日本でも欧州でも中世まで歴史の主体であり続けた所謂封建主義体制、すなわち「領主が領土や領民を全人格的に代表する農本主義的権威体制」においては、敵対勢力を弱めるべく相手領土に攻め込んだら可能な限り領土を現地インフラを破壊し、領民を虐殺するのが常でした。まさしく「将門記」の世界…
ファンタジーの王道村焼きだけど、襲撃した村で遺体をそのままにするとネズミやハエが大発生して伝染病などの発生リスクにも繋がるだろうし、滅ぼした側も焼いとかないと多分マズいんだろうなと思う。きちんと弔う余力の残ってない生存者が泣く泣く壊滅した村に火を放つパターンもあったりするのでは?
— 小森雨太 (@comori_uta) August 10, 2019
共和制ローマ時代、ブレンヌス率いるガリア人がアッリアの戦いに勝利し、記録に残るガリア人初の都市ローマへの侵入を成功させたが、死者(恐らく双方の)を埋葬しなかったため、伝染病が発生しています。 https://t.co/muoC4bfgU7
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
略奪乱取と言えば、三十年戦争のマクデブルクですが、都市陥落後に、住民の虐殺と市内への焼き討ちがありました。
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
三万人ほどいた住民の殆どが殺し尽くされましたが、この放火は伝染病を防ぐためではありませんでした。
略奪の後14日間にわたり、伝染病を防ぐため死体がエルベ川で火葬されてますね。
襲撃者に村の物資を与えないためもありそうですね。
— 合川 俊介 (@thescarletchair) August 10, 2019
アンデッド化を防ぐために火葬する文化や、輪廻転生から外れてしまうために火葬が罪人向けの罰となる等の宗教でまた意味が少し変わりそうです。
1人だけ残された少年が、泣きながら親しい人の亡骸にむらがった蛆を払うコマの次のページで、
— じょん・えーかー (@john_acre) August 10, 2019
壮絶な表情を浮かべながら炎に包まれる村をあとにするイメージが浮かびました(;・ω・)
(なお、少年自身が村に火を放つシーンはあえてカット)
中世においては、略奪や放火は正当な戦略的行為でした。
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
こうしたものは、「騎行」と呼ばれています。
騎行は、主に財産略奪・産業破壊が主な活動であり、敵の力を弱体化させることを狙いにしていました。
騎行には農民の殺害や村落・都市への放火などな必要不可欠でした。
特にイングランドからフランスに対するものが有名で、ジョン・オブ・ゴーントやエドワード黒太子が実行しています。
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
黒太子の騎士が、黒太子によって破壊されたフランスの都市や地域のリストを載せた上で、以下のように述べています。
「フランスとの開戦以来、このたびの侵攻ほど大きな破壊を一地域に与えたことはないと存じます。なぜならば、破壊した農村地帯や都市は、戦費としてフランス王国の歳入の半分以上を賄っていたからです。」
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
このように、百年戦争においては、圧倒的な生産力を持つフランスを疲弊させるため、イングランドは積極的に焼き討ちしていました。
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
村の焼き討ちは、伝染病を防ぐ効果もありますが、当時のヨーロッパの戦争の主力は上級戦士たる騎士によるもので、彼らの時代の軍隊は食料を求めて戦場を常に移動していました。
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
一つ所に留まることは少なく、火を放つのはその都市や村が復活すると厄介だからです。
特に中世では、封建的軍勢の宿命で長い間多くの拠点を維持することは不可能なので、威圧の意味や生産地の破壊や兵站の確保以外にも、片端から火を放ってました。
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
略奪は孫子の兵法でも許されており、このような「騎行」は洋の東西を問わず、常識だったのです。
なお、こうした「騎行」は、動かない敵への挑発も兼ねており、敵の軍勢を構成する封建的領主たちの領地を荒らすことで決戦を急がせたり、憤らせたりして、必要な時に会戦に引きずり出す意味合いもありました。
— Amicitia sal vitae. (@boots_fleck) August 12, 2019
近世以降登場した「十分な火力と機動力を有した常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって養う主権国家体制(羅civitas sui iuris)」は、これよりは比較的マシな選択肢として広まっていったのです。というより主権国家の強力な常備軍に対抗するには、対抗する側も同様の軍勢を用意する必要があったという話…