諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【アーサー・マッケン】【ジェームズ・アーネスト】【秦豊吉】文化史を闊歩してきた「エロいクロスオーバー人材」について

一般にエロティズムとエンターテイメント分野の峻別は英国怪奇小説家アーサー・マッケン「パンの大神The Great God Pan、同人雑誌掲載1890年、刊行1894年)」に端を発するとされています。

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パンの大神(The Great God Pan、同人雑誌掲載1890年、刊行1894年) - Wikipedia

古代からの魔術的な力と人間の内奥にかかわる恐怖を、性的な仄めかしを交えて描き、発表当時大変な物議を醸した。現在ではマッケンの代表作の一つと見なされている。

パン(パーン)をめぐるギリシア・ローマ時代からの伝説を背景にしているが、作品に近代的な説得力を持たせるため黎明期の生理学と近代心霊主義の混交物を援用している。錬金術師オズワルド・クローリウス(Oswald Crollius、パラケルススの弟子)やGaius Julius Solinusの'DE MIRABILIBUS MUNDI'(『世界の不思議』)、ノーデンス神の石版等への言及も作品に奥行きを与えている。

最後に明かされる魔性の女性の出自がミッシング・リンクとなり、ストーリー全体を支えている。『黒い封印(石印)の話』"Novel of the Black Seal"、『白い粉薬の話』"Novel of the White Powder"、『白魔』"The White People"、『小人』"The Little People"と共通した様々な要素が見られる。こうした遊びがハワード・フィリップス・ラヴクラフトクラーク・アシュトン・スミスロバート・E・ハワードやキャサリン・ルシール・ムーアが創始した「コスミック・ホラー物」や、それをロバート・ブロックやオーガスト・ダーレス等が発展させた「クトゥルフ神話」の大源流となった。

プロット

医師レイモンドによって奇怪な脳手術を受けた娘(メアリ)が「パンの神(ある種の根源的な精神ないし力の象徴)」と交感しその結果発狂する場面で小説は幕をあける。メアリは狂死するが、死の間際に女児を産み落とす。

この女児(ヘレン・ヴォーン)は長ずるにつれ、周囲に恐るべき事件を引き起こす。イングランド西部の田舎(Caermaen)での男児発狂事件や、友人の娘の自殺事件(ノーデンスの神=神ないしはその手下と結婚した=恐らく強姦されたことが仄めかされる)である。

やがてヘレンは美しい娘に育ち、変名を名乗りつつ世界の各地で男を破滅させていく(ここでも性的な関係が仄めかされる)。被害者の一人の同窓生である高等遊民の紳士(ヴィリヤーズ)は友人の死を訝しみ、怪奇な紳士連続自殺事件に震えるロンドンの社交界と魔窟とを探検し、ついに悪魔の女性を見出す。ヴィリヤーズはクラーク(レイモンド医師の友人)と共に乗り込み、問題の女性を自殺に追いやった。その自殺の様は吐き気をもよおす人体の溶解過程以外の何物でもなかった。

ところが「フォルス=体制側暴力が制定されると、逃げる楽しみヴィヨランス=反体制側の抵抗も生じてしまう」なる慣用句の如く、1960年代から「あえてエンターテイメント分野がエロティズムについて触れるのが芸術」とする兆候が現れてきます。そしてそれは今日では国家間の競争が全てだった「総力戦体制時代1910年代後半〜1970年代)」崩壊開始の序曲だったとも目されているのです。

現実の文化史はこうしたクロスオーバー展開を果たした人物への言及抜きには成立しないのですが、その最たる存在の一人がこの人…

秦豊吉(1892年~1858年) - Wikipedia

舞台演出家、翻訳家、随筆家。日劇の創出者。1892年東京日本橋に生まれ64歳で亡くなった。ペンネーム丸木砂土

東京府東京市に生まれる。父は、歌舞伎役者の7代松本幸四郎の出身である、三重の秦家での長兄であり、秦豊吉幸四郎の甥にあたる。

東京府立一中を経て、一高では文芸部に。東京帝国大学法科大学卒業後、三菱商事に勤めるが、文学趣味が強く、ドイツ文学を翻訳した。1917年から1926年まで社命でベルリンに滞在し、1923年結婚のためいったん帰国、その際関西に移住していた谷崎潤一郎を訪ね、谷崎は秦の様子が変わったのを見て「友田と松永の話」のモデルにしたと言われる。
谷崎潤一郎の名前が出た時点で人脈網が「脚本家」虚淵玄のそれに接続。

大正6年から昭和7年まで三菱商事に勤める傍ら、ゲーテの「ファウスト」やレマルク西部戦線異状なし」を翻訳。特に後者は当時の大ベストセラーとなった。

またフリッツ・ラングメトロポリス (1927年)」原作となるハルボウの同名小説(1924年産業革命の成果を謳歌する富裕階層と彼らに奴隷として酷使される労働者階層の対立を描く)の翻訳も手掛けている(岩波文庫の先駆けとして流行した円本の一つ改造社「世界大衆文学全集第十五巻(昭和3年(1928年)11月初版)」として刊行)。一方、サディズムの語源となった異端作家の名前に由来するペンネームで「世界艶笑芸」など性風俗に関する著作を多く書いた。

昭和8年、東宝入社。日劇ダンシングチームを育て、日本に新しいショービジネスを根付かせたが、戦後、公職追放に遭う。その期間中もステージプロデュースに情熱を燃やし、ストリップショーの草分けといわれる「額縁ショー」を大ヒットさせる。東宝に復帰してからは重役として和製ミュージカルを手がけ、越路吹雪などの一流スターを育てた。

ペンネーム丸木砂土。世界艶笑芸術を日本へ紹介するかたわらゲーテの「ファウスト」やレマルク西部戦線異状なし」(手塚治虫の冒険漫画の大源流の一つたるフリッツ・ラングメトロポリス(1927年)」を翻訳。というか、そもそも日本における文庫本ブームやレビュー文化の仕掛け人の一人にして和製ミュージカルや越路吹雪の育ての親…

専門化の進行によってこうした「いかがわしい」クロスオーバー人材が枯渇してしまった(およびその背面下で蠢いてきたヴィヨランスとしてのエロティズムをあたかも最初から最後まで存在してなかったかの如く切り捨ててしまった)のが21世紀最大の不幸とも?