諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ユリノミクス】【尿検査】日本のインターネット時代はまだ始まってすらなかった?

希望の党が、またもやとんでもない事をやらかしてしまったみたいです。

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 要するに「尿検査」…まぁ、どうせ今回も「選挙期間限定の国内向けプロパガンダ」に過ぎなくて、選挙戦が終わったらすぐ忘れ去るだけだから細けぇ事はいいんだよ?


「花粉症ゼロ」ネタは大喜利合戦にまで発展。

その一方で困った事に「もう希望の党は勝った」なる勝利宣言が続出。鍵は「ネットでいくら騒いでも、そんなもの一切見ない60歳以上の支持さえ集めたら黙殺可能」なる思考様式だという。
*当然老人が理想視するのは「老人ファースト」の世界…

*実は既に欧州では顕在化していた流れ。「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに従って、若者層と老人層が互いを完全隷属させようと手段を選ばず闘争を続ける新しいタイプの階層社会の到来…

それにしても「日本の若者層」は、どうしてこんなにも数を減らして「絶滅直前のマイノリティ中のマイノリティ」へと転落してしまったのでしょうか? 例えば「バブル経済破綻」を主要因に挙げる向きも。

アメリカにおいては老人層もインターネット社会に参加した結果、Facebook上の情弱層が「(絶えず冗談を口にして自らを鼓舞し続けているが、その実何も信じていない孤高のニヒリストたる)オルタナ右翼」や「現在の米国を滅ぼす事しか考えてないオルタナ左翼」などに振り回され続ける時代を迎えました。

*アメリカのリベラリズムは「シカゴFacwbook拷問Live事件」直後に、開き直った(隙あらばデモの暴動化を煽り近隣商店街の略奪に走るストリートギャング同然の)黒人急進派の残り滓から「我々マイノリティはあくまでか弱い。だから本当に人類の平等を信じているなら、自ら喜んで襲いやすい心身障害者や女子供から差し出せ」と主張され「それも一理ある」と応じてしまった時点で死んだ。最近流行の「結局、アメリカのリベラリズムは何一つ守れなかった(守らなかった)」なる言い回しは、まさにこの状況の産物。

*どうやら国際的に急進派なるもの「マイノリティ中のマイノリティ」として出発し「マイノリティは手段を選ばず報復に打って出て良い」なる人道主義的見地に基づいて権威主義的に「マイノリティ中のマジョリティ」さらには「真の意味におけるマジョリティ」を目指すものらしい。しかもこうして生まれたタイプのマジョリティは反対意見を数の暴力で押し潰しつつ「我々こそが真の意味でのマイノリティ。無条件に守られるべき一方的弱者」と主張し続ける。寄生主の雛を全て殺し、自分の雛の面倒だけを見させるカッコーの托卵行為そのもの?

一方、日本は老人層がインターネット外に留まり続けているせいで、上掲の様な展開を迎えた訳です。実は日本のインターネット時代はまだ始まってすらなかった? それにつけても留まる地獄、進むも地獄の悪夢の景色…ちなみに中国はさらにひどい状況を迎えつつある。

 どうやら2040年代の世界はシンギュラリティ問題どころではなくなってる模様? いやむしろ「シンギュラリティ」概念の原点に戻っている?