そういえば三島由紀夫はアメリカ旅行の際に立ち寄ったディズニーランドの事をいたく気に入って「いい趣味の商業美術の平均的気品に充ち、どんな感受性にも素直に受け入れられるやうにできてゐる」と評しています。世界のあらゆる人が楽しめるようにというD社のモットーを彼は造詣から感じられたらしい
— ノザキハコネ (@hakoiribox) July 22, 2018
FUJI ROCK IS NOT ON Mt.FUJI.:三島由紀夫とディズニーランド - livedoor Blog
最近読んだ大塚英志『サブカルチャー文学論』に収録されていた「三島由紀夫とディズニーランド」という評論がかなり面白かったのでちょろっと紹介しときます。要するに三島由紀夫が、アメリカ旅行の際ディズニーランドに立ち寄って、これにいたく感心したというエピソードがあって(ここからしてもう意外!意外!意外!の連続なんですが)そこから推し量ると、どうもそのディズニーランドを包括する理念のようなものが、三島の考える理想的な天皇のありかたに近かったんではないか、という斬新な切り口。
いわゆる「普通の右翼」に言ったら顔を真っ赤にして怒りそうな提案だけど。TDLは「堕落したアメリカ帝国主義文化侵略の象徴」なわけで。
「色彩も衣装も、いささかの見物的な侘びしさを持たず、いい趣味の商業美術の平均的気品に充ち、どんな感受性にも素直に受け入れられるやうにできてゐる」ディズニーランドに、本来誰からも愛される存在であるはずの天皇をかさねあわせるのは、偏見なくみればそこまで無理のある飛躍はしていない。それを意外に思うのは、あまりに僕が三島に対して固定的なイメージを持ちすぎているからにほかならないのだけれど。これが後に自衛隊で割腹自殺をした男の言うことだったと考えると途端に苦しくなる。そんな怖そうで痛そうなのは、「どんな感受性にも受け入れられる」とは言いがたいじゃん!と思う部分はある。
三島が近代の天皇制を戦前、戦後をつうじて批判していると言うくだりが面白かった。要するに明治憲法のもと官僚機構によって人為的につくられた、建武中興とか皇紀2600年とかに言及したりする、極めて「歴史的」な意味を持たされた天皇は誤りで、本来そうした歴史的なものとはかかわりをもたない文化的装置としての「脱歴史的」な天皇こそがあるべき姿であると。
*そういえば三島由紀夫は谷崎潤一郎「黄金の死(1914年)」を高く評価していた。江戸川乱歩が安っぽい見世物小屋テイストに惚れ込んでいた様に「(駄菓子の元ネタの様に)実物に決して届かない儚いオーバードライブ感」を愛していた様である。この事とそうした事は一体どういう関係を持ってくるのだろうか?
『金色の死』谷崎潤一郎 1914(大正14)
ある意味(ウォルト・ディズニーが精査した)ディズニー・ランドも(宮崎駿監督が精査した)ジブリ作品も(スティーブ・ジョブズが精査した)iPhoneも「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」自由主義のジレンマの究極形として顕現した訳ですが、それが与えてくれる感動について私達はどう受け止めるべきなのでしょうか?
日本の市販品の調味料は言い換えればあれを使えば絶対にあの味になるし失敗はありえない、絶対に派手な色でばりばりの、人工的なワンダーな世界が用意される、ということでもある。
— kurikuri321 (@kurikuri321) 2018年2月10日
どんなにまずくて味のないものも、たちまち旨味と砂糖で飾り立てられてそれなりに食える味になる。
ディズニーキャラクターや、ディズニーランドの持つあの一種の破壊的暴力性に、日本の市販品調味料やレトルト食品は似ているなあと思う。
— kurikuri321 (@kurikuri321) 2018年2月10日
超わかりやすい派手な世界。皆を信者にする。まあとりあえず完成度高い。お金もかかってる。まあ割とかわいい。きれいで整っている。まあそれなりに楽しい。
私は味の素の冷凍餃子も食べるし(たまに食べるとほんと、あれはあれでおいしいよw)、合成調味料もインスタントも冷凍も使う。
— kurikuri321 (@kurikuri321) 2018年2月10日
同じようにディズニーランドだって行く。楽しいもん。
ただ、常食はしないし、毎日あそこに遊びに行きたくはないし働きたくはないよね、というような話な。
付き合い方。
なんとなくだけどディズニーランド行きたいなあとか思ったw
— kurikuri321 (@kurikuri321) 2018年2月10日
モードを切り替えて、ゆるふわキャピキャピの痛い女子モードで、ミッキーマウスの耳カチューシャなんかつけて、スペースマウンテンとかにがつーんと乗って吹っ飛びたいw
女の子とキャーキャーネズミ国デートとかしたいw(おっさんか俺は)
てか日本てこんなになんで常設のほぼ年中無休の遊園地が乱立してるんすかね。
— kurikuri321 (@kurikuri321) 2018年2月10日
ミラノはうすらぼんやりしていたらあっちから勝手に来てくれて去って行くのが常だったんで、なんか「そーだ、待ってても来てくれないんだったわ」って感じw
ヒッピー世代の反商業主義姿勢に全面的に否定された「商業至上主義時代」…
だがむしろ彼らの観点に見落としがあったからこそ、彼らの側が「歴史の掃き溜め」送りになったと考えるべきなのかもしれません。