諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「右翼と左翼」定義を巡る誤謬② ドイツ起源の「進歩派と保守派」概念

f:id:ochimusha01:20180114194504j:plain

下のパネルが実はこうだった事が今回の出発点だった訳ですが…

f:id:ochimusha01:20180114173759p:plain

そもそもここでいう「保守派」概念の起源に遡る必要がありそうです。ただしその世界観においては「保守派」の対概念はあくまで「進歩派」であって「革新派」ではないんですね。そして保守主義はかかる進歩主義への反動として成立する事になったのです。

http://www.lifemadefull.com/wp-content/uploads/2014/08/Rosemary-Chateubriand-Steak.jpg

カール・マンハイム(Karl Mannheim、1893年〜1947年)「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」はまず「進歩派」について「政治面や経済面といった不平等が実践的に解消可能な分野における平等の達成に専念する人々」と規定します。とどのつまり「全体像の俯瞰」をとりあえず一旦は放棄して「内的には無矛盾の評価軸」完成を目指す実証科学的アプローチ。

  • ここでいう進歩派の定義はコンドルセ侯爵の多数決原理、およびそれを達成する為にジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」の中で述べた「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」なる提言と重なる。要するに古典的自由主義の立場。

    近代社会は、生まれではなく功績によってその人の評価が決まるという原則に基づいている。この原則を実質化するためには、法律によって外的に規制するだけでなく、家庭で子供に男女の同権感覚を育ませる必要がある。これは彼が大人になったのち、他者を一個の人格として承認するために必要な素養だ。

    だから、実際に男女で真の権利的平等が実現するには相当の時間がかかるが、そうしたプロセスによってこそ、近代社会の正当性である「自由」は空文化せず、実質的なものとなるのだ。 

  • ところが英国においては女性や労働者に対する参政権拡大が保守派の得票率ばかり伸ばす結果となったので自由党労働党といった革新政党がこれに反対。現実の世界では「革新性」と「革新政党」が必ずしも重ならない先例を残した。

  • 大日本帝国においても参政権拡大は「我田引鉄」政策によって在郷有力者を陥落させていく「保守派政党立憲政友会に有利に働いた。その一方で当時の右翼(軍国主義者)も左翼(社会主義者)もその全体主義的指向性に大差はなく、第一次世界大戦特需以降日本にも根付き始めた自由主義の流れについては共闘してこれを叩いている。そもそも日本においては「右翼(軍国主義者)」からも「左翼(社会主義者」からも「革新性」は「共通の敵=危険思想」と目されていたという次第。

    与謝野晶子 母性偏重を排す(1916年)

    私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。

    一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。

    このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。

    与謝野晶子 激動の中を行く(1919年)

    巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。

    しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。

    雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。

    私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。

    *こういうのが多様性と多態性を重視する本物の自由主義なのだが、当時の日本においては右翼(軍国主義者)にとっても左翼(社会主義者)にとっても、そうした考え方は新し過ぎて到底ついていけなかったのである。 

これに対してあくまで「全体像を俯瞰する」立場を放棄せずロマン主義、すなわち「(神の用意した予定調和に背を向け、悲壮な最後を迎える事も辞さず)自らを内側から突き上げる衝動にのみ忠実に従って善悪の彼岸を超克しようとする」立場から既存の価値観の再構成を試みようとする立場がマンハイムいうところの「保守主義」となるのです。それは当然、当初は「果たして本当に伝統的諸業を背負った王侯貴族や伝統的宗教論争を背負った聖職者の生涯が、何も考えてない庶民の生涯と等価に扱われるのが正しいのか?」なる貴族主義の体裁を纏う形で登場して来たのですが、やがて(「適者適存理論」や「性淘汰」理論ではなく「弱肉強食論」や「終戦争論」に立脚する)間違った進化論の流行を背景に民族主義の大源流となっていきます。

  • 実際の歴史展開に沿うならば「王侯貴族や聖職者といったランツィエ(rentier、不労所得階層)でなく、実際に生産活動に携わる産業者同盟(les indutriels)こそが国家経営の実権を掌握すべき」と提言したサン=シモン主義と提言したサン=シモン主義こそがその筆頭に挙げられるべきであろう。彼はこの対立図式を「ランツィエ=ノルマン諸侯の末裔」に対する「産業者同盟=ゴール人の末裔」の叛逆とも言い換えており、それがゲルツィンによってロシアに紹介され「ピョートル大帝がロシアに持ち込んだ外国宮廷文化」に歴史的に弾圧されてきたスラブ文化なるロシア民族主義の文脈へと翻案される展開を産む。

  • ここで鬼子となったのが「民族文化は他の民族文化と交雑しない限り発展し得ない」「ところが民族文化の交雑は、その民族から純度を奪い続け、最後には空っぽにしてしまう」「どちらの道を選んでも最後に待つのは破滅のみ」と考えたゴビノー伯爵の悲観的民族論。この系譜は脈々と「フランス人はフランス人であり続ける事を、ドイツ人はドイツ人であり続ける事を決してやめてはいけいない」式のレヴィ・ストロースのメタ・レイシズム論にまで継承されていく。

こうして全体像を俯瞰してみると、話をややこしくしたのは以下の2要素。

  • 産業革命進行によって大量生産・大量消費スタイルが不可避となって以降、王侯貴族や聖職者といった伝統的インテリ=ブルジョワ階層に代わって消費活動の主役に躍り出た(資本家や工場経営者やホワイトカラー層(事務職や中間管理職や技術者)やブルーカラー層(肉体労働者やサービス産業従事者)といった)新興産業階層の「バッドエンドを何としても回避したがる心境」。
    *まぁそりゃ(芸術家の様に自らの内面的真実に殉じて悲壮な覚悟を遂げる意識なく)自分を重ねちゃってますからね。シャーロック・ホームズもルパンもジェームズ・ボンドも何度死んでも生き返って幸せになる事を要求され続けるという次第。

    *特に女性の生産側・消費側への参画が大きく時代を動かした側面も?

  • 科学的マルクス主義崩壊後の左翼陣営の「差別反対運動」への傾斜。
    *かくして「白人や日本人が滅ぼし尽くされてこそ民族平等の理念が実現する」「男性が滅ぼし尽くされてこそ男女平等の理念が実現する」なる急進思想が「真の人道主義を代表する革新性」と名乗る時代が到来。

この2要素が合体すると「第一次世界大戦敗北によってドイツ帝国が崩壊し、オーストリアハンガリー二重帝国も解体されて世界中で迫害される様になったマイノリティ代表格たる)ドイツ民族が逆転して最終勝者となるのが正しい人道的正義」と主張して熱狂的支持を勝ち取ったナチズムこそが「革新主義」の本命となってしまうんですね。近年話題となっている「リベラルのナチス」とはまさにこれ。
*より正確には、第一次大戦後の煮詰まった政局下のドイツでは最終的にナチスが勝利しようが共産党が勝利しようが、以降の暴走は避けられなかったと考えるべきであろう。要するに議論が「欧州人が滅ぼされるのと中東移民が滅ぼされるのとどちらが人道的正義の実現か?」「日本人が滅ぼされるのと中国人や韓国人や北朝鮮人が滅ぼされるのとどちらが人道的正義の実現か?」という方向で沸騰する様になった時点でもはやチエックメイトなのである。

ところでこれまでの議論では「(科学実証主義の実践者という側面以外の)リベラルとは何か?」について全く触れる事が出来ませんでした。次回以降はこの部分の歴史について触れていきたいと思います。