そういえばネット上でこんなやりとりを見掛けました。
「専門外だからこそ思いつく柔軟な発想もある」は真だけど、特定の一人の素人の思いつきがその柔軟な発想である可能性は限りなくゼロに近い。膨大な「素人の思いつき」を集めたらその中に玉があるかもしれないということ。そして石か玉かを見分けるのは専門家にしかできない。https://t.co/E9NTN7PWzE https://t.co/pJrl5WRMDf
— Shiro Kawai (@anohana) 2017年12月29日
なので素人の意見に全く耳を貸さないのは玉を拾いそこねるおそれがあるけど、一方で「ある素人の意見」を聞かない(一目見てダメなので却下)という態度は普通にあり得る。「素人の柔軟な発想」を素人側が持ち出す危険はそこにある。
— Shiro Kawai (@anohana) 2017年12月29日
この意見についてのコメント…
@tako_ashi @phasetr
— rokube(龍ノ口のロクベー) (@rokube_fujisaw1) 2017年12月30日
素人には無責任で、くだらない不規則発言が多いのも事実。が、その中から「珠」を見つけるのが、専門家、政治家、役人の仕事。
「どうせ分からない」で自分勝手している輩が少なくないのが問題。政治家は辞めさせられても、役人は辞めさせられないのが悲しい。これも素人の感想。
私はユーザあるいは観客という非専門家に対する仕事をしてますんで、総体としての非専門家の反応は参考にしています。珠を探すというより、ああそういうふうに見えるんだ、という鏡としての重要性ですね。私のQTの要点は、そういう総体としての重要性と個別の素人意見を尊重することは別ということです
— Shiro Kawai (@anohana) 2017年12月30日
また少しずれた話になるのを承知の上で書くと、珠なんて専門家だろうが素人だろうが、とにかく死力を尽くして一所懸命考えて行動してそれでもなお出ないのがデフォルトであって、専門家だからこそくだらないゴミを大量に作っては捨てている、と思っています
— 相転移P (@phasetr) 2017年12月30日
玉石のたとえはちょっとまずくて、むしろアイディアって種みたいなもので、育ててみないとわからないし育て方も重要で、育てるところは専門家にしかできない。なので「素人の考えにも珠が」というのはせいぜい結果から見て当たってたねと言えるに過ぎないと思います。(続
— Shiro Kawai (@anohana) 2017年12月30日
それより重要なのは「素人のように考え玄人のように実行する」の前段を実現するために、探索空間を意識的に広げるネタとして分野外からのバックグラウンドノイズに耳を傾けることが役に立つ場合もあるんじゃないかなあと。
— Shiro Kawai (@anohana) 2017年12月30日
実は「プロなんて客を騙す事しか考えてない」「実は客の事ちっとも勉強してない」みたいな不審感の高まりをこそが「反知性主義(Anti-intellectualism)」の原義で、歴史上最初にこれを向けられたのが、欧州においては王侯貴族や聖職者といった不労所得階層でした。早期の例としてはサン=シモンの産業者同盟(les indutriels)が知られます。また同時期のアメリカには(家父長制や奴隷制を守り抜く為に連邦政府の介入に抵抗する)ジェファーソン流民主主義の広まりがあり、これが南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)の遠因の一つとなります。
一方、こうした議論はジョンス・チュワート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」の中で述べた「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、これを妨げる権力が正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定される」なる古典的自由主義の定義とも深く関わってきます。実はこういう考え方はコンドルセ侯爵の多数決原理を補完する形で発達してきたので、冒頭の意見はそれを正しく継承した考え方ともいえる訳です。
それにしても「反知性主義」ブームが去って、この種の議論も随分と冷静に進められる様になりました。
最近は「忖度」が盛り上がってますが、この用語もやがて忘れ去られ、本来のニュアンスを取り戻すのでしょうか?