パラダイムシフトとは「言語ゲームや事象の地平線としての絶対他者」の側からすれば致命的な形でその神秘性を剥ぎ取られる「死の瞬間」でもある訳なんですね。
そう考えると「惑星」が「惑う星」ではなくなっていく過程自体が実に興味深い…
このアニメーションの美しいのは、描いているのは同じ現象なのに、視点を変えるだけでこれだけ違って見えること、そしてそれは数学的には単に座標変換として表現できる点です。べつに、地球のまわりにすべてが回転していると言ってもいいのです。でも地球中心の座標系で惑星の移動を表現するのに比べて、太陽中心にしたほうがなんとすっきりすることか。
細かい話をいうと、正確にはこれは地動説・天動説には対応しておらず、太陽中心の座標系と地球中心座標系の違いを表現したアニメーションなのですが、まあおおまかな説明としてはそれで通じるかと。
このたった一枚の画像に、プラトンやアリストテレス、プトレマイオスから、コペルニクス、ケプラー、ガリレオにいたる人間の視座の獲得があると言ってもよいのですが、そう考えると、私たちの知ってることとというのは、いかに多くの人々によって描かれ、描き直されて進歩したのかということにも思いを馳せずにいられません。
たかが「仮想」、されど「仮想」なのです…