諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【文化相対主義の罠】【温情主義】【退行的左翼】近代以降の「インテリ=ブルジョワ階層」の迷走について。

ユダヤ人だったジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856年〜1939年)が一時期アドルフ・ヒトラーAdolf Hitler, 1889年〜1945年)の公然たる反対者ではなかったエピソードを紹介すると意外に感じる人が多い様です。

f:id:ochimusha01:20180315100105j:plain
アメリカの極秘文書が伝えるヒトラーの意外な素顔

1933年にナチスによって自身の本を焚書された時も「なんという進歩か。中世なら私自身が焼かれるところだった。この時代の連中は本を焼くだけで満足してれくる」と冗談を飛ばしている。

フロイトがウィンを去るときに、ゲシュタポは、この文章にサインするようにといって書類を持ってきた。

「私、フロイト教授は、ドイツ国によるオーストリアの合併後、ドイツ当局者により、とくに、ゲシュタポにより、私の科学的名声を尊重して好遇を受けたこと、完全に自由に生活し仕事をなし得たこと、私の望んだすべての活動をあらゆる点で遂行し得たこと、これらに関して十分な援助を受け、何ら不満をもつ理由なきことをここに確信いたします。」

フロイトは、このナンセンスな文章に、平気でサインしたが、サインしながらこう言った。「どなた様にも、ゲシュタポを、心から、おすすめいたします。」これは、お手伝いさんを推薦するとき用いる言葉なのである。

何この余裕? 元来「ユダヤ人嫌い」はハプスブルグ帝国臣民気質の伝統的一部であり続けてきましたが、それまではそれほど実害を伴ってこなかったのです。そうした経験がかえってナチス・ドイツホロコースト政策への傾倒を加速させてしまった事実は揺らぎません。
*伝統的ユダヤ人嫌い…東欧のユダヤ人は伝統的に宮廷融資家とか管財人とか徴税吏といった「貧民が放棄すると富裕層の権威を守る為にスケープゴートとして差し出される階層」を形成してきた。ロシアにおけるポグロムユダヤ人大虐殺)も、大英帝国が植民地支配の為の人材を異教徒たるイスラム教徒に求め、現地人のルサンチマンの向け先として利用してきた結果起こった「ロヒンギャ問題」も同根。迫害する側は常に自らが犠牲者だった歴史的経緯を強調して滅ぼされる相手側の悲劇性への感情移入を一切拒絶し(それでも感情移入をやめない裏切者は同類として一族郎党ごと処刑)「人類平等の理念や人道主義の達成を実現する過程では、滅ぼし尽くさねばならない階層も存在する」と言い訳する。

*日本においても江戸幕藩体制下において「大名と癒着して甘い汁を啜ってきた御用商人」は株仲間によって容赦無く滅ぼされ、かつ「大名貸しによって威信を高めた札差階層」も明治維新後の「藩債処分(1871年)」において容赦無く切り捨てられている。要するにこの件、民族問題や階級闘争に発展させる事なく、あくまで事務的に「時代遅れの旧世代撤廃」を進めるのが正解とも。

*そういえば日本が近代国家へと再編されていく過程においては、幕藩体制下において戸籍把握業務を委託されて甘い汁を吸い尽くしてきた仏教教団に対するルサンチマン廃仏毀釈運動という形で解放されている。

*フランスにおいても産業革命導入時に「王侯貴族や聖職者の権威を担保に取れなければ貸さない」(フランス・ロスチャイルド家の様な)宮廷ユダヤ人が頼りにならない為、海外のポルトガルユダヤ人投資家や(「カソリック宗主国」フランスより追放されて久しい)ユグノー投資家が誘致され、彼らとの対抗上フランス・ロスチャイルド家も(鉄道事業の投資合戦に加わる様な)産業融資家への転身を余儀なくされる一幕があった。その過程ではフランスで盛り上がった投資熱を東欧に向けさせた結果、ハプスブルグ帝国におけるバブル崩壊の巻き添えとなり、しかも損切りを投資家に押し付けた結果ユダヤ人憎悪を強めるヘマもやらかしている。これはリーマン・ショック時における野村証券の一般投資家冷遇問題に通じる側面も。

大不況 (1873年-1896年) - Wikipedia

  • 背景にあったのは偽善に満ちた旧ハプスブルグ帝国のインテリ=ブルジョワ階層の一員としてのユダヤ系知識人の自己嫌悪、およびそれを中々直視出来ない当事者心理における「正義の遂行を願う主体(良いユダヤ人)」と「罰されるべき客体(悪いユダヤ人)」の精神分裂状態。

  • (時代の変化に取り残され、無一文状態で欧州から逃げ出した)負け組ユダヤ」も「ナチス迫害を受ける立場になって初めて重い腰を上げて欧州からの亡命を決意した)勝ち組ユダヤ」も大挙して押し寄せたアメリカにおけるユダヤ人問題はさらに複雑怪奇。例えば有名なComic Code問題においても矢面に立ったのは「(GEのパテント徴収を嫌って西海岸に逃げてサイレント映画黄金期を顕現させたハリウッド映画人や、ユダヤ人スーパーマンキャプテン・アメリカを創造した漫画家といった)叩き上げの貧困層出身の東欧系ユダヤ」と「(彼らのユダヤ教的倫理観に欠ける振る舞いに号を煮やした)インテリ=ブルジョワ階層出身のオーストリアユダヤ」の価値観対立という側面が強かったし、今日なお「イスラエル国旗を率先して振るのも、そうした振る舞いに嫌悪感を覚えてイスラエル国旗を真っ先に焼くのもユダヤ」という困った状況が続く。

    http://amenmama.tumblr.com/post/92601427965/ユダヤ人がイスラエル国旗を燃やす

    amenmama.tumblr.com

    ハンガリー系ユダヤ人 | つくばに住んでるベンチャー社長のブログ

    以前勤めていたインテルの創業者にして、20世紀の偉大なる経営者の一人、アンディ・グローブが、ハンガリーユダヤ人であることは勿論知っていた。

    1992年 「イングランド銀行を叩き潰した男」と呼ばれ、1997年 「アジア通貨危機を引き起こした男」と呼ばれた、最強の投機家 ジョージ・ソロスハンガリーユダヤ人であることを後ほど知った。

    数学、物理学、経済学、論理学、コンピュータ、その他数多くの領域でものすごい偉業を成し遂げた、フォン・ノイマンハンガリーユダヤ人であることを知った。

    興味を持ったので調べてみると、ハリウッド映画産業を興したのものハンガリーユダヤ人らしい。 「20世紀フォックス」を創立した、ウィリアム・フォックス。 「パラマウント」を創立した、アドルフ・ズーカー。 「ユニバーサル映画」を創立した、カール・レムリ。 (ついでに、「ワーナー・ブラザーズ」を創立した、ベンジャミン・ワーナーは、ポーランドユダヤ人だ)

    リベラル21 ハンガリー社会とユダヤ人

    ハンガリーの近代史は1867年のオーストリアハンガリー二重帝国の発足に始まるが、それは同時に東欧に点在して居住するユダヤ人に大きな可能性を開いた。ハンガリーは新たな独立国家形成のために、積極的にユダヤ人実業家への優遇策をとった。優秀なユダヤ人がハンガリー流入し、その後のハンガリー社会の発展に大きな役割を果たした。それはまた、中・東欧各地で虐げられた存在のユダヤ人の社会的地位の向上に大きく貢献することになった。こうして、マジャール人ユダヤ人はそれぞれの目的を調和的に実現できる国として、ハンガリーにおける近代の独立国家の樹立をめざしてともに歩みを始めた。

  • その一方で「ハプスブルグ帝国の突然消滅」によってアイデンティティ危機を迎えた旧臣民(特にインテリ=ブルジョワ階層)の一部は、分析哲学(Analytic philosophy)やウィーン学団(Wiener Kreis; Vienna Circle)の主導する論理実証主義(logical positivism)に立脚する「文化相対主義(Cultural relativism)=思想的ニヒリズム」に没頭。こうした立場はしばしば「産湯と一緒に赤子も流す暴挙」と批判されてきた。
    *「文化相対主義(Cultural relativism)」…サピア=ウォーフの言語相対主義もしばしば同系列に置かれる。要するに「この地上に絶対的正義など存在し得ない」という立場なのである。

    文化相対主義:Cultural relativism

    文化相対主義の定義は、本質的に矛盾をはらんだものであるこということを正直に述べ ておかねばならない。20世紀の後半になって、文化相対主義への批判やバッシング、はては理論としての無効性まで主張するものが現れた――それらの多くは 文化相対主義の論理的矛盾や限界をあらかじめ先取りしておいて批判をするという不当なものである――が、これは産湯と一緒に赤子を流すといった類の暴挙で あるからだ。

    f:id:ochimusha01:20180315120040j:plain
    したがって文化相対主義を思想信条として採用する際に、正しい側面と誤った側面があることを理 解しなければならない。ギアツ(1926-2006)は次のように言う。

    f:id:ochimusha01:20180315115926j:plain

    • 「文化の(あるいは歴史の、と言ってもよいが)相対主義の正しさは、われわれがけっして他の 民族や他の時代の想像力をあたかもわれわれ自身のものであるかのようにきちんと理解することはできないとするところにある。他方その誤りは、それゆえにわ れわれはけっして真にそれを理解することなどできないとすることにある。われわれは他の民族や他の時代の想像力を十分に、少なくともわれわれ自身のもので はない他のすべてのことを理解するのと同じくらいには理解することができるのだ。ただし、われわれとそれとの間に介在するおせっかいな解説の背後からみる のではなく、それをとおして見ることによってそれは可能になる」(ギアツ 1991:78)『ローカルノレッジ』

      f:id:ochimusha01:20180315120202j:plain

    上掲の<ただし、われわれとそれとの間に介在するおせっかいな解説の背後からみるのではなく、それをとおして見ることによってそれは可能になる>という表現を通して、ギアツは何を言いたいのだろうか? 文化相対主義が「人間の心性 human nature 」という人間のもっともしぶとい正当化の呪文に対して、いまだに有効性をたもち続けることに関する有益な議論は、ギアツ[2002](Geertz 1984)を参考にして、どうか考えてください。

    ボアズは直接、文化相対主義という用語を使ったことがないが、彼の死後、ボアズの弟子(学生)た ちにより使われ、その初出は1948年の『アメリカン・アンソロポロジスト』(ジュリアン・スチュアード「人権の表明へのコメント」)だと言われているが、私は未確認である。

    f:id:ochimusha01:20180315121025p:plain

    ルース・ベネディクト(1887年〜1948年)は、すでに1934年に、人びとが共有する「文化」概念がいかに異なり対比 的になるのか、ということを通して、ある社会の具体的な価値観を、別の社会の価値観でみることができないことを次のように示します。

    f:id:ochimusha01:20180315121205j:plain

    • 「北西海岸がその文化の中で制度化するために選び出した人間行動の局面は、われわれの文明においては異常とみなされている局面である。しかしながら、それはわれわれが理解できるほどわれわれ自身の文化のもつ態度にたいへん近いものであり、その上にわれわれはそれについて議論できうる明確な言葉をもっている。われれわれの社会においては、誇大妄想的偏執狂的傾向はとても危険なものである。その傾向はわれわれのとりうる態度の中から、ひとつの選択を行わしめるものである。ひとつは、その傾向を異常で非難されるべきものという烙印を押すことであり、これはわれわれが自らの文明の中で選択した態度で ある。もうひとつの態度は、その傾向を理想的人間像の根本的特質とすることである。この態度が北西海岸地方の文化のとっている解決法である」(ベネディク ト 2008[1934]:301)※字句は一部変えました。

      f:id:ochimusha01:20180315121353j:plain

    他方、ベネディクトは、文化の相対性というものが、皆が共有する価値をずらすことによって、当該 の文化の中においても共有可能なものになることを『文化の型(文化の諸パターン)』で主張する。『文化の型』の最後の文章は次のようにしめくくられる。

    • "The recognition of cultural relativity carries with it its own values, which need not be those of the absolutist philosophies. It challenges customary opinions and causes those who pave been bred to them acute discomfort. It rouses pessimism because it throws old formulas into confusion, not because it contains anything intrinsically difficult. As soon as the new opinion is embraced as customary belief, it will be another trusted bulwark of the good life. We shall arrive then at a more realistic social faith, accepting as grounds of hope and as new bases for tolerance the coexisting and equally valid patterns of life which mankind has created for itself from the raw materials of existence"(Benedict 2005[1934]:278).
      文化の相対性を認めることは、それ自体に価値をもつということであり、絶対主義的な哲学の価値というものを必ずしも必要としない。それは、これまで人がお こなってきた慣習的な選択肢への挑戦と受け取られ、それによりこれまで育った人たちには性急な不快感をもたらすだろう。人が悲観的になるのは、それが古い やり方を混乱に陥れるからであり、なにがなんでも難しいことがそこに含まれるからではない。新しい選択肢が慣習的な信条として受け入れられるならば、それ はまた、すぐにでも別のよき生活の支え(bulwark)になるだろう。つまり、これまで共存してきたそして同時に価値あるものとしてきた、人類が生存 [のため]の生の素材から創造してきた生きた生活のパターンを、希望の地平として[そして]寛容の新しい基盤として受け入れることにより、私たちはより現 実的な社会的信念をもつようになるのだ。

    さて、文化相対主義という発想の基本 的前提は、世界にさまざまな文化(複数の文化=cultures)があり、それらの間 に優劣のつけるということを留保しようという[倫理的]態度である。また、文化間の間の相対性のみならず、同一文化のなかにも多様性を認めて、また文化は 変化し、つねに固定化しているようにみえて、大きなうねりのように変化しているという考え方がある。このような考え方は、基本的に、西洋「文化」や西洋 「文明」の中心にいる、経済搾取や政治的抑圧の心配のない人たちからは大いに指示されてきた――あるいはそのように自分を西洋人に同化する現代日本の比較 的経済的にめぐまれた人たち=近代人からの支持のひとつの形態である。

    f:id:ochimusha01:20180315121929j:plain
    しかし、自分たちの文化が、力のつよ い(=ヘゲモニックな)他者から、劣っていると見なされたり、自分たちのマイナーな文化を捨てて西洋の文化に同化せよと言われてきた地域や社会の人たちには、自分たちの文化に対して、より複雑な態度をもつことが(皆さん自身の思考実験においてすら)容易に推測できる。そのような人たちにとって、文化の多元 性や、文化間に優劣をつけてはならない、ということは、これまでの歴史的な(=コロニアルな時代における)自文化や自己の属する集団(社会)に長い間否定的評価がされてきた人たちには、都合のよい「支配者からの甘い懐柔のための言葉」に過ぎないという批判も、当然のことながら出てくる。これをポストコロニアル批判という。

    f:id:ochimusha01:20180315120729j:plain

    ポストコロニアル批評家のガヤトリ・ スピバック(ないしはスピヴァック:Gayatri Chakravorty Spivak, 1942- )は、その代表格であろう。彼女は言う「多元論とは、中心的権威が反対意見を受け入れる かのよう に見せかけて実は骨抜きにするために用いる方法論のことである」と。

    f:id:ochimusha01:20180315121745j:plain

    • 「たとえばひとはそうですね、フランスで産み出されている理論的な事柄の一部は、アフリカや、インドや、こうしたいわゆる自然な場所からきた人々には、自然に手に入ると言われています。もし ひとが啓蒙主義以後の理論の歴史を吟味してみれば、これまでの主要な問題は自伝の問題であったのです。つまり主体的構造が事実、客観的真実を与えることができるのです。こうした同じ世紀の間、こうした他の場所に見いだされた「土着の情報提供者」の書いたものは、疑いもなく民族誌学、比較言語学、比較宗教学 など、いわゆる諸科学の創始のための客観的証拠として扱われました。だから再び、理論的問題は知識のある人にのみ関連してきます。知識のある人は自我にまつわるすべての問題を持っています。世間に知られている人は、どういうわけか問題性のある自我をもっていないように思われます」(スピヴァック, 1992:119-120)『ポスト植民地主義の思想』彩流社
      f:id:ochimusha01:20180315122443j:plain

    これは、文化相対主義ならびに多文化共生社会(=日本語独特の用語)あるいは多文化主義に対する鋭い批判的論拠になっている。

    *ただ 「言語的相対論(Theory of linguistic relativity)=サピア=ウォーフ仮説」については「アルゴリズムの最適化表現たるコンピューター言語についてはどうか?」なる別次元の問題も浮上してくる。ハイパーテキスト、コールバック制御による非同期処理、そして名前空間の設計とそれに従ったカプセル化による「可視範囲の最適化」なる概念…

こうした「文化相対論」と「反差別主義」の合わせ技はしばしば文明国側の価値観に壊滅的打撃を与えてきました。

“差別問題”というのはキリがありません。差別に反対し、実際に反差別運動に熱心に関わり、自らの無自覚な差別性をも克服する努力をどこまで続けても終わりがないんです。

(中国を侵略した日本人は未来永劫、道義的に許されないとする)華青闘告発を普通の意味で受け入れて反省してしまうと、「反日武装戦線」に志願するか、中途半端なところで妥協してPC左翼になるしかないんです。

例えば古代中国史でいうと春秋時代後期、中間諸国が楚呉越といった南方諸国の影響力増大に曝された押し捲られた「孫子兵法の時代」の出来事。
*「中国を侵略した日本人は未来永劫、道義的に許されない」…実際問題として、中華王朝の領域に侵攻して今日なお(中華民族に併呑される事なく)存続しているのはモンゴル民族や日本民族くらいだったりする。

f:id:ochimusha01:20180316062451j:plainf:id:ochimusha01:20180316094215j:plain

  • 楚呉越といった南方諸国の優越は(青銅製武器しか有しない中原諸国に対して)辺境中継貿易を介して鉄製武器を使う様になっていた事、そして(麦食の中間諸国に対して米食で)豊かな食糧事情を背景に人口上の圧倒的優位を誇っていた事だった。
    *逆に最大の弱点は無数の部族に分断され、中央集権化の達成が自力では困難だった事。この問題が中原諸国より亡命してきた王侯貴族や士大夫の懸命な努力によって克服され、塩の輸出によって経済基盤も整い、河川流域を兵站線として利用する大規模歩兵の運用技術も確立した事が中原方面に向けての大幅な領土蚕食へとつながったのだった。

    f:id:ochimusha01:20180316090734j:plain

  • ところで楚呉越といった南方諸国には刺青や人身御供といった呪術的悪癖が存在し、中原諸国から蛮族として蔑まれる理由となっていた。ところが力関係が逆転すると占領地でそれが強要される事の正当化、および占領された訳でもないのに勝手に忖度してそれを模倣する「倒錯した在地有力者」が横溢する。
    *「占領された訳でもないのに勝手に忖度してそれを模倣する倒錯した在地有力者」…兵站を河川添いに往来する船舶に頼る大規模歩兵隊に依存する南方諸国は、戦車隊を主力とする中原諸国の中枢部までは攻め込む事が出来なかった。春秋経によればそれでもこうした輩は現れ、その都度討伐されている。

    f:id:ochimusha01:20180316091641j:plain

  • 戦国時代に入ると南方諸国は人口の比較的希薄な広大な国土に王族や宗族が散らばる支配構造が地方分権化を加速させて国威が振るわなくなった。その一方で中原諸国においては(魏・趙・韓に分裂した)晋(現在の山西省一帯)を震源地として中央集権化が加速。最終的には文化的にも中原文化の浸透が南方文化を滅ぼす展開となった。かくて刺青や人身供儀は再び「蛮族の悪習」と蔑まれる様になっていく。
    *「最終的には文化的にも中原文化の浸透が南方文化を滅ぼした」…この展開のせいで楚呉越の元来の呪術性の強い伝統文化はほとんど後世に伝えられなかった。

    f:id:ochimusha01:20180316094442j:plainf:id:ochimusha01:20180316094456j:plain

こういう観点から「反差別主義の暴走」に関する過去投稿を整理してみましょう。

①そもそも韓国における反日反米運動の背景には「日韓併合大日本帝国に祖国を売り渡す事によって革命勃発による処刑 / 没落を免れたばかりか、対価として得た年金で生活水準を落とす事なく悠々自適の生活を続け、かつ太平洋戦争激化に伴う徴用もコネで免れてきた中央両班階層が、GHQ占領時代もその影響力の大きさで生き延びて以降広めた自己弁護の為の方便」なる救い様のない側面が存在する。
*しかもこの問題「国民総両班末裔幻想」とか「韓国の保守派は悪は常に外国からもたらされると考えたがる」といった諸要因が複雑に絡まってくるからややこしい。

  • あえて女子徴用と慰安婦徴募を混同してきた理由の一つに(その多くが親のコネで徴用を免れた)梨花大学を卒業したフェミニスト達が、実際に徴用されて工場労働などで辛酸を舐めた当時の貧困層からの弾劾を逸らすというのがあった。
    *この問題は特に軍人大統領時代に外貨獲得手段としてフル稼働した妓生制度の撤廃を呼び掛ける運動の障害となり、それを克服する為に「国家や軍人に強制的に徴募され強姦され続ける一方的被害者としても女性」なる普遍的イメージ(さらには「春香伝」や「沈清伝」といった朝鮮半島における「虐げられる事によって輝いてきた伝統的貞女のイメージ」に由来する)になったのだという。

    f:id:ochimusha01:20180315071742j:plain
    *「虐げられる事によって輝いてきた伝統的貞女のイメージ」…その源泉は中国より伝来した「貞女・烈女伝」に由来。日本にも伝来した結果「赤穂浪士の討ち入り」外伝として発表された「おかる寛平」の悲恋においてヒロインは身売りによって軍資金を用立て、「四谷怪談」においては出世が結婚によって決まり、邪魔な旧妻が毒殺されていく。その一方、韓国において「従軍慰安婦の悲劇」が市民権を得た時代には「舅の壮絶な虐めに耐え抜いて自らの存在意義を証明する嫁の美談」が流行していたが(日本で一時的に残酷で無慈悲な強姦を主題とするレディーズ・コミックが流行したのを連想させる)、やがて近代的フェミニズムが盛り込まれた「男女平等を尊ぶ」和製コンテンツが上陸し「封建時代の時代遅れの価値観」として顧みられなくなった。従軍慰安婦問題において「国家や軍亭の一方的強制による犯罪」という部分が次第に強調される様になっていくのは、こうした価値観変遷にも由来する。

  • それでは「インテリ=ブルジョワ階層こそ悪の根源」と決めつける左傾化がこの問題の決定的処方箋になったかというとそうでもなく、今度は「江南左派(日本でいう「労働貴族」「杉並左翼」といったブルジョワ左翼の世界)」問題が急浮上してくる。彼らにもまた貧富格差のルサンチマンが自分自身に向けられるのが怖くて反日反米運動の急先鋒に立ち続けているという側面が表面化してくる。

    統一日報 : 「江南左派」の二重生活

②ところで五味川純平「戦争と人間(1965年〜1982年)」の中には「正義の連続強姦殺人魔」なる存在が登場する。彼は一族郎党を「侵略者」日本人に皆殺しにされた朝鮮人の若者で、上流階層の子女のみを狙い、襲われ強姦され殺されていく女性側も少しでも戦争犯罪国家日本の罪滅ぼしの足しになると信じ、最後には自ら喜んで犠牲となって死んでいくという設定である。
*やがて貧困ルサンチマンや反差別的イデオロギーから遊離してみやわき心太郎、愛崎けい子「THE レイプマン(1980年代中盤〜後半、金で悪人懲らしめを請け負う「必殺仕事人シリーズ(1979年〜)」スタイル)」や、エルフ「陵辱おやぢシリーズ(1995年〜2001年、その毒牙に純粋無垢な善人を掛けて倒錯的喜びを味わう悪党が処罰されるまで輝く「サド公爵の暗黒ロマン小説」パターン)」などを経て2000年代に入るとエロティズム主題としては完全に飽きられてしまう。旧世代ルサンチマンの蕩尽完了?
f:id:ochimusha01:20170809041117j:plainf:id:ochimusha01:20180315165655j:plain

  • ある意味こうした物語文法は、1930年代日本で好評を得た江戸川乱歩の通俗小説(およびその衣鉢を継いだ横溝正史金田一耕助シリーズ)における「名探偵を立会人とする形で(どうせ後ろ暗い方法で蓄財したに決まってる)成金一族が復讐者の手によって全滅させられていく物語」に由来する。その過程では(当人は罪のない純真無垢な存在たる)恵まれた環境の子女が(親の犯罪行為を知らないまま)陵辱の限りを尽くされ、猟奇殺人の餌食となり、大衆はむしろその悲劇性をこそ喜んだのだった。

    f:id:ochimusha01:20180315182937j:plain

    *貧富格差拡大によるルサンチマンが極まった近年の中国において「(どうせ後ろ暗い方法で蓄財したに決まってる)金持ちの子供の誘拐殺人事件」が、密かに喝采を集める構造に酷似。

    *その一方で「(容易く「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに屈して絶対主義に走る)自由主義」に嫌悪感しか抱かなかった1930年代日本の右翼(軍国主義者)と左翼(社会主義者)は「小市民映画」同様、こうした大衆向けの中途半端なガス抜きを揃って好まなかった。ワイマール政権崩壊期のドイツにおいても右翼(ナチス)と左翼(共産党)の部分的共闘は日常茶飯事だったが、当時の大日本帝国にとっても決して他人事ではなかったのである。

③原作から大幅に逸脱した映画「戦争と人間:第三部完結編(1973年)」においては「時代遅れの38式歩兵銃しか装備しておらず、大陸においては現地人の虐殺・略奪・輪姦しか遂行しない日本兵が「(米軍の標準装備たる)ガーランドM1半自動小銃とブローニング自動小銃武装した八路軍」や「独ソ戦ばかりか朝鮮戦争でも大活躍した)T34/85を大量に装備したソ連戦車軍団」に一方的に殲滅され続ける。
*それが当時左翼が夢想した「日中戦争の真実」?

*もしかしたら、こうしたイメージの源泉はデヴィッド・リーン監督映画「アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia、1962年)」におけるトルコ軍の描写辺りだったかもしれない。この映画に登場するトルコ軍は本当にアラビア人の集落に対して略奪や輪姦や虐殺しか行わず、しかもアラビア軍と邂逅すると一瞬で粉砕されてしまう。まぁ当時オスマン帝国を牛耳っていた「青年トルコ人」がアラビア半島の政情不安定に焦って民族浄化を志向する傾向があった事、同様の心理を背景に「アルメニア人大虐殺」が遂行された可能性が指摘されている点までは事実。

  • そもそも映画「戦争と人間三部作(1970年〜1973年)」は「ハレンチ学園実写版(1970年〜1971年)」や日活ニューアクション(1970年〜1971年)といった学生運動に破れ鬱憤していた若者達を呼び寄せて興行的成功を収めていた制作ラインを取り潰し、かつその収益を吐き出させる形で制作された「新左翼陣営に対する)旧左翼陣営の勝利宣言」なる意味合いを大いに備えたシリーズだった。だからそこに登場する「現地人の虐殺・略奪・輪姦しか遂行しない無軌道な日本兵」は間違いなく「新左翼運動に共感する様な)無軌道な当時の若者」にも重ねられている。
    *当時東宝が制作した「ゴジラ対ヘドラ(1971年)」においても「無軌道な当時の若者」は愚かな振る舞いを繰り返すのみの存在として描かれ、最後はまとめてヘドラにドロドロに溶かされてしまう。東大安田講堂陥落(1969年1月)以降は旧左翼陣営ばかりでなく、一般の大人達も次第に彼らに向ける視線を厳しくしていったのだった。

    *まぁこの流れ自体は日本だけに限った話でもなかった。例えばアメリカにおいてはドライブインシアターやミッドナイトシアターで上映されカルト的人気を誇った「ティーンエイジ・モンスター・ホラー(Teenage Monster Horror)」や「ゴア・ムービー(Gore Movie)」が「野放図な若者が閉鎖的な田舎で現地人を怒らせ虐殺される」南部ゴシックの物語文法を取り入れて「スプラッタ・ムービー(Splatter Movie)」への進化を遂げている。

    f:id:ochimusha01:20180316100419g:plain

  • その一方で「戦争と人間三部作」において「(旧左翼陣営が自らの起源として理想視する)戦前においては日本唯一の良心だった共産主義者」は単なる平和主義者でなく「正統なる科学的マルクス主義に基づいて」統計的数字を駆使して理路整然と開戦の愚かさを説く善良で知的な人々として描かれている。
    *「共産主義者とは正統なる科学的マルクス主義に基づいて統計的数字を駆使する知的な人々」…原作には「生き残る為に転向して革新官僚の手下に成り下がった裏切者も出した」なる反省も見受けられるが、映画版「戦争と人間三部作」ではそういう暗黒面は一切削除されている。誰がそういう編集を主導したのだろうか。日本共産党歴史観によれば、当時はこの時期はソ連中共が多額の資金を投入して日本国内におけるシンパ確保にやっきになっていた時期に該当し、日本共産党は私利に目が眩んでこうした動きに屈服した変節漢狩りに追われていた。

    *その一方で当時は編集側の勧めに応じる形で藤子不二雄「劇画毛沢東伝(1971年)」や横山光輝ウイグル無頼(1972年〜1973年、それまでSFジュブナイル物や忍者物中心に作品を発表してきた横山光輝の目が中国史に向かった嚆矢)」が執筆された時期に該当する。もしかしたら日本共産党が指摘する「中共ソ連の対日プロパガンダ工作」は、こういうエンタメ分野の展開にも影響を与えていたのかもしれない?

  • 視座を共産主義圏側に移すとまた別の歴史観が浮かび上がってくる。例えばソ連においてはスターリン死去(1953年)に続いたスターリン批判(第1回1956年、第2回1961年)や1960年代に急激に進行した科学的マルクス主義の形骸化などを背景として二度の祖国防衛戦争(対ナポレオン戦争、対ナチスドイツ戦争)を新たなる国民意識高揚の拠り所とする動きが見られ「戦争と平和(Война и мир、War and Peace 、1967年)」「ワーテルロー(Waterloo、1970年)」「ヨーロッパの解放(Освобождение、1970年〜1973年)」といった国策的スペクタル史劇が次々と産み落とされていく。中共もやがて同様のジレンマに陥り「戦争と人間三部作」において描かれた「現地人の虐殺・略奪・輪姦しか遂行しない無軌道な日本兵」を「正義の軍隊ゆえに無敵の八路軍」が次々と一方的に殲滅する展開を取り入れた愛国TVドラマが量産される様になっていく。

    *まさしくマンハイムいうところの「思考の保守化プロセス」そのもの。元来はこうした「国家主導で国民が認識すべき歴史観の強制」こそが「正統史観」と呼ばれ、これを無効化する試みの一切が「歴史修正主義」として弾劾されるシステムだった。

④2014年2月に朝日新聞慰安婦問題について訂正記事を掲載するまで、国際SNS上の関心空間においては「実は実際に死亡が確認されている50万人の慰安婦など氷山の一角に過ぎず、実際に虐殺された数は2000万人を下らない。全く人間扱いされてなかった慰安婦の平均寿命は2週間未満で、日本兵の暴行に耐えかねて死亡すると証拠隠滅の為に解体され、食べられる分はすべて食べ尽くされた事実が検証によって明らかとなっている。有名な零戦だって文字通り慰安婦から搾り取った脂肪で飛んでいたとされている」とか「国際正義は日本人が全財産を差し出し、最後の一人まで収容所で苦しみながら死に絶えるまで決っして人類平等の理念を実現する事はないだろう」といった滅茶苦茶な内容の投稿を繰り返すアカウント集団が存在した。定期的に削除されるので個々の存続期間そのものは短かったが「私はメキシコ人だけど、その話が伝わってから日本人に対する扱いがはっきり変わったよ。世界が本来あるべき姿を取り戻したんだ」とか「私はカナダ人の高校生だけど、この国じゃ身障者や日本人や黒人や東南アジア人を同じ人間として扱う事そのものがレイシズムと認識されている。学校に通ってる彼らの子供達は連日壮絶な虐めの対象とされて蛆虫みたいに震えながら過去の反省を強要され続けてるよ。アメリカは違うの? 遅れてるなぁ」みたいなコメントをつける専用アカウント群も存在し、何者かによる組織的プロパガンダであった可能性が高かったが、そうしたグループは以降投稿の一斉削除に着手し、年末までに完全消滅してしまう。
*当時独特の空気を象徴するのが、慰安婦の日本人全体への復讐を平和の鳩が嬉々として祝福する場面を描いた"Punish the Responsible" by 강덕경 (Kang Duk-Gyeong) Halmoniの画像の大量回覧。

https://31.media.tumblr.com/tumblr_ltxr9mlBXf1r5xf1mo1_500.jpg

*この意味合いにおいては「朝日新聞による慰安婦問題について訂正記事掲載(2014年2月)」は確かに国際的影響力を発揮したのだった。

  • そういえばニュージャージー州ユニオンシティで「大日本帝国の悪行を世界に知らしめし国際正義を回復する為の残酷マネキン展示大会(7月4日)」が開催されたのもこの年。最後の徒花だったとも。
    *いつのまにか慰安婦問題の主題が「売春の強要」から「ホロコースト」に推移したのは、問題意識を継承した国家主義者達が「売春の強要」どころか「男性が女性を暴力で言いなりにさせる事」の何が悪いか理解出来なかったからともいわれている。

  • 国際SNS上の関心空間において韓国系アカウント中心のK-POP/K-Fashion関連の投稿すら回覧数4桁だった時代に回覧数3桁以上の壁すら破れず、国際SNS上のプロパガンダとしては失敗もいいところだった。だが最初から「狂信的反日主義者をたった一人でも日本人大量殺人テロに向かわせる事に成功したら勝利」という条件設定だったなら酷評だけは避けられたのかもしれない。
    *当時最も印象的だったのがKKKなどの人種差別組織を礼賛する白人至上主義者アカウントが「いずれにせよ劣等人種同士が殺し合って少しでもその数を減らすなら、そうした偉業は国際平和に貢献する」とコメントを残すと「やはり韓国人は世界から名誉白人として認められている!!」なる自画自賛レスが大量にぶら下がった事。

    *国際SNS上で私と相互Follow関係にある様な「一般的」韓国系アカウントは「北朝鮮、あるいはその黒幕たる東北軍閥の仕込みだった可能性が高い」と指摘。確かに「戦艦大和零戦慰安婦の死体から絞った脂肪で稼働していた」なんてラディカルな表現、北朝鮮プロパガンダ文献でしか目にした事がない。ちなみに東北軍閥といえば何かと(最近汚職摘発名義で大量粛清された)重慶派や、そのさらなる黒幕と指摘される事もある江沢民派との関与を疑われる存在ではある。

⑤「シカゴFacwbook拷問Live事件(2917年)」に際して黒人「急進派」が「貴様らが我々に犯してきた犯罪に比べれば、こんなの序の口。貴様らが本気で我々に阿りたければ、我々の様な社会的弱者でも報復が遂げやすい様に自ら積極的に身障者や女子供から生贄として捧げて贖罪の喜びを噛みしめるしかないのだ」とネット上で声明を上げたところ「彼の発言にも一理ある。それが人道主義達成に結びつくなら、我々は積極的にこうした提言を支持する」なるコメントが連なる(後にどちらの投稿も削除)。
*おそらくそうしたコメント自体は「白人リベラル階層代表」を詐称する政治的に反対の立場の連中の悪戯だったのだろうが、肝心のリベラル層が沈黙を保ったせいで「もはや米国リベラル階層は誰も守っていない」なる諦観がアメリカ中に広まった。現存するコメントを読み返してもこの事件が残した傷跡の深さは一目瞭然。

  • 国際SNS上の黒人リベラル層(Poor Black層からBlack Establishmentと揶揄される)の分析によれば「女子供や障害者を虐待してこそ男らしい」と考えるのはスラム街に巣食うストリートギャング独特の思考様式。皮肉にも彼ら自身はこうした同エスニックグループ内の「身内の恥」への徹底処罰を望んでいる。
    *実際彼らは事件の犯人でなく、自ら陣頭指揮し迅速に犯人を逮捕したシカゴ警察のエディ・ジョンソン本部長(黒人)の方を絶賛している。かくしてBlack Establishment層とPoor Black層の亀裂はさらに深まった?
    https://68.media.tumblr.com/2cdd61102913b2851efd50fe2e8fd4c7/tumblr_ojb9a6l9sV1r83d7lo1_1280.jpg
  • 問題はアメリカのリベラル層が(黒人公民権運動とヒッピー運動が連動しなかった過去への後ろめたさから)「さらなる平等を達成する為に我々への積極的差別是正措置(Affirmative action)を撤廃せよ」と「劣等な黒人のせに同じ人間扱いを要求する生意気な」黒人リベラル層より「既存イメージ通り劣等な黒人らしく馬鹿な振る舞いに徹する(「男尊女卑こそ黒人の伝統文化」と主張して黒人女性全体を敵に回し、デモを隙あらば暴動に発展させ、近隣商店街の略奪に至らせてしまう)黒人運動急進派(を自称するストリートギャング崩れ)」への共感を表明しつつ、実社会におけるは相変わらず彼らを「隣人」として迎い入れる事を拒絶し続けている伝統的構造。

    *一時期世間を賑わせたBlack Lives Matter運動が崩壊したのもこうした複雑な背景の為。 そもそもそれ以前に黒人公民権運動を偲ぶワシントン大行進は随分前から黒人急進派に牛耳られる様になっており、一般黒人が近寄り難い雰囲気となっていた。
    ワシントン大行進*まぁこういう有様の「ワシントン大行進」のさらなる劣化コピーが「東京大行進」だった訳で、同様に一般人を遠ざける結果しか産んでない。 

    f:id:ochimusha01:20180315062628j:plain

こうして全体像を俯瞰して見ると、当初は「理想主義者の夢」として始まった反差別主義運動が次第に政治的に悪用され「ナチス」していくプロセスが浮かび上がってくる。そもそもナチズムには「(第一次世界大戦敗戦を契機に絶滅の危機にさらされた)ドイツ民族の手段を選ばないサバイバル運動」なる反差別主義的背景が確実に存在するのである。しかもこれにミヒャエル・エンデはてしない物語(Die unendliche Geschichte 1979年)」や、フランク・ハーバートデューン砂漠の神皇帝(God Emperoe of Dune、1981年)」において活写された様な「青臭い若者特有の理想主義」が失望と蕩尽の果てに「(党争における勝利にしか関心を示さない)政治的ニヒリズム」や「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成されるジレンマ」へと屈していく情景が重なってくる。

こうした系譜の最新例がこれ。 

退行的左翼(Regressive left、退行的リベラル) - Wikipedia

政治的に左翼層に属しながら、リベラル的な価値観に反する判断基準、イデオロギーに対する寛容の精神によってリベラル的な価値観から退行した主張を持つ人物を否定的に分類するときに用いられる政治的形容語句。特に多文化主義と文化相対主義の観念により、イスラム主義への寛容を主張する人物に使用される。

f:id:ochimusha01:20180316124434j:plain

多文化主義の特定の文脈内では、英国の反・イスラム主義活動家であるマージド・ナワズが、2012年にこの語句を、自身の回顧録『急進主義: イスラム主義者の過激主義から離れた私の遍歴』において英国における、イスラム主義者に対して予備的知識を持たず「知らないで迎合」し、イスラム主義者のイデオロギーへの容認が広まることを助けた「善意のリベラル、およびイデオロギーに駆り立てられた左翼主義者」を説明する為に使用した。インターネットフォーラムのBig Thinkにおける、2015年のビデオプレゼンテーションにおいて、Nawazはこの語句の意味について説き、この語句は、(彼の意見では)「政治的公正性のために、寛容のために、彼らが信じるものは、異なった文化と異なったライフスタイルの尊重であり ... 少数派コミュニティーにおいて起こりうる幾らかの偏見に異議を唱えるための生まれつきの躊躇」を持っている「左翼層」を説明するものである、と彼は述べた。

f:id:ochimusha01:20180316125516j:plain

有名な政治社会評論家の中で、コメディアンのビル・マー、インターネットベースのトークショーのホストのデイブ・ルービン、新無神論主義者の作家のサム・ハリス、ジェリー・コイン、リチャード・ドーキンスは、このコンセプトを何度も議論した。

結局のところ「例外状態」や「敵友理論」に立拠するカール・シュミッツ式政治哲学、すなわち国家主義民族主義(およびこれに付け入ろうとする商品供給企業やマスメディアの商業至上主義)を最優先と考える伝統的立場の最大の敵は「デフレ信仰が黙認する貧富格差の拡大」「不平等感の蔓延に由来するルサンチマンの鬱積」 「マジョリティには基本的人権すら認め様としない反差別主義の横行」「そうした問題にある意味揃ってすがりつつ、ある意味揃って黙殺する道を選んだ「拠るべき数理を見失った進歩主義者」や「拠るべき伝統を見失った保守主義者」の盲目的野合」の暴走だったのかも。
*「ある意味揃ってすがりつつ、ある意味揃って黙殺する」…歴史的には温情主義(Paternalism、親が子供のためによかれと思ってする事の様に、強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わず介入・干渉・支援すること)のバリエーションとなる。

 そして以下の様な追報が…

さらにはこんな話も。

こうして改めて「(その存在自体が矛盾だらけの)インテリ=ブルジョワ階層の責務とは何か?」問われる展開に… 

この問題に思想の左右は関係ありません…実際(差別する側と差別される側を逆転させた)反差別主義を提唱するインテリ=ブルジョワ階層もまた、相手側から「(我々が略奪し、輪姦し、殺戮しやすい様に)女子供や身障者から差し出せ」と要求されると「勝手にどうぞ(どうせ実際に「隣人」から襲われるのは自分達インテリ=ブルジョワ階層ではない)」と答えてきたという事なんです。