諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【自然主義と自由主義】縄文土器ブームのダークサイド

人類の歴史を「集-立Ge-Stellシステム後期ハイデガーいうところの「特定目的達成の為に手持ちリソースの全てを総動員しようとする体制」の事。後期ハイデガーは(すぐに自己保全こそが目的となって本来の目的を忘れてしまう)その全てから脱却しなければ「真理(アレーティア)の世界」には到達出来ないとした)によって迷走させられてきた歴史として捉え直してみると、極めて救い様がない残念な側面が浮かび上がってきます。

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 ①最も古く集-立(Ge-Stell)システム化したのは「神殿宗教」や「多民族帝国」だった。どちらも「甘やかされ文弱化した支配階層が部族的紐帯を武器とする辺境の野蛮民に打倒された後、自らも甘やかされ文弱化していく無限ループ」を描いてきたのが「(イブン・ハルドゥーンいうところの古代王朝交代史観」の正体とも。

*いわゆる「資源国の呪い」もこの類。独裁政権の交代ばかりが続き、一向に政治的安定に到達しない…

②「部族的紐帯を武器とする辺境の野蛮民が政権交代に成功する可能性」が潰えると、次の安定状態として登場するのは概ね複数の「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的権威体制」間の均衡状態となる。既存の身分社会の保全そのものを目的とし(伝統的共同体の崩壊や貧富格差の拡大をもたらす貨幣経済の浸透を極端に恐れ、しばしば資本主義的発展の阻害要因となってきた。

*欧州においてはこれがまずロマネスク(romanesque)時代(10世紀末〜12世紀)、すなわちヴァイキング時代(Viking Age、800年 - 1050年)にフランス国王がノルマンディ泊地の首長の家臣化(911年)に成功した事に端を発し、クリュニー修道会やシトー修道会の繁栄にその片鱗を残す「ノルマン貴族と(帝政ローマ時代にドナウ川流域よりの南下を開始したブルグンド王国末裔たる)ブルゴーニュ貴族と(イスラム王朝イベリア半島の大半を明け渡した西ゴート王国の末裔たる)アストゥリアス貴族と(ササン朝ペルシャイスラム帝国東ローマ帝国の戦局泥沼化の隙を突いて北イタリアにランゴバルト王国を建国した)ロンバルディア貴族の緩やかな紐帯」という形で顕現するが(最終的に「ポルトガル王国のアフリカ十字軍派遣」という形で大航海時代の嚆矢となる)十字軍時代あるいは大開拓時代と呼ばれる 時期(12世紀〜14世紀)の貨幣経済浸透を背景に衰退してしまう。

*次いで「大航海時代到来によって経済的中心地が地中海沿岸から大西洋沿岸に推移し、それまでの主要国の多くが再版農奴制に立脚する食料供給国に転落する」歴史的展開の中でハプスブルグ君主国、オスマン帝国帝政ロシアなどが台頭するも第一次世界大戦(1914年〜1918年)敗戦によって解体を余儀なくされた。こうした時代的変遷を最も端的な形で表象するのが先行して起こった「ポーランドリトアニア合同(Unia polsko-litewska、1381年〜1791年)」の盛衰とも。
ポーランド・リトアニア合同 - Wikipedia

*「諸勢力の均衡状態」には程遠いが、「資本主義的発展こそ伝統的共同体を破壊し貧富格差拡大を現出させる絶対悪」と考えるサン=キュロット(浮浪小作人)階層の支持を受けてリヨンやトゥールーズといった商業都市を破壊し尽くして「王党派」住民を片っ端から霞弾一斉射撃で挽肉化し、ヴァンデの「王党派」農民反乱に「妊婦の腹を裂き赤子を竃に放り込む」地獄部隊を投入して民族浄化を狙ったジャコバン派の恐怖政治(仏la Terreur、英Reign of Terror)は、(ロシアを穀物輸出国から穀物輸入国に転落させた)レーニンによるクラーク(富農)殲滅作戦、ポルポト派によるインテリ階層とベトナム系市民の大虐殺、毛沢東による大躍進政策北朝鮮金王朝による強権体制といった形でリスペクトと模倣を繰り返される展開を迎える。

そして最近の日本では「それまで手垢がついてこなかった」縄文ブーム…

縄文がブームになってきたのは、ここ数年のことだ。

火付け役になったのが、2015年に創刊されたフリーペーパー「縄文ZINE」だ。名前の通り、縄文プラスMAGAZINEで縄文だけを扱う。土偶のポーズで読者の写真を撮影する「ドグモ(土偶モデル)」などのオリジナル企画が人気だ。

編集長の望月昭秀さんは、無類の「縄文好き」。「縄文はこんなに面白いのに、いまいち人気がないというか、ぱっとしないというか。周囲に話をする人もいなかったので、そんな場が作りたかった」と話す。

発行部数は3万部。読者には、若い女性が目立つという。

縄文人は自由というイメージがあるけれど、いま、実際にそんな生き方をするのは難しい。ただ、縄文人のようなゆったりした生き方もあるとは知ってほしいと思っています」

芸術家の岡本太郎が1950年代に絶賛し、その美を「再発見」して以来、「縄文」は研究者以外にも、多くのファンを獲得してきた。

現在公開中の映画「縄文にハマる人々」(山岡信貴監督)には、そんなコアな人たちがたくさん登場する。縄文に魅せられて研究にのめり込んだ弁護士、「縄文の湯」を営む温泉オーナー、縄文土器に触発されてコンテンポラリーアートを制作する芸術家──。山岡さんは「縄文の世界観・宇宙観に、縄文土器の文様の意味など、皆さん、語り始めると止まらない。その熱気に触発されて撮影を続けてきた」と話す。訪れた遺跡や博物館は80カ所以上にのぼる。

さらに映画では、30人以上に及ぶ、「縄文好き」たちが、研究者とアマチュアを問わず、縄文の素晴らしさと「自説」をとくとくと語り続ける。

見ていて疲れるというか、あきれるというか……。「でも、縄文が好きな人って、本来、そんな感じ。自由な想像力こそが彼らの源泉なんです」(山岡さん)

しかし、最近増えてきたファンは少し違うようだ。若い世代の女性が中心で、縄文の土偶や深鉢形土器を見て、「かわいい」を連発する。

縄文時代土偶が大好きで、土偶に関する著作『にっぽん全国土偶手帖』などもある、ライターの誉田亜紀子さんは、出土する遺物の種類も多く、歴史背景も複雑な古墳時代などと比べ「縄文は素朴で素人にもわかりやすい面がある」と話す。

土偶や土器などの造形品も、一定の約束事を満たしながらも、本当に自由に作っている。そこにひかれる人は多いのではないでしょうか」

実際、「ハート形土偶」(群馬県東吾妻町)にみられるような極端にデフォルメされた頭部の表現や手足とのアンバランスさ、「土偶 縄文のビーナス」(長野県茅野市)や「顔面把手」(山梨県韮崎市)の目・口・鼻などの表現、「人形装飾付有孔鍔付土器」(山梨県南アルプス市)に表された3頭身で歌っているかのような人物像など、キッチュで、いまの私たちの審美眼にも通じる「かわいさ」に満ちている。

もう一つ、現在の縄文人気を後押ししているのが、自然を大切にし、自然と共生していたという、エコロジカルなイメージだろう。実際、「縄文」でネット検索すると、「エコロジー」や「オーガニック」などの単語を冠した本やイベントが数多くあることに気づく。

実際、縄文人たちは、自らが獲得した限られた資源を極めて有効に活用していた。その意味では、私たち現代人が学ぶべき点が多いことも確かだ。

しかし、だからといって、縄文人たちがのんびりとした暮らしをしていたかといえば、それは間違いだ。

古人骨に残る病気を調べている、明治大学兼任講師の谷畑美帆さんによると、縄文人には現代人にほとんど見られない、下肢中央での骨折痕が目立つという。「現代では、老化が原因の太ももの骨端部の骨折が多いが、それとは対照的。食料獲得のため、かなり無理をしていたのではないでしょうか」

また、私たちの多くは、社会的な格差が生まれ、富の分配を巡って「戦争」が始まるのは、稲作が本格化する、縄文時代の次の弥生時代からと考えているが、墓などの研究からみる限り、縄文時代にも階層はあり、戦いの傷を受けて亡くなったと思われる人骨も出土している。つまり、現在、私たちの抱いている「縄文」のイメージの一部は、実は、完全な思い込みである可能性が高いのだ。

国立歴史民俗博物館の山田康弘教授(考古学)は「縄文時代は決してユートピアではなかった」と話す。

「人口が少なかったので破壊には至りませんでしたが、自然も相当切りひらいています。資源の枯渇などにも直面したと推測され、それらを克服するために、呪術具としての土器や土偶を精緻に作り、祈りを込めたのではないでしょうか」

 実は縄文時代は現代人が考えるほど「自由の楽園」でもなかった?

今こそ私達は思い出さねばなりません。「縄文時代自由主義イデオロギー」の最初の仕掛け人が良い意味でも悪い意味でも「人類学者マルセル・モースの愛弟子岡本太郎であった事を…

縄文と岡本太郎 – 日本遺産 火焔型土器

かかるフランスの自然主義インテリ層が今や若者から「貴様ら、もう火すら捨てて森へ帰れ」と罵られる原理主義老害にまで転落してしまっている事実と併せて重要な事…