAIめいて見える理由の一つ。それは、間違って自分達の逆鱗を踏んでしまった相手に対する包囲殲滅戦を展開しながら「May the Force be with you」などと輪唱したりする辺り。
*そういう私もしばしば回覧網の末席に加わり、事あるごとに「Force be with you」と唱える側に回ってきた。戦国時代に一向宗民兵の大群が「南無阿弥陀仏」を唱和しながら淡々と敵を物量で圧し潰していく情景に近い?

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そうした経験から国際SNS上の関心空間でこの投稿を見た瞬間、彼女達が鯉口も切らず一斉に得物を抜き放って無表情で「Trick or Treat」「Trick or Treat」「Trick or Treat」と斉唱する景色が念頭に浮かんでしまったのです。
*「Trick or Treat」の直訳は「もてなさねば祟る」。まぁ、大量の女子を御菓子で釣って集めておいて「残念、フェイクでした」は通らないですからね…

まぁ彼女ら「モアナと伝説の海(Moana、2016年)」封切り時は「HAKA(マオリ族の出陣舞)」動画とか喜んで回覧してたし、全ての行動の背後にある種のSAMURAI精神が透けて見えるのですね。特に「結婚式HAKA」の支持は絶大。これだけ男臭いHAKAの音頭に女性招待客や(生粋のアーリア系っぽい)花婿まで巻き込まれてく感じが最高なんですね。回覧過程で「これがグローバリズムでないなら、そんなグローバリズムなんて地上に不要」なるパワーワードまで飛び出しました。
*SAMURAI精神…日本人の目にHAKAは「隼人舞」の一種と映る。さらには既に「頑張って頑張って仕事、頑張って頑張って遊び」のCMソングで「ハイホー。ハイホー、仕事が好き」の歌同様に社畜文化に吸収済み。

そんな彼女達にとっても「ジャスティン・ビーバーと同年にデビューした)初音ミク」はずっと集団を支えてきた重要な「御題目の一つ」であり続けてきたのです。その過程で「May the Force be with you=Trick or Treat」なる等式が成立する展開に…

ところで国際SNS上の関心空間が独自性を獲得したのは、東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)を契機とする日本メディアの「情報発信自粛」以降とされています。

東北地方太平洋沖地震後の情報発信自粛を原因として「(それまで日本サイトの情報を右から左に流すだけでPage Viewを稼いできた)まとめサイト」の大半が壊滅。

それから一年以上にも渡って続いた混乱期(Dark Ages=暗黒時代)を生き延びたのは「(その多くが翻訳稼業や文化輸出入に従事する)バイリンガル有識者集団」や「(初音ミクやナルトやThe Legend of Korraをこよなく愛しビリーバーズ(Justin Bieberの狂信的ファンクラブ)との殴り合いを展開した)武闘派Teen Girls」などだった。

国外における「初音ミクを巡る歩み」が国内のそれと袂を分かつのもこの時以降。逆をいえば、かかる動きはそれまで日本の動向の単なるバリエーションに甘んじていただけだったとも。

「初期の2007年頃は、かわいい系の楽曲で「私頑張って歌うよ」という、ボーカロイド自体をテーマにしたような曲が中心」だったことは、多くのボカロファンにとっての共通認識だと思う。

当時の “ボーカロイド自体をテーマにしたような曲” は、「キャラクターソング」と言い換えてもいいだろう。その最たるものが、9月20日に投稿された、あの動画。翌21日にはランキング1位に輝き、今なお「初音ミク」を語るには欠かせない『みくみくにしてあげる♪』(ika)。投稿翌日の時点で、 “フルボッコ” ならぬ “フルみっく” 状態の中毒患者が続出しており、その人気ぶりがよくわかる。10月15日には早々に100万再生を突破し、2012年8月30日には1000万再生を達成。2017年9月現在は1300万再生間近という、紛うことなきモンスター動画である。「ボカロカルチャー」にもたらした影響も大きい。この曲に感化されて3D動画やイラストが数多く投稿されるようになり、n次創作の輪が広がっていた一面もある。

*この辺りの展開自体はおそらく2000年代後半以降の「物語文法そのものの変化(その越境が悲劇的結果しかもたらさない境界線の喪失)」や「人生のFPS化」といった流れとも無関係ではない。

柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』

「メルト(2007年12月7日)」のヒットは、作家としてのボカロPの存在に光を当てるきっかけになった。そしてもう一つ、この曲はキャラクターとしての初音ミクの役割を大きく広げた曲にもなった。初期のボカロ曲は、「恋スルVOC@LOID」のように「パソコンの中にいるみんなの歌姫」である初音ミクを主役にして歌詞を書いたものが中心だ。

しかし「メルト」の歌詞は「朝 目が覚めて 真っ先に思い浮かぶ 君のこと 思い切って 前髪を切った『どうしたの?』って 聞かれたくて」と始まる。歌詞の主人公はミク自身ではなく、ryoが思い描いた少女。その心情を、ミクがシンガーとして表現する。この曲は、初音ミクが「電子の歌姫」のキャラクターソングではなく、いわゆるシンガーとして「ポップソング」を歌って広く受け入れられた初めての曲になった。 

しかも、『メルト』の盛り上がりは思わぬ方向へも波及することになる。それは、「キャラソン」的な楽曲では見られなかった、新たな動き。2007年5月に正式にカテゴリー化され、ニコニコ動画の人気ジャンルとなっていた「歌ってみた」の投稿者たちが、こぞって『メルト』を歌ったのだ。

ランキング上位が『メルト』の原曲と複数の「歌ってみた」動画によって占拠され、それ以外にも初音ミク関連の動画が多くランクイン。『メルト』とボカロ人気を体現するかのような、衝撃的な出来事となった。

『メルト』の流行によって、「キャラソン」が主流だったボカロの黎明期は終わった。それは何も悪いことではなく、音声ソフトウェアであるボーカロイドの可能性を広げると同時に、彼女に “歌わせる” 作り手・ボーカロイドPの「表現」が注目されるきっかけにもなったとも言える。 

2008年の「初音ミクの消失(cosMo@暴走P)」。BPM240の高速歌詞は当初から「ボーカロイドだから歌える曲」などと言われており、台詞も含めて「初音ミクのための歌」であることは間違いない。

2010年に発売された同名CDが物語性のある曲構成となっていることから、これら楽曲群は「『消失』ストーリー」とも呼ばれている。時にかわいく、時に楽しく、時に皮肉っぽく、時に絶望的に歌われる楽曲たちは、個々が独立しているように見えて、その実つながっている。言うなれば、CD1枚がすべて「初音ミクのキャラソン」であり、「初音ミクの物語」となっているわけだ。

表題曲『消失』の歌詞だけを見ると、エラーによって消え行く「データ」としての初音ミクが別れを叫ぶという、ある種の「シチュエーション」を描いた歌であるようにも読める。ボーカロイドならではの楽曲ではあっても、やはり「キャラソン」のひとつに過ぎないという印象。

ところが、同シリーズのほかの楽曲と一緒に聴いてみると、どうもそれだけではないらしい。「ボーカロイド」という存在にもいつかは訪れるであろう「終わり」を、「人によって歌わされる機械」である彼女たちの目線で、悩み苦しみながらも歌っているように聴こえてくるのだ。

それが顕著に現れているのが、2010年3月公開の『初音ミクの戸惑』だ。ボーカロイドの目線で考えると、彼女たちは結局のところ、ヒトの代替物でしかない。こうして “彼女自身” の歌でも歌わないかぎり、彼女は自分の存在理由を証明できないのではないか――と。

個人的には、意外と2010年は意外とハチの「マトリョーシカ」「パンダヒーロー」一色ではなかった印象があったりします。当時私が主に聞いてたのもDECO*27の「モザイクロール」や「弱虫モンブラン」辺りでしたしね。

*どうやら、この頃の自分にとっては山口百恵「プレイバックPart2(1978年)」、中島みゆき「悪女(1981年)」、薬師丸ひろ子探偵物語(1983年)」、アン・ルイス「ラ・セゾン(1982年)」「六本木心中(1984年)」「あゝ無情(1986年)」、といった「突き放し悪女系(かつ「自分の本音に嘘が吐けない」純情路線)」の流れの方がしっくりきていた様なのである。洋楽だとマドンナとかシンディー・ローパーとか? アン・ルイスも「ラ・セゾン」段階では「ウルトラヴォックスそのもの?」くらいの勢いの純度のニューロマ路線なのに急速に「日本化」を果たしていく。


*逆をいえば、もしかしたらハチ/米津玄師の歌詞世界を特徴付けるあの独特の「実存不安」が本格的にメインストリームにのし上がってきたのが東北大震災以降だった事の重要な傍証の一つとなり得るかもしれない。いずれにせよ「変化」は決定的かつ不可逆的な形で急激に訪れた。

過去にレディ・ガガジャスティン・ビーバーを起用してきた、Google ChromeのグローバルキャンペーンCM。その “日本代表” として、国内で初めて起用されたのが、初音ミクだった。

この動画の何が衝撃的だったかは、もはや語るまでもないように思う。「俺たちのミクさんが世界に羽ばたいた!」という声もそうだし、ChromeのCMでありながら「初音ミクが歩んできた4年間の軌跡をまとめたPV」のように見えたのもそう。

何と言っても、この動画では、「ただでさえ天使なミクさん」と共に、「僕らの大好きなインターネット」の姿が描かれていたのだ。特定の誰かではなく、ボカロPも絵師もMMDerも踊り手もファンも、すべて引っくるめて「Everyone, Creator」であるというメッセージ。……そんなの、昔から好きでネットに入り浸っていた人が見て、感極まらないわけがないじゃないか。

万人のための「語り部」となったミクさんは、誕生から4年を経て、ついにはインターネット世界を包みこむように歌声を紡ぎはじめた。ある種の到達点に達したような感覚すらあり、ボーカロイドムーブメントは、ここでひとつの隆盛を極めたと言えるだろう。

以降、国際SNS上でよく見かける様になったのはPixivやDevianARTといった画像投稿サイトのムーブメントと連動していた「恋は戦争」「ローリンガール」「想像フォレスト」辺りでした。国際SNS上の関心空間に滞留する女子アカウントが全てを白馬の王子様に期待するのを止め、次第にその関心を「自らが内在する破壊性」に移行させていった時期。実は国際的には「カゲロウ・プロジェクト」への言及はそういう形で始まったのです。
*「Force be with you」なる信念も「Trick or Treat」なる呪言も「マナ(魔力)の源泉」を必要とするが、要するに初音ミクがそうした全ての諸概念の象徴として台頭してくる事によって統合されたのである。


*下手にアニメ化して世界観全体の浅薄さが世界中に知れ渡って凋落した「カゲロウ・プロジェクト」。全ては個人的には以下が心象風景として重なります。彼女達に上から目線で「助けてあげる」とつぶやきながら接近する輩全てをすべからく待ち構えている運命がこれとも?

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そういえばガンダムの世界に「俺がガンダムだ」なる名言(迷言?)が存在します。 

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ある意味彼女達もまた「私が初音ミク(あるいはマリー(小桜茉莉))だ」と宣言する過程を経て「白馬の王子様」を猫またぎする次段階へと足を踏み入れていったとも。

2014年以降、ボーカロイド界隈ではしばしば「衰退論」が語られるようになった。

とはいえ、隆盛を極めたコンテンツに対して、しばらくすると「オワコン」の声が挙がるのは、何もボカロに限った話でもないように思う。

“衰退” と言うよりは、(文化の)定着、(伸び代の)鈍化。広い意味で “一般化” したために、新鮮味を感じられなくなったのではないかと。

エントロピー増大に伴う実存不安の高まり」を唄うハチ/米津玄師の歌詞世界が国際的に注目される様になっていったのもこうしたプロセスの一環とも。

 

そして満を期して十周年記念の「砂の惑星」が登場…

──でも、ハチさんには単なる皮肉でなく、未来につなぐという意志もあったんだと思うんですが。どうでしょう?

ハチ そうですね。未来につないでくださいって。俺はもう知らないです。

──「後は誰かが勝手にどうぞ」って言ってますもんね、歌詞では。

ハチ 「それをやるのは俺じゃないでしょう」っていう。「砂の惑星」が1つの起爆剤になってほしいとは思いますけれど、根本的に「俺が全部ひっくり返してやるぜ」なんてふうにはまったく思ってなくて。むしろ、どんどん新しい人たちが出てきてほしい。これがきっかけで砂漠にまた1つ木が生えてくれたらいいなって感じですね。その木の周りで新たに誰かが土を耕して、稲とか植え出して、それが実っていけばいいんじゃないかという。

彼女達」はこの問題についてはどうやら「束の間の再会を喜びつつ、その後も独自の道を歩み続ける」道を選んだ様です。まぁ今年は「Logan」や「Wonder Woman」の公開年でもあった訳ですし、選択肢は確実に増え続けてますからね…

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まぁこれこそが「2010年代後半におけるリアルな景色」?

さて、私達はどちらに向けて漂流してるんでしょうか?